〈八月〉は季感の取り方が難しい時期であり季語ですが、それ以上に悩ましいのが〈七夕〉です。
これまでは(新暦の)カレンダー通りに、七月七日に雨の七夕を詠むのも一興と考えてきましたが、今年は歳時記に則って文月七日(二〇二六年は八月十九日)に詠んでみようかと思っているところです。八月十九日にもなれば、さすがに梅雨は明けています。空模様はその日次第ですが、雨になったらなったで〈催涙雨〉だと思えばよいのですから。
文月や六日も常の夜には似ず 芭蕉
『おくのほそ道』の旅の途次、明日は七夕という夜に芭蕉が詠んだ句です。このあとにはかの有名な、
荒海や佐渡に横たふ天の河 芭蕉
が続きます。元禄二(一六八九)年の七夕は晴れていたようです。
みちのくの雨に七夕かざりかな 小澤 實
東北地方にはひと月遅れの八月上旬に七夕の行事を行っているところがあります。たとえば今年の「仙台七夕まつり」は八月六~八日の開催。この句もおそらくひと月遅れの、本来の七夕に近い日のできごとでしょう。
人住めぬ町に七夕雨が降る 高野ムツオ
これもまた「みちのく」の句でしょう。放射能により「住めぬ町」となったところへ、住めなくなった人々の涙雨が降り継いでいるのです。
私が文月七日にこだわってみようと思ったのは、我が家が完全に老人世帯となったからにほかなりません。小中学生が身近な存在であったころは、どこやらから笹を都合してきては、自宅でも短冊や折紙細工で飾り付けをしていました。成人したのちも「子」と名のつく存在が家うちにいたころには、そうした記憶の尾を捕まえることがたやすかった気がします。
七夕竹切りし飛沫を浴びにけり 能村登四郞
女の子七夕竹をうち担ぎ 高野素十
星合の世のいきいきと筆硯 後藤比奈夫
♪ささのは さ~らさら と歌われますが、笹のみでは季語とはならず〈七夕竹〉とします。江戸時代には〈七夕竹売〉がいたようです。竹のほかに短冊や飾り物など、必要なもの一式を取りそろえていたそうですが、さてどんな節回しで売り歩いたのでしょうか。
梶の葉の文字瑞々と書かれけり 橋本多佳子
芋の葉の露を硯に移して、紙ではなく〈梶の葉〉に書くこともあったとか。今では七夕の設えをしている神社などへ出かけないと見られなくなりました。
そうしたところには〈願(ねがひ)の糸〉が懸けられていることがあります。短冊を吊す糸のことではなく、楸(ひさぎ)の葉に刺した金銀の針七本のそれぞれに通した〈五色の糸〉のことです。
爪立ちて願の糸を高く懸け 下村非文
ともあれ、身を置く環境がかくも変わっていたことに、ある日愕然と気づいた次第。
子を連れて子が来る七夕竹伐らな 大石悦子
次は、健やかにこうなることを願いつつ。(正子)









