今月の季語(十一月) 小春日和
かろうじて名月は仰げましたが、なかなか安定したお天気には恵まれずにいます。願いを籠めて、今月の季語に〈小春日和〉をとりあげたいと思います。
俳句は願望だからね――は、お目にかかった日の飴山實先生の言葉です。当時、私は第一句集『玩具』(平成六年二月刊)を出したばかり、二歳半の長女を連れ、おなかには五月に生まれることになる次女がいました。「願望」の一言は『玩具』所載の〈のりだして子も花びらを受けにけり〉に対するものです。実はこの句は、平成三年八月に生まれた長女に初めて桜を見せたとき(つまり平成四年)の句です。今はまだベビーカーに納まっている赤ん坊だけれど来年は……と思いながら作ったのでした。その時点では事実ではなく、願望、というより祈りの句でしたから、先生はお見通しだーと息を呑む思いでした。
〈小春〉は陰暦十月の異称です。そのころの穏やかな日和を〈小春日和〉と言います。まっさきに思い出す句は、
玉の如き小春日和を授かりし 松本たかし
でしょう。玉は宝石のこと。それを「である」でもなく「得る」でもなく、「授かる」のですから、ほんとうに得難い美しい貴いものを掌中に収めた感覚に満ち溢れています。
更には掌中の玉として愛でるにとどまらず、全天を一つの大きな玉として、その中に包まれている至福を感じます。まさに全身で感じる幸福感と言えましょう。
これまで「十一月=あたたか」を当然のこととしていた気がしますが、「玉」であり「授かる」ものは決して当たり前のものではありません。異常気象を昨今の特異な現象として嘆くのは性急であり、そもそも嘆いていても始まらないと少々反省したりもしました。
海の音一日遠き小春かな 暁台
俗名と戒名睦む小春かな 中村苑子
わが額に師の掌おかるる小春かな 福田甲子雄
小春日やりんりんと鳴る耳環欲し 黒田杏子
これらの句は、春のような陽気の意を踏まえれば句意は解せますが、稀なるありがたみを加味すると更に深まるのではないでしょうか。
第一句、海は今日だけは凪いでいるのでしょう。第二句、懐かしき死者がふっと寄り添ってくれる感覚。第三句、師に見舞われて病が癒える心地だったのでは? 第四句、そんな気持ちになったのは、鳴り出しそうな日差しに身も心も弾んでいるからに相違ありません。
そんな日和に誘われて、春に咲く草木がつけた季節外れの花が〈返り花/帰り花〉です。
真青な葉も二三片返り花 高野素十
人の世に花を絶やさず返り花 鷹羽狩行
石油基地見えたんぽぽの返り花 山本洋子
〈小春日和〉も〈返り花〉も旧暦十月限定ですが、〈冬暖か〉は三冬通して使えます。
冬ぬくきことも不安となる世かな 馬場駿吉
墓地といふ冬あたたかきところかな 村上喜代子
小春日和を存分に味わい、
あたゝかき十一月もすみにけり 中村草田男
と言って次の月を迎えたいものです。さてどうなるでしょう。(正子)