今月の花(十一月) 枯蓮
夏、床から天井までガラス張りになった開放感あふれる区民センターの向こうには皇居の堀が見え、数えきれない蓮の葉が青々と揺れていました。隣が病院ということもあるからでしょうか、車いすを押してもらいながら白髪の婦人が堀の端の木製の遊歩道で、蓮の間から渡ってくる風に吹かれながら気持ちよさそうに緑色の蓮を見ていました。
晩秋、久しぶりに訪れたこの場所は枯蓮の堀と化していました。トロンとした水の中から立ち上がるもの、ハチスと呼ばれる葉柄の先の頭を水の中につけたもの、それさえもなくなりただ線となって残っているもの、茎の途中から折れて鋭い角度を保っているもの。遠くから見ると焼けた鉄の線のようになりながら、静寂の中、各々が個性的な線を作っている蓮の姿がそこにありました。このお堀はこんなに広かったとは!蓮の葉が密集していた時にはわかりませんでした。
どこか悲し気な枯蓮のこの光景は、やがて桜や菜の花、諸葛菜にとってかわられるまで雪をかぶったり、中には水に沈んで姿をまったく隠したりと静かな時がながれます。しかし蓮には長い地下茎があり、春にはまた水に浮く小さな葉をつけ、葉はだんだんと成長して葉柄も伸びやがて水から出はじめます。
蓮はその実から作る蓮餡や甘納豆のようなお菓子、レンコンの料理など応用範囲が広く、薄いピンクや白の花を観賞するのみにとどまりません。
私たち花をいけるものにとっても蓮は魅力的な花材です。葉と花は切り取るとそれ自身では水を吸わないので特別なポンプで注入します。最盛期の美しさはもちろんですが、葉に関しては枯れ始めて色の変わりかけた頃から、すっかり乾ききって茶色くなった葉に至るまで、ひとつひとつ違った形に惹かれます。枯れた蓮の実もその形をいかします。
ある夏のこと、お花屋さんに行ってみると、網に蓮の茎を通し葉の中心に小さく丸めた新聞紙をおいていました。こうしておくと葉がまるまっていき、形のいい枯れた葉の形ができるそうです。時には自然も人の手をかりて、恰好をつけることもあるのです。(光加)