Category Archives: 今月の季語

今月の季語(三月) 二つの雛祭

三月の行事と言えば、まず〈雛祭〉でしょうか。身近な食料品店にも立春のころから〈雛あられ〉や〈菱餅〉〈白酒〉などが並び始め、バレンタインデーの翌日にはその一画が桃の花色に変わっていたりします。商戦に踊らされているようでもありますが、普段の買い物をしながら、触れて嬉しい季節感の一つです。

潮引く力を闇に雛祭          正木ゆう子

雛菓子を買はざる今も立ち停る   殿村菟絲子

雛あられ両手にうけてこぼしけり  久保田万太郎

白酒の紐の如くにつがれけり    高浜虚子

ひし餅のひし形は誰が思ひなる   細見綾子

高額出費が見込まれる〈雛人形〉は、年が明けて羽子板のシーズンが終わるとまず「変わり雛」が話題になります。〈雛市〉が立つという時代ではありませんが、〈雛の店〉は活気を帯び、百貨店でも〈雛売場〉が拡大されます。殊に幼い女の子がいる家庭では、お節句に向けて熱い相談が繰り返されるのではないでしょうか。

雛店の雛雪洞の総てに灯        大橋敦子

雛市やゆふべ疾風にジャズのせて  石橋秀野

木に彫つて寧楽七色の雛かな     飴山 實

これはこれは貝雛の中混み合へる   大石悦子

かように三月の雛祭に関しては、売り買いが絡むこともあって絢爛豪華に、はたまたしっとりと思いを籠めてとりおこなわれ、季語もひしめき合っております。

天平のをとめぞ立てる雛かな   水原秋桜子

雛飾りつゝふと命惜しきかな    星野立子

さて、ここで思い出していただきたいのが、先月の「節分は立春の前日だけではない」の一節です。実は雛祭も、年に一度のみではないということをご存知ですか?

もっとも祭とまでいうと語弊があるかもしれません。雛市も立ちませんし、店先に雛菓子が並ぶこともありません。また、今では誰もが行うものでもなくなっています。が、雛を飾る風習は九月九日にもあり、これを〈後の雛〉〈秋の雛〉と呼ぶのです。

豊年の雨御覧ぜよ雛達       一茶〈秋〉

畳に手つきて絵を観る後の雛   中西夕紀〈秋〉

九月九日といえば〈重陽の節句〉〈菊花節〉です。雛壇に菊を描いた絵櫃を供えることもあるそうですから、二句目の「絵」は菊の絵でしょう。そういう日に祀る雛ですから〈菊の雛〉ともいいます。

しほしほと飾られにけり菊雛  飯田蛇笏〈秋〉

私が実際に菊の雛を見たのは、文京区の旧安田邸でした。その日、雛壇に菊の生花はありませんでしたが、庭に鉢植えの菊が並んでいました。半年に一度、風を通し、埃を払うのですから、維持管理にもよさそうです。お宅の雛人形にも春風と秋風をいかがでしょう?

三月の後半には〈お彼岸〉があります。春分の日を〈お中日〉として前後三日の七日間をさすときは時候の季語、〈彼岸会〉〈彼岸詣〉を意味するときは行事の季語となります(歳時記には別の部に収められています)。彼岸も年に二度あります。単に〈彼岸〉といえば春の季語、秋の彼岸をさすときは〈後の彼岸〉〈秋彼岸〉として区別します。

毎年よ彼岸の入に寒いのは   正岡子規〈春〉

秋彼岸山は入り日を大きくす  成田千空〈秋〉   (正子)

今月の季語(二月)節分

〈節分〉と聞けばとっさに二月の〈豆まき〉を思う私たちですが、本来は節を分ける日、季節の境目すべてにある日です。『広辞苑』にも①に「季節の移り変る時、すなわち立春・立夏・立秋・立冬の前日の称」とあり、②に「特に立春の前日の称」と記載されています。

では何故、立春の前日が節分の代表のような扱いになるのでしょう。

新暦に生きる私たちには馴染みが少ないですが、かつては立春が元日であり、その前日といえば、一年の最後の日大晦日だったから。つまり一年でいちばん大きな節目である年を分ける日だったからでしょう。

暦のことを考え始めると、割り切れないことがいろいろ出て来ますが、旧暦のころにも〈年内立春〉のようなイレギュラーはありました。とりあえず暦問題には触れず、冬と春の境目に行われる行事についてみていきましょう。

〈追儺(ついな)〉は、もともとは大晦日の夜に悪鬼を祓う儀式として行われていた宮中の行事です。中国から伝わり、古くは奈良時代にその記録があります。〈なやらひ〉〈鬼やらひ〉とも言います。かの『源氏物語』にもそのシーンがありますから、お好きな方は探してみてください。

あをあをと星が炎えたり鬼やらひ   相馬遷子

匂ふほどの雪となりたる追儺かな   小林康治

一方〈豆撒き〉は民間由来の行事です。今では〈追儺〉も〈豆撒き〉も同じように使われますが、起源の違いが語感の違いになっているような気もします。

山神に供へし豆を山へ撒く        殿村菟絲子

子が触れたがる豆撒きの父の枡    鷹羽狩行

〈鬼は外〉〈福は内〉のはやし言葉や、〈鬼打豆〉〈年の豆〉〈鬼の豆〉〈福豆〉など撒かれる豆自体を季語として使うこともできます。

「福は内」とは照れくさきせりふかな 山上樹実雄

福豆に齢の残りは数へざる      安住 敦

年の豆噛みつつアガサクリスティー  草間時彦

かつてはわが家でも〈鬼の面〉をかぶった父を子らが大声で追い、盛大に〈豆を打つ〉ことをしましたが、年々声が小さくなり、いつしか行わなくなりました。

追はれてや脇にはづるる鬼の面    荷兮

また、最近の住宅街ではあまり見なくなりましたが、焼いた鰯の頭を柊の小枝に刺して門口に挿して魔除けにすることもありました。

門にさしてをがまるるなり赤いわし  一茶

柊を挿す艮(うしとら)の雲の色   辻田克巳

民間行事の場合は地方や家ごとに作法が違ってくるものです。皆さまのお宅ではいかがですか?

年に四回ありながら、一回しかないと思われている日が他にもあります。たとえば土用。立秋前の十八日を指す夏の土用の、中でも丑の日が有名ですが、実は季節ごとにあります。季語になっているのは夏の土用のみですから、いちばん身体にこたえると思われていたのかもしれません。

ほかにもこれに類する例があります。歳時記を繰って探してみてはいかがでしょう。(正子)

今月の季語(一月) 餅

東西南北さまざまな地域の正月の光景は、雑煮だけを取りあげてみても千差万別です。私自身十代の終わりに上京して初めて、餅は四角とは限らない、に始まり、だしや味付け、具の種類の違い等々、地域どころか家の数だけ雑煮の種類があると知った次第です。

料理は岩井善子さんに教えを乞うことにして、このコーナーでは季語としての餅とその周辺を見ていきましょう。

〈餅〉の用意は年内にします。ゆえに〈餅搗〉〈餅筵〉〈餅配〉等準備に関わるものは年の暮(仲冬)の季語です。

戦争と平和と暮の餅すこし         原子公平

杵にまづ湯気のからまり餅を搗く 戸恒東人

餅筵書斎狭むること許す           安住 敦

マンションの三十軒に配り餅       小路紫峡

年が明けて〈雑煮〉に仕立てると新年の季語になります。〈雑煮餅〉〈雑煮椀〉も同様です。

丸餅のどかつと坐る雑煮かな      草間時彦〈新年〉

めでたさも一茶位や雑煮餅        正岡子規〈新年〉

父の座に父居るごとく雑煮椀       角川春樹〈新年〉

餅が丸か四角かのほかに、焼く焼かない問題もあります。私の実家は焼かない派でしたので、父の長兄の家で焼くのを見て驚いた記憶があります。もしかすると最初の異文化体験であったかもしれません。母が焼かない家系だったのか、伯母が焼く家出身だったのか。実家と婚家のならわしが異なった場合の対応の仕方によって、同じ地域どころか兄弟姉妹でも異なる雑煮で新年を祝うことになるのです。

〈鏡餅〉は大きさや飾り方に違いはありますが、全国共通で丸いと見てよいでしょう。

生家すなはち終の栖家や鏡餅      下村ひろし

家々に鏡餅のみ鎮座せり          桂 信子

私の実家では玄関に大きな鏡餅を、米櫃(「おくどさん」が無いからと母は言っていました)、父の文机、母の裁縫台、私たちの勉強机に小さな鏡餅を、あたりを拭き清めて据えていました。今の雑然たるさまにはまさに忸怩たる思い……なのは無論のこと、次の世代である娘たちに文化が継承できなかったことが悔やまれます。

餅は今では個包装の真空パックで黴びる心配がほとんどありませんが、昔は三が日を過ぎるあたりから、ぽつぽつと黴が出始めたものでした。削り取って少し黴くさい餅を食べたりもしていましたが、〈水餅〉を作ることもありました。

水餅の水深くなるばかりかな      阿波野青畝

寒中に餅を搗いたり、戸外に吊して凍らせたり、という経験は私にはありませんが、これも真空パックが無かったころの生活の知恵です。

寒餅のとゞきて雪となりにけり    久保田万太郎

その里の古へぶりや氷餅          井月

こうして見てくると餅まわりだけでも相当数の季語に実感が伴わなくなっています。せめて残そうと思っているのが〈鏡開〉。わが家は夫の側にその習慣が無かったので、私の記憶のままに十一日に鏡餅を下げ、汁粉に入れて食べていますが、これも家毎に異なるでしょう。

罅に刃を合せて鏡餅ひらく        橋本美代子

そういえば昔の鏡餅は重なっていた部分がおそろしく黴びていました。今では鏡餅型のケースに入ったものを使う手もあり、便利ですが、やはり味気なさはぬぐいきれません。

皆さんの身のまわりの餅事情はいかがですか? (髙田正子)

今月の季語(十二月) 冬の衣(2)

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先月のクイズの答えは「綿(わた)」でした。毛は違うのか、革は候補にならないのか、などなど楽しい意見交換ができました。今月はそれらをまとめて続編としてお届けします。

「綿(わた)」はこのままで冬の季語として使えます。「毛」と「革」は語を足して冬の季語になります。どんな語を足せばよいでしょう。

毛をウールととらえれば、それを紡いで糸にした〈毛糸〉、着用できる形に作り上げる行為である〈毛糸編む〉、その結果できあがった〈セーター〉〈マフラー〉〈冬帽子〉〈手袋〉など、実に多くの冬の季語につながります。

毛糸屋にわが好む色ひとも買ひぬ    及川 貞

ひとときは掌の中にある毛糸玉      黛まどか

寄せ集めだんだら縞の毛糸編む     野見山ひふみ

女性ばかりでなく男性も毛糸を詠んでいます。例えば、

毛糸玉幸さながらに巻きふとり      能村登四郎

毛糸編はじまり妻の黙はじまる      加藤楸邨

プレゼント大きく軽し毛糸ならむ       松本たかし

ここに挙げた男性俳人はどうやら「編み物王子」ではなさそうです。男性自らが編む主体となって詠むと、どんな句ができるのでしょうか。今後に期待したいところです。

セーターの鎖の模様胸を逸れ        宇多喜代子

逢ひに行く緋のマフラーを背に刎ねて  辻田克巳

冬帽のやはらかなるを鷲摑み        鷹羽狩行

ふかふかの手袋が持つ通信簿      井上康明

〈黒手套嵌めたるあとを一握り  岡本 眸〉の黒手套はおそらく布製でしょう。衣類や小物類は毛糸で編み上げたものとは限りませんが、近い雰囲気を持つ句を選んでみました。素材感まで詠み込めることを味わってみましょう。

「革」も同様に〈革手袋〉〈革ジャンパー〉〈革コート〉〈革足袋〉など、防寒のための素材として使われると冬の季語になります。また毛がついたまま鞣した〈毛皮〉も冬の季語です。

洞窟に似し一流の毛皮店          大牧 広

人形の手に正札や銀狐            星野立子

〈毛布〉も羊毛などで織った防寒用の寝具や膝掛けを指す冬の季語です。毛より〈布団・蒲団〉の仲間として認識していそうですが。

毛布にてわが子二頭を捕鯨せり      辻田克巳

ダリ展の隅の監視の膝毛布          冨田正吉

余談ですが、人の毛髪にも冬の季語があります。髪は四季を問わず生え変わりますが、この時期の抜け毛を木の葉が散るのになぞらえて〈木の葉髪〉と呼ぶのです。

音たてて落つ白銀の木の葉髪       山口誓子

指に纏きいづれも黒き木の葉髪     橋本多佳子

先月のクイズはまだまだ発展形が考えられます。他の季節の歳時記もひっくり返して、探してみてください。(正子)

今月の季語(十一月) 冬の衣

クイズです。麻、絹、綿、毛。このうち冬の季語はどれでしょう。

答えは綿。ただし、読み方はメンではなくワタです。木綿のワタのほかに、絹のワタである真綿(まわた)や化学繊維のワタ等があります。衣類や蒲団に使うシーンを指して季語になっています。

旅路来て綿紡ぐてふわざに佇つ    富安風生

あのふわふわしたものが紡がれて糸になり、布に織られて日々の営みに適用されていきます。

〈綿入(わたいれ)〉は表布と裏布の間に綿を入れた着物のことです。着物を和服の意にとれば、今では舞台で見られるくらいと言ってもよさそうですが、この技法はつまりはキルティングですから、そう言い換えればコートなどに現代の綿入と呼べるものがあることに思い至るでしょう。

綿入や妬心もなくて妻哀れ    村上鬼城

〈負真綿(おいまわた)〉は真綿を使った袖の無い防寒衣のこと。今ならさしずめダウンのベストでしょうか。

負ひ真綿して大厨司る      高野素十

〈蒲団・布団〉が冬の季語と聞くと、年中使っているのに何故と思う人もいるでしょう。大昔は昼間来ていた衣類を被って寝ていたことを想像してみてください。当然夏は単衣、春秋には袷、冬には綿入を被ることになります。やがて夜専用の綿入(〈夜着〉や〈掻巻〉)が作られるようになり、蒲団へと進化していきました。

佐渡ヶ島ほどに布団を離しけり     櫂未知子

翔べよ翔べ老人ホームの干布団    飯島晴子

ちなみに〈綿入〉の対義語は〈綿抜(わたぬき)〉です。昔は綿入の季節が過ぎると綿を抜いて袷に仕立て直すということをしていました。「四月一日さん」(姓)を「わたぬきさん」というのはそうした所以です。

ワタはアオイ科の植物の実からとります。五月の連休の頃に種を蒔くと、七月頃芙蓉に似た黄や白の大きな花が咲きます。

雲よりも棉はしづかに咲きにけり   福島小蕾〈夏〉※棉(わた)と木偏の文字も使います。

花の後、卵形の〈綿の実〉をつけますが、晩秋には熟して裂け、白い絮毛をつけた種を露出します。このことを〈綿吹く・桃吹く〉、絮毛を採取することを〈綿取〉〈綿摘〉といいます。

明月の花かと見えて綿畑        芭蕉〈秋〉

蕾あり花あり桃を吹けるあり      三村純也〈秋〉

綿の実を摘みゐてうたふこともなし  加藤楸邨〈秋〉

その後、冒頭の例句の作業に移ります。

分業が当然となり、出来上がった衣類を購入するようになった現在ではほとんど意識しない事柄が、季語の中にはこうして生きているのです。

クイズに並べた麻(リネン)、絹(シルク)、毛(ウール)も、いろいろな形で季語となって歳時記に掲載されています。探してみてください。(正子)

今月の季語〈十月〉 秋の野遊び

akinonoasobi〈秋の野遊び〉という季語をご存知ですか? 春の〈野遊び〉に対する季語です。昔の歳時記に「草花見」「萩見」の記載がありますから、もともとは秋の草花を愛でに野へ出ることであったと思われます。実作の際には、このままの形より具体的なモノが見えてくる季語を使った方が、伝わる俳句になるでしょう。

花野から今刈りて来し供華ならむ  飯島晴子

眼に溜めて風の色見ゆこぼれ萩   福永耕二

〈残暑〉に喘いでいては楽しく遊べませんから、秋の遊びはまず夜からではないでしょうか。今年の仲秋の名月は九月十五日、後の月は十月十三日です (暦の関係で毎年ずれますが、今年はまさにうってつけの日付と言えましょう)。各地で〈月見〉の会や〈虫聴き〉の会が開かれるのが常ですが、イベントに参加しなくても、月を仰ぎ、虫の声に耳を傾けることはできます。夜の野遊びは、秋ならではかと思います。

岩鼻やここにもひとり月の客    去来

しづかなる自在の揺れや十三夜   松本たかし

花鳥風月虫を加へて夢うつつ    手塚美佐

そして秋にはなんといっても、収穫の楽しみがあります。〈桃〉〈葡萄〉〈梨〉〈林檎〉等の〈秋果〉を自ら捥いで味わったり、〈茸狩〉や〈栗〉拾いのために山へ入ったりします。

茸狩りポシェットがけに竹の籠   上田日差子

佳き言葉授かる葡萄棚の下     向田貴子

栗打つや近隣の空歪みたり     飯田龍太

〈芋煮会〉というのは山形の秋の野外行事ですが、各地にこれに類する収穫を祝う行事があるのではないでしょうか。

月山の見ゆと芋煮てあそびけり   水原秋櫻子

初めより傾く鍋や芋煮会      森田 峠

また旧暦九月九日の〈重陽〉に節句行事を執り行うのは、現代の庶民にはあまり縁の無い話ですが、小高い丘や山に登って〈菊の酒〉や〈茱萸の酒〉を飲む風習を指す〈登高〉〈高きに登る〉は、今では本意から逸れ、高い所に登って楽しむ意に使われるようにもなっています。

灘見ゆと聞けば逸りて登高す    皆吉爽雨

酒持たず高きに登る高きは佳し   藤田湘子

そうは言っても前句の「灘」は灘の生一本の灘ですし、後句も持っていない「酒」を意識する作りとなっています。節句行事のために登るのではないとしても、本意を意識しながら作り、かつ読み取る方が面白いでしょう。

そして古来よりの秋の一大イベント〈紅葉狩〉も控えています。温暖化の昨今、十月にはまだ〈紅葉〉〈黄葉〉しきっていない所のほうが多いですが、春の桜前線とは逆に、北の方から順々に紅葉の知らせが届き始めます。

いつぽんは鬼より紅し紅葉狩    鍵和田秞子

紅葉狩しつつ命の砂時計      品川鈴子

今年の日本は〈台風〉の通り道になってしまったかのようで、不本意なことも多いですが、秋を楽しみ「命の砂時計」を大切に使おうではありませんか。 (正子)

今月の季語(9月)夜長

yonaga昔から「秋の日は釣瓶落し」と言いますが、〈釣瓶落し〉が秋の季語として使えることをご存知ですか? 山本健吉が提唱し、賛同した俳人がいて定着した季語なので、まだ新しい部類に属します。

釣瓶落しといへど光芒しづかなり   水原秋櫻子

コンコルド広場の釣瓶落しかな    石原八束

健吉に「きれい寂(さび)」と賞された秋櫻子の句と、舞台を海外に置いた句を抽いてみました。「釣瓶」を使って描かれた西洋画のような句です。

秋の太陽が他の季節と比べて高速で動くわけではありません。夏より早く暗くなる忙しなさに、人がそう感じるのです。

釣瓶落しの後に訪れる〈秋の夜(よ)〉は夏より「長い」と感じます。正確には冬のほうが長いですが、冬の長い夜は鬱陶しく、夏より気温が下がって過ごしやすくなる秋の夜の長さは嬉しいのです。そういう気持ちを表す季語が〈夜長〉です。

妻がゐて夜長を言へりさう思ふ    森 澄雄

寝るだけの家に夜長の無かりけり   松崎鉄之介

アラジンに世之介に飽き夜長なり   マブソン青眼

「夜が長くなったわね」「そうだな」と静かに満ち足りていた森夫妻に、ほどなく〈飲食をせぬ妻とゐて冬籠〉という日々が訪れるとは、誰が予測したでしょう。

また、夜長は起きていることを楽しんでこそのもの。二句目はまさにそれを言っています。夜間に寝ている時間が長くても、それを夜長とは言わないのです。

末の子の又起きて来し夜長かな   上野 泰

親がともしている灯に子どもが起き出してきました。私にも遙かな記憶がありますが、父の膝からつまませてもらった落花生は、他の兄弟が味わっていないゆえ一層美味でした。

三句目は読書の秋に掛けています。『千夜一夜物語』も西鶴の浮世草子も、好き放題に読んでなお余るほど夜が長い、と。作者は一茶の研究者でもあるフランス人です。

秋の夜や旅の男の針仕事      一茶

秋の夜の雨すふ街を見てひとり   横山白虹

酒も少しは飲む父なるぞ秋の夜は  大串 章

〈秋の夜〉とだけあっても、長い夜であることを前提に読み取ればよいでしょう。一句目も二句目も、それゆえ一層しみじみとしてきます。三句目は、長子誕生の報を受けた新米父の喜びです。「少し」飲みながら生まれたばかりのわが子のもとへ思いを飛ばしています。名前を考えているのかもしれません。

夜がいちばん長いはずの冬には〈日短〉の季語があります。明るく暖かい昼の時間が短いのを惜しむ気持ちが反映されています。その冬が去り、春には〈日永〉を喜びます。実際にいちばん日が永いのは夏至のころであることは言うまでもありません。その夏には〈短夜〉と夜の明ける早さを詠うのです。何か少し臍曲がりのようにも、脳天気なようにも思えてきて楽しいです。

秋の夜長。季語の本意に触れる遊びはいかがですか?   (正子)

今月の季語(8月) 「夏の思い出」の中の初秋の花

mukuge記憶の中の夏を探ると背景にいろいろな花が咲いています。夏の思い出と共にあるので夏の花とばかり思っていたのに、秋の歳時記に載っていて驚いた、ということは意外に多いようです。今月は夏の花だと思っていたのに秋の花ですって、という植物の季語をみていきましょう。

まず〈木槿(むくげ)〉。梅雨のころから咲き始め、秋も深まるころまで咲いています。花期は長いですが、朝咲いて夕にはしぼんで落ちる一日花です。花色は、白、赤紫、底紅、……とさまざまです。

道のべの木槿は馬に食はれけり  芭蕉

底紅の咲く隣にもまなむすめ   後藤夜半

一日のまた夕暮や花木槿     山西雅子

底紅は白い花弁の付け根のあたり(蘂のまわり、つまり花の底)が紅色の咲き方を指し、木槿の他にも見られますが、俳句の場合は「底紅」で〈底紅木槿〉を指します。二句目は底紅木槿が隣家に咲いているのです。

〈芙蓉〉は木槿と同じアオイ科の植物です。花の形は似ていますが、木槿より「秋」感が強いかもしれません。白芙蓉、紅芙蓉、白く咲き出して赤く変わる酔芙蓉など多様です。

花芙蓉くづれて今日を全うす   中村汀女

そして夏休みの花の代表のような〈朝顔〉。観察日記でお世話になりました。四季咲きでしぼまない外来種の朝顔もよく見るようになりましたが、従来の朝顔は秋の季語です。ただし七月六日~八日、入谷で開かれる〈朝顔市〉は夏の行事の季語です。

朝顔や百たび訪はば母死なむ   永田耕衣

学校が好き朝顔に水をやる    津田清子

下谷二丁目朝顔市へ路地抜けて  坪見美智子〈夏〉

〈露草〉も夏休みの花かもしれません。早起きをしてラジオ体操へ通う道すがらの花であり、また自由研究で布を染めたりもしました。名前に秋の季語である露が入っていますから、記憶の修正は易しそうです。

露草も露のちからの花ひらく   飯田龍太

露草の咲き寄せてくる机かな   黒田杏子

〈白粉花(おしろいばな)〉も夏休みの色水遊びの友だったかもしれません。夕刻から咲き始め、ほのかな香りがあります。

白粉花吾子は淋しい子かもしれず  波多野爽波

〈サルビア〉の植え込まれた花壇は、一面に炎が立っているように見えます。あの燃えるような朱色に夏を思う人は多そうです(歳時記によって夏に分類されているものもあります)。

青春にサルビアの朱ほどの悔い   岩岡中正

秋の七草に数えられているのに早々と咲き出すのは〈撫子(なでしこ)〉。『源氏物語』に「常夏」の巻がありますが、この〈常夏〉は撫子を指します。常夏と呼ぶくらいですから、温暖化のせいではなく、昔から開花は早いのです。

かさねとは八重撫子の名なるべし  曾良

体験は人それぞれですが、季語は約束事でもあります。人と共有できる季節感を歳時記で確かめることも大切です。

(正子)

 

今月の季語(7月) 祭

kandamaturi大学生に〈祭〉の題を出すと夜店、花火、浴衣、金魚すくい、君、横顔、……と夏の夜の恋模様が展開します。中には「今年こそ」というものもあり、思いのほか古典的と申しましょうか、このジャンルには時代による違いをそれほど感じません。

大学生が想定したのはいわゆる〈夏祭〉の景です。その感覚は正しく、季語の〈祭〉は夏の祭をさします。古くは〈葵祭(賀茂祭)〉を意味したようですが、今は葵祭以外の夏の祭も〈祭〉と呼びます。総称として使えるということと、〈祭〉=夏の祭であるということを押さえておきましょう。

草の雨祭の車過ぎてのち     蕪村

大学も葵祭のきのうけふ     田中裕明

春や秋にも祭はありますが、〈春祭〉〈秋祭〉として〈祭=夏祭〉と区別します。

一子挙げ餅のうすべに春祭    文挾夫佐恵〈春〉

山々に深空賜はる秋祭      桂 信子 〈秋〉

〈葵祭〉に限らず固有名詞を季語に使える祭はたくさんあります。東京の人には五月の〈神田祭〉や〈三社祭〉こそが祭かもしれませんし、七月の〈天神祭/天満祭〉は大阪の、〈山笠〉は博多の大祭です。また七月一日からまるまるひと月続く京都の〈祇園祭〉も観光客がごったがえすイベントになっています。

ちちははも神田の生れ神輿舁く  深見けん二

喪にこもり三社祭もすぎにけり   安住敦

早鉦の執念き天満祭かな      西村和子

山笠の助走も見せず発進す     池田守一

東山回して鉾を回しけり      後藤比奈夫

祭の名前のみならず、ゆかりのもろもろが季語として使えます。

右の「ちちははの」の句は〈神輿〉が、「東山」の句は〈鉾〉が季語です。神田+神輿=神田祭、東山+鉾=祇園祭となっています。

祭のメインイベントは〈神輿、山車、山鉾〉などの巡行でしょう。が、ほかにもさまざまな季語があります。例えば、〈宵宮、宵祭、本祭、祭後〉などの日程と絡んだ季語。

潮騒と宵宮と遠きこといづれ      永井龍男

くらがりに柱を燃やす祭あと      対馬康子

〈祭笛、祭太鼓、祭鉦、祭囃子〉など音曲系の季語。

祭笛吹くとき男佳かりける      橋本多佳子

ゆくもまたかへるも祇園囃子の中  橋本多佳子

〈祭髪、祭足袋、祭稚児〉など装いに関する季語。

男らの汚れるまへの祭足袋       飯島晴子

路地に生れ路地に育ちし祭髪      菖蒲あや

左右より化粧直され祭稚児       森田 峠

また、祭にちなむ特徴的な食べ物や植物で詠むこともできます。

青竹の林を抜けて祭鱧        大木あまり

射干の花大阪は祭月           後藤夜半

名のある祭に駆けつけるもよし、近隣の祭に繰り出すもよし、祭は夏の体験型季語の代表と言えるでしょう。(正子)

今月の季語(6月) 夏の嫌われ動物②

katatumuri先月にひき続き、今月も嫌われ(つつも好かれている)ものたちを見ていきましょう。

一般に両生類、爬虫類は好き嫌いの幅が大きいようです。私は冬眠明けのまだうっとりした眼の蛇と、心ならずも見つめ合ってしまって以来、爬虫類が好きになりました。ただ蛇も夏になるにつれ、オーラが強烈になっていきます。夏の季語である〈蛇〉とは一定以上の距離を保てるようにせざるを得ません。その点〈蜥蜴〉〈蠑螈/井守〉〈守宮〉は造形的にも文句なくかわいいと思いますが、皆さまはいかがですか?

全長のさだまりて蛇すすむなり   山口誓子

蜥蜴と吾どきどきしたる野原かな  大木あまり

見つめているうちに、作者自らが蛇や蜥蜴と化してしまったのでは、と思える句です。

恋薬とぞ這ふ蠑螈踏みて啼かす   加藤知世子

子守宮の駆け止りたるキの字かな   野見山朱鳥

蠑螈が両生類、守宮が爬虫類です。蠑螈の黒焼は時代劇や落語でおなじみですが、恋薬としての実効性はどうなのでしょう。

亀と蛙も身近な存在ですが、亀は季語ではありませんし、〈蛙〉は春の季語です。〈亀の子〉ならば夏の季語、〈雨蛙〉〈青蛙〉、また〈蟇/蟾蜍〉〈牛蛙〉は夏の季語として使えます。

亀の子の歩むを待つてひきもどし   中村汀女

青蛙おのれもペンキぬりたてか    芥川龍之介

雨蛙退屈で死ぬことはない       金子兜太

蟇誰かものいへ声かぎり           加藤楸邨

飛驒の夜を大きくしたる牛蛙       森 澄雄

多くの人は水族館くらいでしかお目にかからない〈山椒魚〉も夏の季語です。オオサンショウウオは半分に裂いても死なない(と言われている)ので〈半裂(はんざき)〉と呼ばれます。一方を食べて残りを流れに戻しておくと元通りになるそうな。本当でしょうか。

おい元気かと半裂を覗きけり   茨木和生

これらの季語は、ひらがなで書くことももちろんありますが、漢字で書くことが多いです。これも俳句を始めたご縁と思い定めて、せめて読めるようにしておきましょう(書くときはその都度辞書をひけばよいのです)。

両生類でも爬虫類でもありませんが、今からよく出くわすことになる〈蝸牛〉と〈蛞蝓〉。漢字で書くと、蝸牛は殻の渦がぐるぐると見えてきますし、蛞蝓は今にもうずうずと動きだしそうに思えませんか? 見た目の面白さや美しさを求めて、表記はその都度選択するのです。

殻の渦しだいにはやき蝸牛      山口誓子

かたつむりつるめば肉の食ひ入るや  永田耕衣

蛞蝓といふ字どこやら動き出す    後藤比奈夫

来しかたを斯くもてらくなめくぢら  阿波野青畝

蝸牛も蛞蝓も野菜作りの敵ですが、やはり嫌い嫌いも好きの内の動物である気がします。蛞蝓はイヤ? そうですか。(正子)