ジャカランダ
この花を知ったのはある晩自宅にかかってきた一本の電話から始まります。受話器をとると、少し間があって聞こえてきたのはパキスタンの首都、イスラマバードからの当時の日本大使N氏の声でした。
日本とパキスタンの国交成立50周年の行事に首都イスラマバードでいけばなを披露する、というお話は国際交流基金からいただいていました。しかし日本人ジャーナリストが現地で拉致された事件や不安定な状況が報じられる中、返事は保留にしていました。大使の深い声での実際の状況と熱心な説明を伺ううち心が決まったのは「こんな時だからこそ、文化は大事だと思うのです。」という一言でした。
助手をしてくださる生徒さんとバンコク乗換で10数時間、イスラマバードの空港から宿舎の公邸に向かう車窓から緊張しながら街の様子を見ていました。すると茂った葉の中から青紫の花が固まって姿をのぞかせている3~5mの木があちこちに見かけられました。不穏な国情のなかでもけなげに咲いている植物、それがジャカランダとの出会いでした。
ジャカランダはノウゼンカズラ科で、葉はねむの木の葉に似ています。オーストラリアで街中にこの薄紫の花が咲いている写真がありました。熱海では、6月末、蕊を残してすっぽりとぬけたこの花が路上にパラパラと落ちていました。手に取ると先端がいくつかに割れ、長めの釣鐘形でした。
レセプション会場の公邸の入り口にこのジャカランダをいけると決めました。採集に出かけるジープの前の席には庭師のスタッフ、後ろにはバケツやロープ、のこぎりや新聞紙などをのせ、制服の警護同乗でジャカランダの枝を切りに行ったのです。約2.5メートルのものを5本切り、すぐ引きかえしました。公邸のゲートを通るとき、車に不審物が仕掛けられていないか、私たちも車に乗ったまま鏡のついた長い棒が車体の下にさしこまれる毎度の検査は仕方のないことでした。
この花はすぐにしおれるということで、準備室で枝の元を割ったり、表皮をむいたり、アルコールにつけたりとあらゆることをして水につけました。それが功を奏して翌日数輪の花は落ちていたものの、2本のジャカランダだけは葉も花もバケツの中でピンとしていました。
パキスタン政府からは外務大臣、日本からは総理特使と日パ友好議員代表団などの賓客を迎え式典は華やかにとり行われました。葉のない枝を組んで水の入った器を仕掛け、ジャカランダを他の花材と高くいけたいけばなは現地の方に好評で、何組もの方が次から次へこの作品の前で写真をお取りになっていました。
数年後のこと、当時食事にご招待いただいたレストランが爆破された映像をニュースで見て息が止まりそうになりました。その後偶像崇拝を禁止する宗教的な理由を持つ人々により、有名なバーミヤン遺跡の石像も破壊され、あれから10年以上もたちました。あの日の皆様のジャカランダの前での笑顔を思いだすたび、不安定な状況のこの国に、ジャカランダが似合う青い空を心穏やかに見上げる日がどうか一日も早く訪れますようにと、心から願わずにはいられないのです。(光加)