「家のつくりやうは夏を旨とすべし」と兼好法師も書いていますが(『徒然草』第55段)、日本の夏がしのぎ難いのは、今に始まったことではないようです。まずは「暑さ」の確認から始めましょう。
手もとの歳時記に載っているだけでも〈薄暑〉〈極暑〉〈溽暑(じょくしょ)〉〈炎暑〉と暑さの程度がこまやかに(!)表示されています。〈極暑〉の傍題には〈酷暑〉〈劫暑(ごうしょ)〉〈猛暑〉を置き、〈溽暑〉はわざわざ〈蒸暑し〉と言い換えもしています。さらに〈炎暑〉の傍題には〈炎熱〉が。もはや焼けただれそうです。
昔から、〈暑し〉という一語では済ませたくないほど暑い、と言いたかった気持ちがひしひしと伝わってきます。
蓋あけし如く極暑の来りけり 星野立子
静脈の浮き上り来る酷暑かな 横光利一
我を撃つ敵と劫暑を倶にせる 片山桃史
奪衣婆に呉れてやりたき猛暑かな 佐怒賀正美
点け放つ鶏舎の灯溽暑なり 飯島晴子
地下道を首より出づる炎暑かな 山本一歩
炎熱や勝利の如き地の明るさ 中村草田男
どの句も実感に満ち満ちています。この中でひと味違うのが草田男の句です。外へ出ようとしてその眩しさを白いと思い、怯んだ経験は誰にでもあるでしょう。ですがそれを「明るさ」で、しかも「勝利の如き」と、まるでファンファーレのようにとらえられる人がどれほどいるでしょう。
この句は昭和22(1947)年の作。日本が敗戦の底にあえいでいた時代です。自解に「『勝利』を口にのぼし得る可能性が絶無である歴史的段階が、却って私をしてその語を叫ばしめた」と語っています。「如き」を付けざるを得なくても「勝利」の語を使わないと自らの生を維持できないほどの激情が、〈炎熱〉の景と向き合った草田男にほとばしったのです。その激情と均衡をとり得たのが〈炎熱〉という季語だったと言うこともできるでしょう。
奇しくも草田男が亡くなったのは1983年8月5日。その忌日を〈炎熱忌〉といいます。
炎天こそすなはち永遠の草田男忌 鍵和田秞子
〈暑し〉も〈暖か〉や〈涼し〉と同様に、身体感覚のみならず心情表現に使うことができる、ということでもありましょう。
さて、そこで〈薄暑〉です。冒頭に「暑さの程度」と記しました。うっすら暑いという意味ではその通りなのですが、たとえば極暑のころに「今日はそれほどでも」と感じる日があったとして、それを薄暑と呼ぶか、といえば否でしょう。薄暑は暑さへの入口。「ゆきあひの暑さ」ではないでしょうか。
街の上にマスト見えゐる薄暑かな 中村汀女
むかうへと橋の架かつてゐる薄暑 鴇田智哉
コントラバス改札通る薄暑かな 大西 朋
〈暖か〉とはもちろんのこと〈春暑し〉とも違う、夏の到来を喜ぶ心や、すこし汗ばむことによって季節のめぐりを確かめる気分を感じます。私もかつて、
もの買うて薄暑の街になじみけり 髙田正子
と詠んだことがあります。友人たちと谷中を歩き回った日のことでした。吟行で行ったのですが、いせ辰に寄ったらすっかり買物モードに。収穫を抱えて出たら、街の色あいが変わった気がしました。そのときの気分は〈夏来る〉、もしくは〈はつなつ〉であったような…。
私の場合は好きな季節でもあり、こんな表現になりましたが、季節を表す語と体感が噛み合う体験であったと今では思います。
さあ、今年もあっという間に暑くなりますよ。その前に〈薄暑〉でぜひ一句。(正子)