今月の花(五月)都忘れ
名前を聞いただけで、その植物の性質が推し量られるものがあります。
丈がせいぜい四十cmの都忘れは、直径三cmほどの花を茎の頭頂につけます。覗いてみれば中心の筒状花は黄色く、その周りをとりまくはなびらの元はきゅっと絞られています。小さな花弁は薄紫、白、ピンク、濃いめのピンクなどがありますが、花屋さんでの切り花や鉢植えでは濃い紫が多く見かけられます。やや艶のある葉は、キク科に属す植物の特徴のひとつである切れ目があります。
都忘れは、もともと野春菊ともいわれる「みやまよめな」から園芸種として改良されたもので、日本が原産です。
小学生のころに住んでた家の小さな庭は、連翹が散り、桜の最後の花びらが数枚どこからか舞い込んでくるころ、薄い紫の都忘れが咲いていました。この花は早春から咲く種類もあるといわれますが、我が家では少し遅く咲きました。春のけだるさをその薄紫の色に現しているようで、私の好きな花のひとつでした。
庭の手入れを特別にしていた記憶がなかったのは、仮住まいだったせいもあったのでしょうか。幼い私はそんなことを知るはずもなく、都忘れを庭から勝手に切ってきて、鼠色の深めの鉢にたっぷりと水をいれ、そこにそのままさっといれていました。可憐な花とともに、少し濃くなった葉の緑は水の中に入ったものはことのほか瑞々しく見えて、子供心にも少し汗ばむ季節の到来をどこかで感じていたのでしょうか。
順徳天皇(1197-1242)は百人一首の最後の歌の作者として知られています。「ももしきや古き軒端のしのぶにもなほ余りある昔なりけり(順徳院)」という歌は多くの方がご存知です。晩年には佐渡に流された順徳院は、こんな歌も詠んでいることを知りました。
いかにして契りおきけむ白菊を都忘れとなづくるも憂し
四十六歳で佐渡で崩御した順徳院が愛でた花は、私たちが今見ている都忘れとは違う花かもしれません。しかし愛らしい白い花が都を忘れさせてくれるのは、外に向かって華やかに語りかけるのではなく、なぜか人の心の内に向かって染み込んでいくようなこの花の魅力ゆえだと歌われているのであれば、現代の都忘れにもその面影が残っていると思われてくるのです。(光加)