今月の季語(十月) 秋の田
北関東、東北の洪水は酷いことでした。人の命に関わる一切については申すまでもないことですが、収穫を間近にひかえた田畑が水に巻かれてゆくさまには心が痛みました。
濃尾平野で生まれた私の原風景は、真ん中に田があります。長梅雨や台風のときには、通学路である田中の道がしばしば水没し、かろうじて頭を出している草の葉先で道と田の境目を判断したものでした。
立春から数えて二百十日目は、昔から激しい風雨にみまわれる日として忌まれてきました。新暦では九月の初めにあたります。近頃では梅雨時に台風が到来したりもしますが、台風のマークが天気図の常連となり、そのルートがたえず懸念されるのはやはりこの頃からです。
ころがして二百十日の赤ん坊 坪内稔典
釘箱の釘みな錆びて厄日なる 福永耕二
〈二百十日〉を忌んだのは、〈早稲〉の花が咲くころであったからといいます。農家は〈稲の花〉を散らす大風を恐れたのです。〈二百二十日〉は〈中稲〉、〈二百三十日〉は〈晩稲〉の開花期にあたり、同様に恐れられました。今では開花の時期をずらせるようになったそうですが、台風が心配の種であることに変わりはありません。
空へゆく階段のなし稲の花 田中裕明
早稲の香や分け入る右は有磯海 芭蕉
貌暮れて刈り残したる晩稲かな 棚山波朗
無事に花が咲き、稔りのときを迎えた田を〈秋の田〉〈稲田〉等と呼びます。
秋の田へぐらりと日本海の蒼 宇咲冬男
木曾谷の深し稲田を積み重ね 守屋井蛙
稔った稲を守るため〈案山子〉〈鳴子〉〈鳥威し〉などが用いられます。これらは〈稲雀〉を脅すためのものです。雀の数の激減が報告される昨今では、脅す気合をそがれることもあるのでしょうか。
みちのくのつたなきさがの案山子かな 山口青邨
引かで鳴る夜の鳴子の淋しさよ 夏目漱石
鳥威きらきらと家古りてゆく 波多野爽波
稔りの時期に田が水浸くと、穂についたまま米が発芽し、用途にそわなくなります。米は米粒という認識でいても済んでしまう現代ですが、米が稲という植物の実であることを、こんなことからも実感します。
〈稲刈〉の済んだ田を〈刈田〉と呼びます。刈株はいわば黄金色をしていますが、しばらくすると青い芽が出て来ます。これを〈穭〉と言い、穭の出た田を〈穭田〉と呼びます。早稲田に出る穭には穂が出て稔ります(渡り鳥の糧となります)。暖冬のせいか、中稲晩稲の田の穭にも穂が出ていることがあります。品種改良と気候の変化によって、田の様子はこの先ますます変わっていくのかもしれません。
稲刈つて鳥入れかはる甲斐の空 福田甲子雄
去るほどにうちひらきたる刈田かな 鬼貫
穭田は人通らねば泣きに来し 高野素十
今では機械化が進み、刈り取りながら脱穀し、実以外の部分(つまり藁になる部分)を束ねるところまでを同時に行えるようになりました。一家どころか一門総出の手作業で、稲を刈って干して扱(こ)いて摺(す)っていた昔とは異なり、ひとりで黙々と作業が進んでいきます。いろいろな意味で「変化」する田を、自身の目で確かめに行ってはいかがでしょう。(正子)