今月の季語(8月) 夏休み
今年の立秋は八月八日です。今月は、すぐに〈秋〉になってしまうのに〈夏休み〉とは! と叱られそうな話題から。
〈夏休み〉は歳時記には夏の部に収められています。文字通り夏の季語です。大人も夏休みはとりますが、たぶん学校制度が生んだ季語ですから、俳句を読み取るときには、七月の末から八月末頃までの「あの」夏休みをイメージしても、大過はないでしょう。
〈夏休み〉で私がまず思い出すのはこの句です。
大きな木大きな木蔭夏休み 宇多喜代子
この句の夏休みからは鮮度のよさを感じます。嬉しさとともに、ほっとした感じもあります。夏休みに入ったばかりなのかもしれません。
旅終へてよりB面の夏休 黛 まどか
夏休最後の日なるひかりかな 小澤 實
夏休みも「B面」に入ると気怠さが漂い、「最後の日」に到っては思い出したくもない思い出のほうが多いでしょう。「夏」休みを詠みつつ、立派に〈残暑〉の倦むような光に満ち満ちています。
立秋を過ぎたら〈夏休み〉では詠みにくい、と思うことがあるかもしれません。机上派ならば、ここで切り換えるのが正解でしょう。が、実体験優先であれば、現実に即して詠み続けてよいのではないでしょうか。前半と後半とでは自ずと趣が異なります。その違いを詠み分けられたら、むしろスゴいと思います。
立秋過ぎの夏休みの身辺には、夏休みっぽい秋の季語もたくさん現れます。そういう季語を探してみるのも一興かもしれません。
たとえば〈枝豆〉。冷凍技術のおかげで年中食べられますが、秋の季語です。枝から切り離したばかりのさやを茹で上げると、それは綺麗な緑色になります。
枝豆や最終便にしろと言ふ 山田弘子
浜辺のイメージもまつわる〈西瓜〉や、種類が豊富で夏のころから出回っている〈桃〉〈葡萄〉は秋の果物です。
三人に見つめられゐて西瓜切る 岩田由美
桃冷す水しろがねにうごきけり 百合山羽公
黒きまで紫深き葡萄かな 正岡子規
観察日記には欠かせない〈朝顔〉、ラジオ体操への道すがらの〈露草〉、色水を作って遊ぶ〈白粉花〉、また花期が長く夏のころから咲き出している〈木槿〉〈カンナ〉も秋の花です。
学校が好き朝顔に水をやる 津田清子
露草の咲き寄せてくる机かな 黒田杏子
白粉花吾子は淋しい子かも知れず 波多野爽波
底紅の咲く隣にもまなむすめ 後藤夜半
本屋の前自転車降りるカンナの黄 鈴木しづ子
また、今では夏の行事として捉えられている〈花火〉は、かつては秋に分類されることもありました。その系譜を尊重して、今でも秋の季語として扱う歳時記もありますし、季語は夏に分類しつつ、例句は近現代のものは夏に、近世のものは秋に収める歳時記もあります。
日程から言えば、例えば七月末の隅田川の花火は夏の花火ですが、八月後半の多摩川の花火は秋の花火となります。そうは言っても、夏だ秋だというところにこだわって詠むよりは、〈手花火〉もあわせて〈夏休み〉の一行事として眼前の景を見つめるほうが、好ましく思われます。
花火の夜兄へもすこし粧へり 正木ゆう子
夏もはや夜々の花火にうみしころ 中尾白雨
手花火のこぼす火の色水の色 後藤夜半
星一つ残して落る花火かな 抱一
夜は秋のけしき全き花火かな 白雄
八月は夏でもなく秋でもなく〈八月〉にほかならない、と言います。むろん暦だけを意識した言葉ではありません。が、今月のテーマに関しては、初秋を迎えることを意識したうえで、夏の景物を愛おしんでみてはいかがでしょうか。それが今の〈八月〉を詠むことにつながるかもしれません。(正子)