今月の季語(四月) 霞と朧
寒暖の差が激しいこのごろです。が、どれほど冷え込む日があっても、身のまわりは確実にパステルカラーの色調になってきていて、春を実感させられます。
パステルカラーであるのは、草木の芽吹きや咲き出す花々の淡い色あいにもよりますが、大気中の水蒸気や埃によって見通しが「悪く」なるからでもありましょう。〈霾〉〈黄砂降る/来る〉〈春塵〉〈春埃〉と並べたてると目が痒くなりそうですが、〈霞〉〈朧〉と言えばたちまち風情が生まれます。
六甲も街もにびいろ黄砂来る 小川濤美子
春塵の衢落第を告げに行く 大野林火
霞む日の夫婦一男一女連れ 廣瀬直人
辛崎の松は花より朧にて 芭蕉
ところで〈霞〉と〈朧〉の違いは整理できていますか? ときどき自然現象を霞、情緒的な状況を朧のように捉えているようなケースを見ますが、そういう違いではありません。同じ現象を昼は霞、夜は朧と呼びます。
ですから上の句の「夫婦」と「一男一女」は日の下を歩いていますし、芭蕉は夜の「松」をめでています。昼夜を意識して詠み、かつ読み取りましょう。
朧にて寝ることさへやなつかしき 森澄雄
のように「寝る」など夜を示す語があるときはまず問題なく読み取れるでしょう。
引いてやる子の手のぬくき朧かな 中村汀女
はどうでしょう。子を連れているのだから昼間、と決めてかかったりすると読み違えます。まず〈朧〉だから夜です。そうすると暗い中を子の手を引いている、主に触覚の句だということがわかります。幼い子は眠くなると手足が温かくなります。もう眠いわね、と子の手をとる母の姿と、眠くて朦朧とした子の表情が見えて来ませんか? 「引いてやる」の「やる」も生きてきますし、手から手へ伝わるぬくみもひとしお愛おしいものに思われます。
朧の傍題として〈草朧〉〈谷朧〉〈花朧〉……といろいろな朧が並んでいますが、すべて夜の景です。
草深くなりたる家の朧かな 鷲谷七菜子
どんな死となるやらわが身の末おぼろ 倉橋羊村
草朧夜明けの匂ひして来たり 金久美智子
天地人この世のおぼろ花おぼろ 黒田杏子
また趣は変わりますが、昼夜を間違えやすい例として〈花明り〉も挙げておきましょう。〈花明り〉は満開の桜が闇の中でもほのかに明るく見えることを指します。
乱声(らんじょう)や花明りなみなみとあり 安西 篤
空中の浮遊物が失せ、クリアに見通せる季節の到来が心から待たれる昨今の私ではありますが、ものは言いよう、気はもちよう、輪郭の定かならざる情緒を今だけのものとして楽しみたいものです。(正子)