今月の季語 九月 草の花
昨年〈秋草〉を取り上げたときに〈草の花〉との違いについて考えました。〈秋草〉を〈千草〉〈八千草〉と言い換えるとかなり近くなりますが、〈草の花〉のほうが総じてひっそりと静かです。
名はしらず草毎に花あはれなり 杉風
「名はしらず」が〈秋草〉とのいちばんの違いではないか、としたのでした。
秋草を活けかへてまた秋草を 山口青邨
死ぬときは箸置くやうに草の花 小川軽舟
活けるのは草の花ではないでしょう。死ぬときも秋草では箸を置きにくそうです。
その名を意識しながら輪郭を明確にして詠むのか、茫々と遠まなざしになって詠むのか。私の師、故・黒田杏子は〈秋草〉の句は詠んでいますが、〈草の花〉は一句も残していません。意識して画然と線を引いていたのだと思います。
大雨のあと秋草を剪りに出て 黒田杏子
私にはもう一人、心の師匠がいます。今年生誕100年となる飴山實(1926~2000)です。
第一句集『玩具』(1994年2月)を刊行したとき、私は大阪・吹田市にいました。同じころ、飴山夫妻も自宅を山口市に置きながら吹田市にお住まいだったのでした。
初めて句座を共にしたのは同年8月、高槻市の神峯山(かぶさん)寺で開催されたNHK「夏季BS吟行俳句会」でした。改めて年譜を見て愕然としたのですが、そのときの飴山氏は今の私とほぼ同齢でした…。
杏子とは逆に、實には〈秋草〉の句は無く〈草の花〉があります。
細道は犬がつけたる草の花
すすぎけり古染付(こそめ)の欠けの草の花
手をふれて胸まで濡るゝ草の花
わが墓とおもはで洗ふ草の花
草の花入江の見ゆる陶の家
すべて生前の最終句集『花浴び』所収なので、晩年の花眼による可能性もありますが、一句も残さなかった杏子とは明らかにスタンスが異なります。
もっとも實も〈秋草〉の作句例はありませんが、〈萩〉〈芒〉と具体的な名を呼んで詠んでいます。何句か挙げてみましょう。
あきらかに人の声する雨の萩 『少長集』
郵便車ゆさゆさ萩をこぼしけり 『次の花』
※「ゆさゆさ」の後ろの「ゆさ」はくりかえし記号
白萩の走りの花の五六粒 『花浴び』
第一句は、急に声が近くに聞こえて驚いたのでしょうか。雨に濡れている萩叢によって姿は見えないのです。二句目は郵便車がすり抜けたことにより、萩の枝がゆさゆさと大きく揺れ、盛りの花をこぼしたのでしょう。三句目は萩の初花です。「粒」で数えたところが鮮烈です。
花芒能登は自在に畦まがり 『少長集』
刈らんとて芒にふかく沈みたる 『花浴び』
實の「能登」好きは有名です。石川県小松市に生まれ、金沢の第四高等学校に学んだ雪国育ちだからでしょうか。大学進学で京都に出たのちは、大阪、静岡、山口とむしろ暖かな地に勤務していますから、雪への郷愁をかきたてる土地であったかもしれません。
杏子は広告会社のプランナー、實は醸造学の研究者。実績を積み上げ、やり抜いた共通性はもちつつ、秋草と草の花のように対照的な二人だったかもしれません。二人の師に、改めて学び直してみようと考えています。(正子)
