今月の季語(9月) 虫
季語の〈虫〉とは、秋に鳴くコオロギなどの虫の総称です。漢字で書くと、蟋蟀(こおろぎ)、鈴虫、鉦叩(かねたたき)、邯鄲(かんたん)、螽蟖(きりぎりす)、轡虫(くつわむし)などとなります。姿より鳴き声が主の季語ですが、聴き分けることができますか?
今月は秋の鳴く虫について見ていきましょう。
本題に入る前に余計なことを一言。
日常的には、昆虫やその周辺の生き物をひっくるめて「虫」と呼びますが、俳句の場合は、「虫」とあれば、読者は耳を傾けて聴く体勢に入ると心得ましょう。この夏、虫に刺されたと覚しき状況に「虫」と使った句に、どういうわけか一再ならず出会い、その都度傾けそうになった耳を慌ててふさぐ、ということがありました。読者をミスリードしないように詠むのはかえって難しいです。季語の〈虫〉=秋に鳴く虫、とインプットしておきましょう。
行水の捨て所なき虫の声 鬼貫
夏の終わりか秋の初めか、暮れ方には虫が鳴くようになったころの行水です。夏の間は、つかった水を庭の植栽に撒いていたのでしょう。虫に無慈悲な気がして、もう撒くに撒けないというのです。
其中に金鈴をふる虫一つ 高浜虚子
虫時雨をBGMにソロで声を響かせる虫が。金鐘児、月鈴子の異名をもつ鈴虫でしょうか。
鈴虫のいつか遠のく眠りかな 阿部みどり女
鈴虫とひとりの闇を頒ち合ふ 野見山ひふみ
夜半、鈴虫の鳴き揃った声が波のような抑揚をもって聞こえてくることがあります。耳を澄ましているうちにいつしか寝入り、気づくと朝だったというのは、いくつのころまでのことだったでしょうか。みどり女の眠りは健やかです。ひふみの闇は夫を送った闇かもしれません。
鳴く虫のたゞしく置ける間なりけり 久保田万太郎
暁は宵より淋し鉦叩 星野立子
まつくらな那須野ヶ原の鉦叩 黒田杏子
万太郎の虫はたぶん鉦叩でしょう。かそけき声にもかかわらず、特徴的で聴き分けやすいです。立子の句は外出先から自宅まで戻れずに、妹の家に泊まったときの早朝の感慨。〈鉦叩悲し淋しと今宵また〉とも詠んだ立子にとっては、淋しさを呼ぶ虫だったのかもしれません。杏子の句は父の通夜の庭で詠まれた句。鉦叩の声だけが耳に届いたとエッセイにあります。
こほろぎのこの一徹の貌を見よ 山口青邨
蟋蟀が深き地中を覗き込む 山口誓子
蟋蟀はもっともポピュラーな虫かもしれません。青邨にとっても誓子にとっても、まるで友人のようです。声のみならず、風貌やしぐさに注目することになったのもその所以でしょう。
邯鄲の夢路追ひ来て鳴きつづく 水原秋櫻子
邯鄲の鳴き細りつつすきとほり 西村和子
邯鄲は、しーんと耳を澄まさないと紛れてしまう優しい美しい声。庭園などで「邯鄲を聴く会」が催されるほどです。
ゆきどまりまで来しわが世虫のこゑ 岸田稚魚
虫の夜の知音知音と鳴けるかな 行方克巳
虫の声に自らの感慨を載せて詠むこともできそうです。第二句は句集『知音』所収。作者は現在結社「知音」の代表(西村和子氏と二人代表制)です。
虫の夜の星空に浮く地球かな 大峯あきら
虫の音が層を成して重なる夜はこんな心持ちになることも。眠る前に外へ出て、虫時雨に身を置いてみるのも一興ではないでしょうか。(正子)