【猫の俳句】NO2
この俳句を発表した折、「そんなことがあったんですか」「猫を飼っているんですね」などとよく言われた。紙のお雛様を猫が倒したのを目撃したことはないし、猫も飼っていない。でもそう思われたのは、この句に一抹の真実が感じられたからだろう。
昔、京都の歌詠み人たちは都から一歩も出ずに一生を終える人が大半だったが、彼らは松島の月を詠み、吉野の桜を歌った。それは想像力の作物だったが、ただ想像しただけでは心を打つ作品は生まれない。そこには実感を伴う真実が不可欠。遠い歌枕の地をぼうっと感じながら心の中に浮かぶもの、それが真実だったのではないか。現代は居ながらにして世界中どころか宇宙までが見られる時代。そこですべて見た気にならず、少しの間ぼうっと心に浮かぶものを待ってみてはどうだろう。 飛岡光枝
(「杜今日子展によせて」より転載)