今月の季語(二月)節分
〈節分〉と聞けばとっさに二月の〈豆まき〉を思う私たちですが、本来は節を分ける日、季節の境目すべてにある日です。『広辞苑』にも①に「季節の移り変る時、すなわち立春・立夏・立秋・立冬の前日の称」とあり、②に「特に立春の前日の称」と記載されています。
では何故、立春の前日が節分の代表のような扱いになるのでしょう。
新暦に生きる私たちには馴染みが少ないですが、かつては立春が元日であり、その前日といえば、一年の最後の日大晦日だったから。つまり一年でいちばん大きな節目である年を分ける日だったからでしょう。
暦のことを考え始めると、割り切れないことがいろいろ出て来ますが、旧暦のころにも〈年内立春〉のようなイレギュラーはありました。とりあえず暦問題には触れず、冬と春の境目に行われる行事についてみていきましょう。
〈追儺(ついな)〉は、もともとは大晦日の夜に悪鬼を祓う儀式として行われていた宮中の行事です。中国から伝わり、古くは奈良時代にその記録があります。〈なやらひ〉〈鬼やらひ〉とも言います。かの『源氏物語』にもそのシーンがありますから、お好きな方は探してみてください。
あをあをと星が炎えたり鬼やらひ 相馬遷子
匂ふほどの雪となりたる追儺かな 小林康治
一方〈豆撒き〉は民間由来の行事です。今では〈追儺〉も〈豆撒き〉も同じように使われますが、起源の違いが語感の違いになっているような気もします。
山神に供へし豆を山へ撒く 殿村菟絲子
子が触れたがる豆撒きの父の枡 鷹羽狩行
〈鬼は外〉〈福は内〉のはやし言葉や、〈鬼打豆〉〈年の豆〉〈鬼の豆〉〈福豆〉など撒かれる豆自体を季語として使うこともできます。
「福は内」とは照れくさきせりふかな 山上樹実雄
福豆に齢の残りは数へざる 安住 敦
年の豆噛みつつアガサクリスティー 草間時彦
かつてはわが家でも〈鬼の面〉をかぶった父を子らが大声で追い、盛大に〈豆を打つ〉ことをしましたが、年々声が小さくなり、いつしか行わなくなりました。
追はれてや脇にはづるる鬼の面 荷兮
また、最近の住宅街ではあまり見なくなりましたが、焼いた鰯の頭を柊の小枝に刺して門口に挿して魔除けにすることもありました。
門にさしてをがまるるなり赤いわし 一茶
柊を挿す艮(うしとら)の雲の色 辻田克巳
民間行事の場合は地方や家ごとに作法が違ってくるものです。皆さまのお宅ではいかがですか?
年に四回ありながら、一回しかないと思われている日が他にもあります。たとえば土用。立秋前の十八日を指す夏の土用の、中でも丑の日が有名ですが、実は季節ごとにあります。季語になっているのは夏の土用のみですから、いちばん身体にこたえると思われていたのかもしれません。
ほかにもこれに類する例があります。歳時記を繰って探してみてはいかがでしょう。(正子)