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カテゴリーアーカイブ: 今月の季語

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十一月 枇杷の花 柊の花 

caffe kigosai 投稿日:2025年10月17日 作成者: masako2025年10月22日

枇杷はバラ科、柊はモクセイ科。どちらも常緑ですが、木の姿も花の形もまるで異なります。共通するのはその佳き香り―と聞いて「え、枇杷の花って香るの?」と思われた方もいらっしゃるでしょう。私も自分の鼻でその香りを捉えたのは、さほど昔のことではなく、二〇一九年十一月のことでした。

「俳句四季」十一月号(十月二十日刊行)にそのいきさつを長々と書きましたので詳細は省略しますが、その日、どこよりか芳しい香りが漂ってきてあたりを見回すと、大きな枇杷の木が遠目にもわかるほど白く花を付けていました。何度も通った場所ではありました。ここに枇杷あった? 枇杷の花って香るの? 近づくにつれ強くなるその香に、同行の者は皆、絡め取られるように酔い痴れたのでした。

例句を調べると、

蜂のみが知る香放てり枇杷の花              右城暮石

香りの句もありますが、芳香を絶賛しているわけではなさそうです。

十人の一人が気付き枇杷の花                高田風人子

一人が「いい匂い」と気付いた可能性も無くはないのですが……。

満開といふしづけさの枇杷の花             伊藤伊那男

故郷に墓のみ待てり枇杷の花                福田蓼汀

裏口へ廻る用向き枇杷の花                    山崎ひさを

やはり裏手にあたるところにひっそりと咲く花のようです。

「俳句四季」には三十名の会員に句を寄せていただきましたが、その中に香りの句が三句ありました。

明かぬ夜やきのふの枇杷の花匂ふ    堀口知子

このにほひは母の鏡台枇杷の花             原田桂子

ふるさとの甘やかな風枇杷の花             仙波玉藻

二〇一九年の体験以来、私は枇杷の花を見つけると、必ず寄って行くことにしていますが、いつも香るとは限らないようです。ものの本には、花が黄色くなるにつれ、強く香るとありますが。

この冬、皆さまにも枇杷の花の香りを確かめていただければと願っています。

柊の花のほうは、その香を知らぬ人はいないでしょう。モクセイ科なだけはあるという香りです。こちらも花自体はさほど目立たず、芳香によってその存在に気付くことが多いようです。

柊の花一本の香かな                 高野素十

柊のひそかな花に顔よせて          星野立子

素十の句は、たった一本あるだけでこれほどまでに香る、と読みたいですし、立子が顔をよせたのは、その芳香ゆえ、と思います。

私自身がその香に吸い寄せられた定かな記憶は、一九九九年十一月下関でのことです。少しひんやりした日でした。ふいにその日の空気より冷たい流れが頰に触れ、モクセイ? と思いました。が、既にその季節は過ぎています。ではヒイラギ? あたりにそれらしきものが無いので、探しながらさらに進むと、一軒をすっぽりと囲む生垣がどうやらそれらしく思われました。近づくと「ヒイラギモクセイ」と札が付いていました。欲張りな名前だなあ…。その後のことは、句会場の床の間に柊が生けられてあったこと以外の記憶が欠落しています。

ひひらぎの生けられてすぐ花こぼす      髙田正子

ひひらぎの花まつすぐにこぼれけり

思い出から拾った、初冬の芳しい花ベスト2でした。 (正子)

 

 

十月 秋果(2)

caffe kigosai 投稿日:2025年9月19日 作成者: masako2025年9月27日

何年か前に「秋果」のテーマで初秋のころの果物をとりあげ、その結びに「今から柑橘類が次々に旬を迎える」と書いていました。今月はその柑橘類をとりあげます。

とはいうものの、柑橘類は種類によって出回る時期が多岐にわたっています。殊に「みかん」と呼ばれるものは、新種も加わってざっと10月から5月ころまで、いつも何かが旬を迎えています。柑橘好きにはうれしい、贅沢な時代になったものです。

ひとまずここでは秋(から少し冬に入ったところまで)に限って、季語と例句を見ていきましょう。

〈蜜柑〉(温州みかんを指すことが多い)が熟すのは冬に入ってからですから冬の季語です。それに先立ち、秋の季語として〈早生蜜柑〉〈青蜜柑〉があります。

船はまだ木組みのままや青蜜柑             友岡子郷

青みかん置いてそのまま夜の脚立           岩津厚子

蜜柑出荷用の船でしょうか。木に生っている蜜柑はなお青く、船も仕上がっていないということでしょう。

脚立は収穫のために立てたものでしょう。そのまま放置され、夜になっているのです。青みかんは単数とも複数とも解せますが、私はとりこぼした1個がぽつりと置かれている景を思いました。

ちなみに〈蜜柑〉のみで実を指します。花をいうときには〈蜜柑の花〉(夏)とします。

花蜜柑島のすみずみまで匂ふ               山下美典(夏)

近景に蜜柑遠景に蜜柑山                   宇多喜代子(冬)

緑の葉影に真緑の実をつけていた〈柚子〉は、黄金色に熟れ始めます。ご存知のように、果肉をそのまま食することはありませんが、果汁を調整して飲料にしたり、調味料として広い用途があります。冬の鍋物には欠かせない存在でもあります。

柚子すべてとりたるあとの月夜かな         大井雅人

柚子の香のはつと驚くごと匂ふ             後藤立夫

柚味噌やひとの家族にうちまじり           岡本 眸(秋・生活)

ふるさとの無くて柚餅子の懐かしき         文挟夫佐恵(同)

黄金の実をとってしまえば、柚子は単なる緑の木となります。夜ともなれば黒々とした一塊の影となるでしょう。そこへ昇ってきたのが月です。なにがなし凜々と生っていた実の再来のようにも思われます。

柚子は色佳し香り佳し。表皮も削いだりおろしたりして料理に使われます。〈柚味噌(ゆみそ/ゆずみそ〉や〈柚釜(ゆがま/ゆずがま)〉、〈柚餅子(ゆべし))は、かつてはそれぞれの家庭の味でもありました。

秋刀魚を焼いたときに添える〈酢橘・酸橘(すだち)〉はピンポン玉ほどの大きさです。松茸料理にも欠かせません。徳島の特産品です。すだちより一回り大きい〈かぼす〉はまろやかな酸味が特徴。大分産が有名です。

ふたり住むある日すだちをしたたらす       黒田杏子

年上の妻のごとくにかぼすかな             鷹羽狩行

その名が体を表す〈金柑〉も晩秋に熟します。果皮ごと生食できますが、甘露煮や果実酒などにもします。次の句の季節は冬(季語=〈霜夜〉)ですが、金柑といえば思い出す私の愛称句です。

金柑を星のごと煮る霜夜かな        黒田杏子            (正子)

今月の季語(9月)秋の水

caffe kigosai 投稿日:2025年8月18日 作成者: masako2025年8月23日

朝晩は鉦叩が鳴き、ときには他の虫も加わって、うっすらと秋を感じるようになってきました。が、昼は相変わらず残暑に焙られているような日々です。涼を求めて水辺に寄ることも、まだまだ多いのではないでしょうか。水辺で秋の季語、見つけてみませんか?

〈秋の川〉(秋の池)〈秋の湖〉は(もちろん)秋の季語です。この形で見出しに掲載されており、三秋(秋の間はずっと)使えます。

秋の川真白な石を拾ひけり             夏目漱石

鳰の子のくゞる稽古や秋の池          青木月斗

山襞の折目正しく秋の湖               金箱戈止夫

漱石の真白は秋の色である「白」を意識してもいるでしょう。流れの中に白い石を認めて拾い上げたととらえると、流れの清涼感も覚えます。

月斗の鳰の子は、この夏浮巣で孵った雛でしょう。雛は哀れなことに減っていきますが、ここまで育った「子」が池の面に何度も何度も水の輪を作っているのです。

戈止夫の山は襞をしっかりたたんでいます。それをそっくり映し出している湖面も鏡面を成して明るいことでしょう。

句の水辺はどれもそれぞれに静かで、水が澄んでいる感じです。今年は気温が下がり切らず、水もまだまだぬるそうですが、昨日よりは澄んでいるかも、と覗いてみるのはどうでしょう。〈水澄む〉は秋の季語です。

水澄みて四方に関ある甲斐の国        飯田龍太

よぎりたる蜂一匹に水澄める          深見けん二

龍太の句からは水音が聞こえてきそう。対してけん二の句は、蜂の翅音のみを私は想像しますが、皆さまはいかがでしょうか。

水が澄む季節であることを讃える〈水の秋〉という季語もあります。

病む父のほとりに母や水の秋          長谷川櫂

平らなる広がりにあり水の秋          桂 信子

父と母が身を寄せ合って日々を過ごしていることが「ほとり」という柔らかな語感から伝わってきます。「ほとり」は水の縁語でもあります。〈水の秋〉という季語は、両親の凪いだ暮らしを願う子の祈りでもありましょう。

信子は、この平らで広らかなことこそが〈水の秋〉の本意だ、ここはまさにそういう美しさだと眼前の景を褒め讃えています。この句、もし〈水の秋〉でなく〈秋の水〉であったらどうでしょう。「平らなる広がりにあり秋の水」――そりゃ水は平らだよね、と突っ込みたくなりそうです。〈秋の水〉も澄んだ水を讃える季語ですが、こちらは水そのものを強調します。水も含めて水辺の秋を讃えるのですから〈水の秋〉。似て非なるところを汲みましょう。

草に触れ秋水走りわかれけり          中村汀女

秋の水ひかりの底を流れけり          井越芳子

水が走る、水が流れる、と汀女も芳子も確かに水そのものを詠んでいます。

水辺に降りると、夏の間は青くそよいでいた蘆に穂が出、中には絮を飛ばし始めたものもあります。蒲にもソーセージのような穂が。

蘆の花近寄るほどに高くなる          右城暮石

海山の神々老いぬ蒲の絮          田中裕明

いろいろなものが秋を告げています。さがしてみましょう。

(正子)

今月の季語(八月) 秋草

caffe kigosai 投稿日:2025年7月19日 作成者: masako2025年7月23日

〈秋草〉は秋の野山に見られる草の総称です。夏には〈夏草〉が繁茂し、秋には〈秋草〉が咲き乱れるといったイメージでしょうか。

 

わが丈を越す夏草を怖れけり          三橋鷹女

秋草に跼めば日暮れ迅きこと          折笠美秋

 

とはいえ、秋草と呼ばれる種類の草も、夏のうちから結構な茂り具合をしています。それらがいっせいに花をつけ、その場所を〈花野〉と呼ぶにふさわしくなるのが秋なのでしょう。

 

満目の花野ゆき花すこし摘む          能村登四郎

 

中でも〈秋の七草〉は代表とみなされている七種の草です。

 

萩の花尾花葛花瞿麦(撫子)の花女郎花また藤袴朝貌(あさがほ)の花 山上憶良   ※朝貌は桔梗とされる。

 

憶良の歌の順に例句を抽いてみましょう。

白萩の走りの花の五六粒                         飴山實

をりとりてはらりとおもきすすきかな          飯田蛇笏

あなたなる夜雨の葛のあなたかな               芝不器男

大阿蘇や撫子なべて傾ぎ咲く                       岡井省二

女郎花少しはなれて男郎花                        星野立子

すがれゆく色を色とし藤袴                              稲畑汀子

桔梗(きちかう)や男も汚れてはならず      石田波郷

 

誰もが思い浮かべる句が多いことに気付くでしょう。憶良のころから数え上げられていた草々だから、という思いが俳人を駆り立てるのでしょうか。それとも誰もが自ずと詠みたくなる草だからこそ七草足りうるのでしょうか……。

もちろん七草のほかにも数えたい草はたくさんあります。

 

吾亦紅ぽつんぽつんと気ままなる      細見綾子

水引のまとふべき風いでにけり        木下夕爾

旅びとを濡らせる雨に濃竜胆          下村槐太

頂上や殊に野菊の吹かれをり          原 石鼎

 

もっとも〈野菊〉は固有名詞ではありませんが。

あなたなら何を加えますか?

 

〈秋草〉の傍題には〈千草〉〈八千草〉〈色草〉があります。

 

淋しきがゆゑにまた色草といふ        富安風生

風の出て千草たちまち八千草に        鷹羽狩行

 

歳時記には別見出しで掲載されている〈草の花〉という季語があります。〈秋草〉を〈千草〉〈八千草〉と言い換えるとイメージがかなり近くなりますが、〈草の花〉のほうが総じてひっそりと静かな印象です。

 

名はしらず草毎に花あはれなり        杉風

原発まで十キロ草の花無尽               正木ゆう子

死ぬときは箸置くやうに草の花        小川軽舟

 

秋の野の、花をつけている草すべてが対象になりそうな季語ですが、「名はしらず」――これが〈秋草〉とのいちばんの違いでしょうか。

 

私の師、故・黒田杏子は〈秋草〉の句は旺盛に詠んでいますが、〈草の花〉は一句も残していません。尋ねる機会は永遠に失われましたが、意識して画然と線を引いていたのだと思います。

 

その名を意識しながら輪郭を明確にして詠むのか、茫々と遠まなざしになって詠むのか、といった作句のスタンスに関わる選択であるのかもしれません。(正子)

 

 

今月の季語(七月) 暑し  

caffe kigosai 投稿日:2025年6月20日 作成者: masako2025年6月22日

〈薄暑〉は初夏、〈極暑〉〈溽暑〉〈炎暑〉は晩夏の季語です。〈暑し〉はこれら一切を合わせた総称です。春の〈暖か〉、秋の〈冷やか〉、冬の〈寒し〉に対する、夏の体感を表す季語です。

手の平にひたひをささへ暑に耐ふる    阿波野青畝

世にも暑にも寡黙をもつて抗しけり    安住 敦

明治生まれの二人です。青畝は打ちひしがれているようであり、敦は憤って真っ赤になっていそうです。「暑」とあるのみですが、「薄」であろうはずはなく「極」や「溽」が籠められていそうです。

電柱の影一本の暑さかな             森川光郎

電柱のほかに影は無いのです。田や畑の中の一本道でしょうか。炎天下と言ってもよさそうな場所を、自分の影を曳きながら歩いて行くさまを思います。

暑きゆえものをきちんと並べをる       細見綾子

暑に耐へて話の筋は通すべく         三村純也

こちらは姿勢の正しい二人です。心頭滅却せよと喝を入れられる心持ち。そうしなければ負けてしまうほどの暑さでもあるのです。

マヨネーズおろおろ出づる暑さかな    小川軽舟

対してこちらは、もうどうしようもないよ~と両手を挙げているような句。作者自身は筋金入りのビジネスマンですが、敢えて掛金を外したような詠みぶりが面白いです。

あれほどの暑さのこともすぐ忘れ       深見けん二

喉元過ぎれば、ではありませんが、忘れたい体感は過ぎてしまうと忘れるものかもしれません。けん二も、我ながら現金と思っていそうです。

そうした最中なればこそ、ふとした折に覚える涼しさに身も心も生き返る心地となります。〈涼し〉は〈暑し〉ゆえに生きる季語です。

此あたり目に見ゆるものはみな涼し    芭蕉

涼しさや鐘をはなるるかねの声        蕪村

皮膚で感じるだけでなく、視覚や聴覚で捉える涼しさもあります。

一筋の涼しき風を待ちにけり         大峯あきら

音などでもうすぐここまで来るとわかっているのだと、素直に受け止めてもよいのですが、まだ風は作者のところまで至ってはいません。もしかすると「一筋の涼しき風」は絵に描いた餅に終わるかもしれないのです。そうなると〈涼しき風〉を詠みながら実際には〈暑し〉の句になる……「待ちにけり」が俄然面白く思えてきます。

虚子の部屋涼し立子の部屋いとし       後藤比奈夫

孫といふ涼しき命抱きにけり         今瀬剛一

百年後全員消エテヰテ涼し           小澤 實

これらは心で感じる涼しさといえましょうか。比奈夫の父は夜半です。父の師である虚子への敬意と、直接の師である立子(虚子の二女)への慕情を感じます。剛一が抱いたのは初孫でしょうか。感動に震える瞬間に違いありません。實は皮肉っぽい口調でサバサバと言い放つ感じです。今この世にいる私たちはもちろん消えていますが、人類が消滅していないことを祈ります。(正子)

 

今月の季語(6月)木の花(2)

caffe kigosai 投稿日:2025年5月17日 作成者: masako2025年5月18日

新緑から万緑へ移りゆくころとなりました。南のほうから梅雨前線も迫ってきています。そんなころの木の花(木本の意で使っています)として、誰もがまず思い浮かべるのは〈紫陽花〉ではないでしょうか。色の七変化が楽しいだけでなく、花や葉の形に意匠を凝らした園芸種が次々に生まれています。

紫陽花や白よりいでし浅みどり         渡辺水巴

あぢさゐの藍をつくして了りけり           安住 敦

移り気という花言葉もあるそうな。そういう紫陽花なればこそ、

あぢさゐやきのふの手紙はや古ぶ       橋本多佳子

という句も実感とともに受け止めることができるのでしょう。

陰湿な環境を好む紫陽花ですが、ある意味ではこの時期の花形ともいえるでしょう。

ザクロの木が遠くからでもぱっと目を引く朱い花をつけるのもこのころです。

花石榴雨きらきらと地を濡らさず      大野林火

日のくわつとさして石榴の花の数      小林篤子

近くで仰ぐとガラス細工のような…。「雨きらきら」や「くわつと」射す日に、その透明感が際立ちます。

柿若葉重なりもして透くみどり       富安風生(初夏)

若葉のころには息を呑む美しさであった柿の木は、更に茂って葉の数が増えるだけでなく、葉の厚みが増すからでしょうか、晴れた日には照り、雨の日には冥い木になっています。が、よくよく仰ぐと、青葉の間に薄緑にも見える花をたくさんつけています。大概は木の下にこぼれた花を見て気づくことになりますが、壺型の硬質な象牙色の花です。

柿の花こぼれて久し石の上            高浜虚子

百年は死者にみじかし柿の花         藺草慶子

呼鈴に声の返事や柿の花               小川軽舟

掃き寄せられなければいつまでも転がっているような質感です。昭和一桁生まれの女性が、紐で繋いで首飾りにして遊んだとおっしゃっていましたが、宜なるかな。

視覚より嗅覚に訴えてくる花としてはまず〈栗の花〉でしょうか。

花栗のちからかぎりに夜もにほふ     飯田龍太

栗咲く香この青空に隙間欲し         鷲谷七菜子

ムッとした青臭い匂いにあたりを見回すと、かなり遠くに噴水のような花盛りの栗の木を見つけることがあります。ここまでに「にほふ」のかと驚くほどです。

〈椎の花〉もなかなか強烈。神社などでよく見かけます。

椎の花鉄棒下りし手のにほふ         福永耕二

芳香の代表としては〈定家葛の花〉を挙げてみましょう。

虚空より定家葛の花かをる           長谷川櫂

蔓性なので巨木に巻き上って高みから香を降りこぼします。好んで生垣に使う人もいます。先日グリーンカーテン状にしているお宅を見つけ、羨ましく思ったのですが、常緑なので冬は日当たりに問題が出るのでは、とつい余計な心配をしたのでした。(正子)

今月の季語(5月)薄暑

caffe kigosai 投稿日:2025年4月17日 作成者: masako2025年4月17日

「家のつくりやうは夏を旨とすべし」と兼好法師も書いていますが(『徒然草』第55段)、日本の夏がしのぎ難いのは、今に始まったことではないようです。まずは「暑さ」の確認から始めましょう。

手もとの歳時記に載っているだけでも〈薄暑〉〈極暑〉〈溽暑(じょくしょ)〉〈炎暑〉と暑さの程度がこまやかに(!)表示されています。〈極暑〉の傍題には〈酷暑〉〈劫暑(ごうしょ)〉〈猛暑〉を置き、〈溽暑〉はわざわざ〈蒸暑し〉と言い換えもしています。さらに〈炎暑〉の傍題には〈炎熱〉が。もはや焼けただれそうです。

昔から、〈暑し〉という一語では済ませたくないほど暑い、と言いたかった気持ちがひしひしと伝わってきます。

蓋あけし如く極暑の来りけり          星野立子

静脈の浮き上り来る酷暑かな          横光利一

我を撃つ敵と劫暑を倶にせる         片山桃史

奪衣婆に呉れてやりたき猛暑かな     佐怒賀正美

点け放つ鶏舎の灯溽暑なり             飯島晴子

地下道を首より出づる炎暑かな       山本一歩

炎熱や勝利の如き地の明るさ          中村草田男

どの句も実感に満ち満ちています。この中でひと味違うのが草田男の句です。外へ出ようとしてその眩しさを白いと思い、怯んだ経験は誰にでもあるでしょう。ですがそれを「明るさ」で、しかも「勝利の如き」と、まるでファンファーレのようにとらえられる人がどれほどいるでしょう。

この句は昭和22(1947)年の作。日本が敗戦の底にあえいでいた時代です。自解に「『勝利』を口にのぼし得る可能性が絶無である歴史的段階が、却って私をしてその語を叫ばしめた」と語っています。「如き」を付けざるを得なくても「勝利」の語を使わないと自らの生を維持できないほどの激情が、〈炎熱〉の景と向き合った草田男にほとばしったのです。その激情と均衡をとり得たのが〈炎熱〉という季語だったと言うこともできるでしょう。

奇しくも草田男が亡くなったのは1983年8月5日。その忌日を〈炎熱忌〉といいます。

炎天こそすなはち永遠の草田男忌     鍵和田秞子

〈暑し〉も〈暖か〉や〈涼し〉と同様に、身体感覚のみならず心情表現に使うことができる、ということでもありましょう。

さて、そこで〈薄暑〉です。冒頭に「暑さの程度」と記しました。うっすら暑いという意味ではその通りなのですが、たとえば極暑のころに「今日はそれほどでも」と感じる日があったとして、それを薄暑と呼ぶか、といえば否でしょう。薄暑は暑さへの入口。「ゆきあひの暑さ」ではないでしょうか。

街の上にマスト見えゐる薄暑かな     中村汀女

むかうへと橋の架かつてゐる薄暑     鴇田智哉

コントラバス改札通る薄暑かな       大西 朋

〈暖か〉とはもちろんのこと〈春暑し〉とも違う、夏の到来を喜ぶ心や、すこし汗ばむことによって季節のめぐりを確かめる気分を感じます。私もかつて、

もの買うて薄暑の街になじみけり     髙田正子

と詠んだことがあります。友人たちと谷中を歩き回った日のことでした。吟行で行ったのですが、いせ辰に寄ったらすっかり買物モードに。収穫を抱えて出たら、街の色あいが変わった気がしました。そのときの気分は〈夏来る〉、もしくは〈はつなつ〉であったような…。

私の場合は好きな季節でもあり、こんな表現になりましたが、季節を表す語と体感が噛み合う体験であったと今では思います。

さあ、今年もあっという間に暑くなりますよ。その前に〈薄暑〉でぜひ一句。(正子)

 

今月の季語(4月) 暖か

caffe kigosai 投稿日:2025年3月15日 作成者: masako2025年3月21日

暖冬だとうかうかしていたら、立春を過ぎて妙に冷え込み、地域によっては大雪にもなり、春の実感の遠い今年となりました。それでも春の光を見出し、風の匂いを嗅ぎ、あるいは花粉に悩まされたりしながら、春の体感を整えていきます。

あたたかな雨がふるなり枯葎         正岡子規

〈暖か〉は三春通して使える季語ですが、これは早春のあたたかでしょう。雨を得て枯葎が茫々とあたたかそうにも見えるのです。

あたたかに鳩の中なる乳母車         野見山朱鳥

日溜りに乳母車と鳩の群れ。当然幼子とその母(父)の姿もあるはずです。視覚的にあたたかくもありそうです。

構成員は異なりますが、構図が似ているこんな句もあります。

村中が見えて墓山あたたかし         ながさく清江

〈暖か〉は時候の季語ですから、基本的には気温が暖かの意です。が、それとは別に、心に感じるあたたかさを表すこともできます。

暖かにかへしくれたる言葉かな              星野立子

眠さうに暖かさうに観世音                      星野 椿

いまのことすぐに忘れて暖かし              稲垣きくの

立子(母)の句は、その言葉に喜びを覚えています。椿(娘)は観世音に春眠の気配を感じているのでしょうか。きっと本人もうっとりと眠りたい心地だったのでしょう。きくのの〈暖かし〉には救われます。同時にこの状況に〈暖かし〉と付けられるきくのの太っ腹に憧れもします。

あたたかや布巾にふの字ふつくらと   片山由美子

「ふ」の字形を詠んでいますが、ふきん、ふの字、ふつくら…と「ふ」の音を重ね、あたたかさを呼んでいるようです。

布つながりのこんな句を見つけました。

ハンケチに一日の皺夕桜                    小川軽舟

「一日の皺」は充足感でしょうか。花疲れで手足が温かくなってもいそうです。

〈麗か〉も春の季語です。〈暖か〉に明るさと美しさが加わったものととらえればよいでしょう。

麗かや野に死に真似の遊びして                    中村苑子

麗(うらら)とは老いに眩しきものならし    能村登四郎

「死に真似」とは一見恐ろしそうですが、季語が〈麗か〉ですから、花に埋もれる体勢をとっているのかもしれません。

また、ゆったりとした時間の要素を加えると〈長閑(のどか)〉になります。

のどかさに寝てしまひけり草の上            松根東洋城

さびしさや撞けばのどかな金の音            矢島渚男

本意以外のことを付けようとするとなかなか難しい季語でもありますが、詠むことで心が穏やかになっていきそうです。(正子)

今月の季語(三月)水草生ふ

caffe kigosai 投稿日:2025年2月18日 作成者: masako2025年2月20日

春の風は光るといいますが、光るのは風のみにあらず。子どものころの私は、耕しが始まるまでは田が遊び場所でしたから、用水路の音と光、田面の色と感触(ズック靴をどろどろにしては叱られていました)などなど、身の周りのすべてがきらきらし始めることを体で知っていた気がします。

水が光るのは雪解けにもよりますが、水生植物が芽吹き、水中の動物が活動を始めるからでもありましょう。

これよりは恋や事業や水温む        高浜虚子

東京高等商業学校(現・一橋大学)の卒業生を送る句。人も春の到来とともに新しく動き始めます。

水草生ふ水深きことかなしまず            山口青邨

〈水草生ふ〉はミクサオウと読みます。ミズクサオウと読むことも、〈水草生ひ初む〉の形で使うこともあります。この句は皇居の和田堀のあたりで詠まれたようですが、新社会人へのはなむけとも思えそうな句です。青邨は長く大学で教鞭をとった人でした。

水中のいよよなめらか水草生ふ            鷹羽狩行

〈水温む〉と〈水草生ふ〉が表裏一体の季語であることを思わせられる例句です。共に仲春の季語ですが、前者は「地理」の、後者は「植物」の章に収められています。

天地開闢萍の生ひそむる 斎藤愼爾

蓴生う魚たちの眼もふるふると   四ツ谷龍

「萍(うきくさ)」は水底で越冬し、春になると水面に浮いて増え始めます。あっという間に水面を覆う繁殖力に「天地開闢」は実にふさわしく思われます。「蓴(ぬなは)」はその文字で明らかなように「蓴菜(じゆんさい)」のことです。ちなみに萍も蓴菜も夏の季語です。「生ふ」がついて春の季語となります。

水中のみならず水辺にも大きな変化が現れます。

見え初めて夕汐みちぬ蘆の角        太祇

さざなみを絶やさぬ水や蘆の角            村上鞆彦

葦牙の水のつぶやき忘れ潮     佐藤鬼房

>蘆(あし)と葭(よし)は同じ植物を指します。その茎で作った簾を葭簀といいますが、春に芽ぐむときには〈蘆の角(つの)〉〈角組(つのぐ)む蘆〉〈蘆牙(あしかび)〉とするのが一般です。

角や牙のようにつんと尖った芽はたちまち生長し、晩春には若葉となります。

古蘆のけぶりかぶさる蘆若葉        深見けん二

若蘆の葉先の風に揃ひけり                今瀬剛一

前年の枯蘆を刈り取っていない場所には、けん二の句の景が現れます。また、丈がちぐはぐなままそよぐ蘆叢も見たことがありません。共に精緻な写生の技が光る句といえるでしょう。

水音の耳うち荻の角組まれ                 和久田隆子

荻は蘆とよく似ています。芽はどちらも尖っていますが、葉が伸びてくるとススキに似ているほうが荻と判別できます。船頭小唄の「河原の枯すすき」は実は荻のことではないかと、昔、近江八幡の船頭さんから聞いたことがあります。さてどうでしょう。

水辺に降りたら、ぬるんできた水をゆっくり覗いてみてください。(正子)

今月の季語〈二月〉 風光る

caffe kigosai 投稿日:2025年1月13日 作成者: masako2025年1月23日

春の風は光ると初めて耳にしたのはいつのことだったでしょうか。

風光りつゝ漣を作りつゝ                          高木晴子

風光りすなはちもののみな光る              鷹羽狩行

野山で遊んだ体験から、私がまっさきに肯うことができたのはこうした自然の光でした。雪解けの水も芽吹きも、どれもちらちら光って、外遊びの子どもの心を高揚させてくれました。

風光る白一丈の岩田帯                             福田甲子雄

産むために帰るふるさと風光る              鶴岡加苗

大人の心も、例えば命の誕生を待って輝きます。昨今は温暖化の影響でおかしなことになっていますが、それでも春の匂いを嗅ぎ当てると嬉しくなります。春の風は期待感を運ぶのかもしれません。

春風や闘志いだきて丘に立つ         高浜虚子

古稀といふ春風にをる齢かな         富安風生

虚子の春風はシュンプウ、風生はハルカゼと読めばよいでしょうか。同じ春の風でも読みによって印象が変わります。

兄妹にはるかぜ海を見にゆかむ              山田みづえ

春風に此処はいやだとおもって居る          池田澄子

みづえは読みを指定しています。澄子の春風はどうでしょう。風圧が「いや」ならシュンプウ、生ぬるさが「いや」ならばハルカゼでしょうか。あなたはどちらで読みますか?

泣いてゆく向うに母や春の風              中村汀女

ストローの向き変はりたる春の風            高柳克弘

「の」が挟まれば確実に優しい風になるようでもあります。

風吹くや耳現はるゝうなゐ髪              杉田久女

をさなごに生ふる翼や桜東風                仙田洋子

春になると、気圧の配置により日本列島は太平洋からの風を受けます。五行の考え方に則っても「春」の方角は「東」。〈東風(こち)〉は春を象徴する風といえるでしょう。

貝寄風や若く死にたる弟に                  榎本好宏

涅槃西風濁りて浪も黄なりけり              石塚友二

芋銭河童に踵のありて彼岸西風              神蔵 器

〈貝寄風(かひよせ)〉〈涅槃西風(ねはんにし)〉〈彼岸西風(ひがんにし)〉は西から吹く風です。貝寄風は聖霊会(聖徳太子の命日、旧暦2月22日)に捧げる貝殻を吹き寄せる風の意。好宏は弟を思うよすがにしています。涅槃西風は涅槃(旧暦2月15日)のころ、彼岸西風はお彼岸のころの西風です。

八荒の雲とも見えて比良の方                能村登四郎

春一番灯台守を眠らせず                    吉年虹二

春疾風すつぽん石となりにけり              水原秋櫻子

太陽にしろがねの環春北風                  森 澄雄

〈比良八荒〉〈春一番〉〈春疾風(はるはやて)〉〈春北風(はるきた)(はるならひ)〉は強い風です。

風の名前はバラエティーに富んでいます。時期、方角、強さ、それに伴うイメージの違いを意識しながら、詠み分けてみませんか。

(正子)

 

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スタッフのプロフィール

飛岡光枝(とびおかみつえ)
 
5月生まれのふたご座。句集に『白玉』。サイト「カフェきごさい」店長。俳句結社「古志」題詠欄選者。好きなお茶は「ジンジャーティ」
岩井善子(いわいよしこ)

5月生まれのふたご座。華道池坊教授。句集に『春炉』
高田正子(たかだまさこ)
 
7月生まれのしし座。俳句結社「青麗」主宰。句集に『玩具』『花実』『青麗』。著書に『子どもの一句』『日々季語日和』『黒田杏子の俳句 櫻・螢・巡禮』。和光大・成蹊大講師。
福島光加(ふくしまこうか)
4月生まれのおひつじ座。草月流本部講師。ワークショップなどで50カ国近くを訪問。作る俳句は、植物の句と食物の句が多い。
木下洋子(きのしたようこ)
12月生まれのいて座。句集に『初戎』。好きなものは狂言と落語。
趙栄順(ちょよんすん)
同人誌『鳳仙花』編集長、6月生まれのふたご座好きなことは料理、孫と遊ぶこと。
花井淳(はない じゅん)
5月生まれの牡牛座、本業はエンジニア、これまで仕事で方々へ。一番の趣味は内外のお酒。金沢在住。
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