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カテゴリーアーカイブ: 今月の季語

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今月の季語(八月) 秋の風(2)

caffe kigosai 投稿日:2024年7月17日 作成者: masako2024年7月21日

立秋を過ぎても、風を〈秋〉とは到底思えぬ昨今です。夕方になれば「夕風が立つ」かもしれぬと、はかない願いを抱いてもみるのですが。

秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる     藤原敏行『古今集』

早くおどろきたいものです。せめて先人の句を読みながら、秋風の記憶をたどってみましょう。

 

あかあかと日はつれなくもあきの風    芭蕉

※原句の「あかあか」にはくりかえし記号が使われています。

石山の石より白し秋の風                 芭蕉

つる草や蔓の先なる秋の風             太祇

 

芭蕉の一句目、あかいのは「日」ですが、風もあかく熱をもっているように感じます。二句目は白秋の風です。五行では白は秋の色です。視覚でとらえていますが、肌触りもさっぱりしていそうです。

 

太祇の句も視覚の風でしょう。「蔓の先」以外は動いておらず、先だけがあるかなきかの風をとらえているのです。背景には秋の青い空が広がっていそうです。

 

夜もすがら秋風聞くやうらの山        曽良

秋の風三井の鐘より吹き起る            暁台

 

一晩中裏山に風が鳴っていたとは、曽良は風音に寝付けなかったのでしょうか。〈初嵐〉かもしれません。

暁台は、三井寺の鐘が風に共鳴するのを聴き留めました。〈秋の初風〉と呼ぶ風ではないでしょうか。

 

十団子(とおだご)も小粒になりぬ秋の風    許六

淋しさに飯をくふなり秋の風                        一茶

 

許六の句を芭蕉は「此句しほり有」と評したそうです(『去来抄』)。〈秋の風〉の「あはれ」をさらりと表現した手腕を褒めたとされます。食べ物で「あはれ」を表すとは、和歌にはあり得なかったことです。ただ現代の私たちには、このくだりは理解しづらいかもしれません。

一茶の句は、食が細らないところが俳諧的ともいえましょうが、理屈をこねなくても分かる句です。食べて紛らわせることならば、私たちも日常的にやっていそうです。

食べ物との取り合わせの句を挙げてみましょう。

 

秋風や鮎焼く塩のこげ加減                 永井荷風

秋風や甲羅をあます膳の蟹                 芥川龍之介

あきかぜや皿にカレーを汚し食ふ      櫻井博道

 

食べ物の句は視覚嗅覚のほかに、必ず味覚が発動しますし、聴覚や触覚も動員されるでしょう。おのずと身体全体で捉えて詠むことになりそうです。

 

死骸(なきがら)や秋風かよふ鼻の穴      飯田蛇笏

吹きおこる秋風鶴をあゆましむ                 石田波郷

 

秋風の「あはれ」といわれて咄嗟に思い出すのはこれらでしょうか。

 

遠くまでゆく秋風とすこし行く          矢島渚男

うしろより来て秋風が乗れと云う      高野ムツオ

 

多く行ったり、乗ってしまったりしたら、どこへ行きつくことやら。

 

あきかぜにいちいちうごくこころかな     池田澄子

秋風や柱拭くとき柱見て                            岡本 眸

 

この秋は、琴線に触れたものを「いちいち」書き留めてみることにしましょうか。(正子)

 

 

今月の季語(七月) 七夕

caffe kigosai 投稿日:2024年6月17日 作成者: masako2024年6月21日

〈七夕〉と聞けば、♪ささのは さーらさら のメロディが自動的に脳内再生されるほど、ポピュラーな行事ですが、実はいささか扱いにくい季語です。まとめておきましょう。

七夕は旧暦七月七日の行事です。旧暦七月は今の八月、つまり初秋にあたります。つまり、〈七夕〉は秋の季語である、ということを、まずおさえましょう。

たなばたや秋をさだむる夜のはじめ                   芭蕉

京の野堂亭を訪れたときの挨拶句です。七夕のころともなるとさすがに秋の気配が濃やかになると詠んでいます。この句には異形句もあって、

七夕や秋をさだむるはじめの夜              芭蕉

というのです。これを以て本来の七夕=秋のインプットが完了するのではないでしょうか。新暦七月七日はまだ梅雨のさなか、夜空に星も望めません。仙台など、今も旧暦を貫いている地があるのは、ご存知の通りです。

そのうえで、新暦七月七日に七夕を詠む術を考えてみましょう。保育園や幼稚園の傍らを通れば、七夕の歌が聞こえてきますし、駅の広場や公共施設のラウンジなど、もちろんご家庭でも、笹竹を立てて短冊を吊るすのは、新暦のこのころであることが断然多いのですから。

荒梅雨のその荒星が祭らるる                          相生垣瓜人

季語は〈荒梅雨〉=夏ですが、内容は七夕です。七夕は〈星祭〉ですから、 「荒星が祭らるる」を季語と捉えれば、季重なりの句でもあります。が、新暦旧暦のはざまで揺れる私たちには、かなり高度な技ながら、もっとも納得できる着地のしかたかもしれません。

七夕の一粒の雨ふりにけり                   山口青邨

七夕や髪ぬれしまま人に逢う                 橋本多佳子

みちのくの雨に七夕かざりかな              小澤 實

七夕竹切りし飛沫を浴びにけり              能村登四郎

七夕の傘を真つ赤にひらきけり              草深昌子

水っぽい例句を挙げてみました。順に読んでみましょう。

青邨の句は句集『粗餐』(昭和48年刊)所収ですから、新暦の七夕に「あ、やっぱり降って来た」というのかもしれません。

多佳子の「髪」は雨にぬれたというよりは、乾かしきらぬまま、でしょう。なにしろ〈星合〉の夜ですから、「人」はただの人ではありますまい。〈星合〉は七夕から恋の要素を抽出した季語です。〈便箋を折る星合の夜なりけり 藤田直子〉は、もちろん恋の手紙です。

實はみちのくの七夕祭で雨に遭ったようです。旧暦開催であってもそういうことはありましょう。私は八月の仙台を想像しています。

登四郎の「飛沫」は、竹を剪ったときの振動で、竹の葉の雨雫が降って来たことを指すのではないでしょうか。また、昌子は雨をおして恋人に逢いに行くのかもしれません。この二句は、七夕を季語に据えつつ、雨の時期でもあるといっている気がします。

最初におさえたように、〈七夕〉は秋の季語ですから、どの例句も秋の歳時記に載っています。試験で季節を問われれば、「秋」と答えざるを得ないのですが、もう試験には無縁となった私たち、季のことは棚上げして目の前の景を詠むことに徹する、としても悪くないでしょう。

梶の葉、硯洗ふ、願ひの糸など関連季語も一緒に調べておきましょう。(正子)

 

今月の季語(6月)梅雨

caffe kigosai 投稿日:2024年5月18日 作成者: masako2024年5月21日

二月に真夏の気温を記録したり、寒の戻りの激しさに開花が遅れたり、今年はいつにもましておかしな天候です。梅雨もしとしとのイメージを離れて久しいですが、さて、どんな梅雨になることでしょう。

世を隔て人を隔てゝ梅雨に入る              高野素十

二夜三夜傘さげ会へば梅雨めきぬ          石田波郷

素十の句からは、雨のとばりに隔てられる感覚が伝わってきます。しとしとと執念深く降り続く雨なればこそ生じる感覚でしょう。また、以前は雨が続くなあと思っているうちに、いつしか梅雨入りしてもいました。この二句には昔ながらの梅雨が、人との関係性を通して詠まれているといえそうです。

梅雨寒や舌に朱のこる餓鬼草紙            三森鉄治

梅雨時には雨で蒸す日もあれば、妙に冷え込む日もあります。餓鬼草紙の朱はもちろん他の季節であっても見られるものですが、ひやっと湿った空気の中で見るといよいよ凄惨なのでしょう。

梅雨の夜の金の折鶴父に呉れよ        中村草田男

妻とあればいづこも家郷梅雨青し          山口誓子

外に出られない日、子は折紙で退屈を紛らわせもしたことでしょう。〈万緑の中や吾子の歯生え初むる〉をはじめ、草田男の「吾子俳句」は有名。特別な一羽をせがむのは幸せの確認でもあったでしょう。誓子の句はのろけのようなものですが、「梅雨青し」の決めがさすがです。金、青と梅雨に差す色が美しい二句です。

梅雨の闇小さき星は塗りこめて            福永耕二

梅雨の闇は常よりも重い湿った闇です。〈五月闇〉ということもあります。

五月雨をあつめて早し最上川              芭蕉

空も地もひとつになりぬ五月雨          杉風

さみだれや大河を前に家二軒              蕪村

〈梅雨〉は時候にも天文にも使える季語ですが、〈五月雨〉は天文のみの季語です。上は江戸時代の、下は大正、昭和の句ですが、天候に逆らえないのは昔も今も同じです。

さみだれのあまだればかり浮御堂      阿波野青畝

さみだれや船がおくるる電話など          中村汀女

〈荒梅雨〉が出水を招くのも、〈空梅雨〉で水不足になるのも困りますが…。

草のさき出でて吹かるる梅雨出水      山上樹実雄

百姓に泣けとばかりに梅雨旱                石塚友二

梅雨の影響を受けているのは人のみにあらず。

頬杖をつけば阿呆と梅雨鴉                遠藤若狭男

よその田へつるりと逃げし梅雨鯰          本宮鼎三

梅雨茸の笠の裂け目を雨通る                  島田牙城

津波のような被害をもたらす昨今の梅雨。優しい雨であれと祈るほかはありません。(正子)

今月の季語(五月)木の花

caffe kigosai 投稿日:2024年4月17日 作成者: masako2024年4月19日

新緑の美しいころとなりました。若葉青葉の梢を仰ぐと、定かに見えないほど高い位置に花をつけていることがあります。樹下に散った花を見て気づくことのほうが多いでしょう。

今月は落葉高木と呼ばれる木々の花を追ってみましょう。

電車いままつしぐらなり桐の花      星野立子

桐の花らしき高さに咲きにけり      西村和子

一家に女の子が生まれると、嫁入り道具を作るために桐の木を植えた時代があります。立子が車窓からみとめたのは、そうした一幹でしょうか。

花咲きて水木は枝を平らにす       八木澤高原

山野に自生する「水木」が咲くのは〈夏〉、街路樹に多い「花水木」は〈春〉。別種です。水木は咲くと遠目に雲がかかったようにも、雪をかぶったようにも見えます。

ゆりの木の花に夜は星宿らむか      岡部六弥太

昨今では街路樹としてよく使われる「ゆりの木」です。チューリップツリーともいいます。チューリップのような(私はランタンのような、と思っています)花をつけます。

うやむやにけむりひとつばたごのはな      須賀一惠

「ひとつばたご」の花は白くもしゃもしゃしています。この木には「なんじゃもんじゃの木」という名もあります。

満月に花アカシヤの薄みどり         飯田龍太

アカシア(ニセアカシア)には「針槐(はりゑんじゆ)」の名もあります。白い蝶の形の花を密集させます。

ひろがりて雲もむらさき花楝(あふち)古賀まり子

仰ぎ見る楝の花のちる音か           山西雅子

「栴檀(せんだん)」ともいいます。双葉より芳しい栴檀はビャクダンのことで別種です。花は薄紫。

えごの花散りたる水にはづみけり    早野和子

こぼれつつえごは五月を送る花      村上鞆彦

釣鐘状の乳白色の花を下向きに無数につけます。散るというより、花ごとほたほたと落ちます。

火を投げし如くに雲や朴の花   野見山朱鳥(落葉高木)

あけぼのや泰山木は臘の花     上田五千石(常緑高木)

朴の花と泰山木の花はよく似ています。どちらも象牙色で、芳香があります。落葉するか、常緑かの違いもありますが、葉の質感はまるで異なります。泰山木の葉は厚手で光沢があります。朴の葉はかさかさして大きく、裏が白いです。「朴葉味噌」のような用途にも使われます。

その上の雲より白く山法師           林 翔

「山帽子」と書くことも。庭木にもされますが、本来は山野の木です。花水木の白花〈春〉と似ていますが、山法師は夏に咲きます。

特徴的な木の花を取りあげましたが、文字だけで理解するのは難しいです。図鑑を持って(検索できる機器を携帯して)山野へ出かけてみましょう。(正子)

 

今月の季語(4月) 春の雨(2)

caffe kigosai 投稿日:2024年3月17日 作成者: masako2024年3月18日

かつては月に3回は吟行に出かけていた私ですが、今年は本日3月17日までにようやく3回出たという為体です。

その3回目は3月初旬。行先は東京上野の不忍池界隈でした。折から冷たい雨が降ったり止んだりしていましたが、空が明るくなると草木の芽が囁き出すような一日でした。

〈春の雨〉は文字通り立春以降の雨のこと。三春通して使える天文の季語です。雨の総称ですから、どんな降り方のときにも使えます。

 

降り来るはさし足なれや春の雨      貞室

がうがうと春の雨ふる滝の中         原子公平

 

公平の雨は「滝」と一体化して「がうがう」と降っているのでしょうが、滝に拮抗するほど「がうがう」であろうと思えます。

一方〈春雨〉は現代では〈春の雨〉と同義で用いることも多いですが、万葉の昔から受け継いで来ている本意があります。即ち静かに降り続くさまに晩春の情趣を感じ取る、というものです。

 

春雨や小磯の小貝濡るるほど         蕪村

春雨といふ音のしてきたるかな      鷲谷七菜子

 

静かにあたたかく物を濡らしてゆく雨、という共通認識があるからこそ、七菜子は「春雨といふ音」を何の説明も付すことなく詠めたのでしょうし、「春雨じゃ、濡れて参ろう」と言った月形半平太は、しっとりと濡れたのに相違ありません。

先日の吟行で私が体験した雨は、〈春雨〉と呼ぶには少し早かったようですが、小止みになったときにはその雰囲気も味わえるものだったといえそうです。

〈時雨〉は降ったり止んだりする雨を指す冬の季語ですが、春にもそういう降り方の雨があります。〈春時雨〉です。

 

いつ濡れし松の根方ぞ春しぐれ       久保田万太郎

晴れぎはのはらりきらりと春時雨    川崎展宏

 

急に降り出して降り止む、より激しいにわか雨は〈春驟雨〉と呼びます。

 

春驟雨花買ひて灯の軒づたひ         岡本眸

 

〈春時雨〉も〈春驟雨〉も「春」の一字によって華やぎを得た雨といえましょう。

植物の名により明るさを得た雨もあります。菜の花が咲くころ降り続く長雨を指して〈菜種梅雨〉といいます。

 

幻に建つ都府楼や菜種梅雨           野村喜舟

炊き上がる飯に光りや菜種梅雨      中嶋秀子

 

また花時の雨、もしくは眼前の桜に降り注ぐ雨を〈花の雨〉といいます。

 

使いひよき針三ノ三花の雨           鈴木真砂女

金閣の金の樋にも花の雨             品川鈴子

 

俳人にあいにくの雨は無し、ですがくれぐれも風邪をひかぬよう。(正子)

 

今月の季語(三月)日永

caffe kigosai 投稿日:2024年2月17日 作成者: masako2024年2月19日

日に日に春めいてくるさまが嬉しいころとなりました。日もゆっくりと暮れて、夕方五時のチャイムを落ち着いて聞けるようになってきました。五時に変わりはありませんが、暗いとそれだけで忙しないですから。

そんなさまを表す春の季語が〈遅日(ちじつ)〉です。〈暮遅し〉〈夕永し〉ともいいます。

遅き日のつもりて遠きむかしかな       蕪村

暮遅き加茂の川添下りけり              鳳朗

この庭の遅日の石のいつまでも         高浜虚子

銀座には銀座の歩幅夕永し              須賀一惠

〈遅日〉は文字通り日没時刻が遅くなったことを意味しますから、句の中の「今」は夕方でしょう。夕暮時にむかしを思い、川に沿って下り、石を見つめ、銀座を歩いているのです。

昼の時間が長くなったことのほうに比重を置きたいときには〈日永〉〈永き日〉を使います。

鶏の坐敷を歩く日永かな                一茶

笊ひとつ置いて日永の小商ひ           行方克己

永き日のにはとり柵を越えにけり       芝 不器男

こちらは真昼でも夕方でも好きな時間帯で鑑賞できるでしょう。のんびりした気分があって〈長閑(のどか)〉や〈麗か(うららか)〉にも近そうです。

何といふことはなけれど長閑かな       稲畑汀子

石三つ寄せてうららや野の竈           福永耕二

ストレートに〈春の昼〉〈春昼(しゅんちゅう)〉を使うこともできます。

春昼の指とどまれば琴もやむ           野澤節子

私自身もかつて兼題の〈のどか〉で案じ始めて、〈春の昼〉に落ち着いたことがあります。

子のくるる何の花びら春の昼           髙田正子

これらはすべて時候の季語で、おおざっぱにとらえれば同義といえましょう。ですが、明らかに違いはあります。詠み分けを試みると春の気分がますます高まることでしょう。

意味は近いのですが、季節違いの季語に〈日脚伸ぶ〉があります。こちらは、冬至を過ぎて昼の時間が少しずつのびていくことを表す晩冬の季語です。

日脚伸ぶ励むにあらず怠けもせず 清水基吉〈冬〉

日脚伸ぶ母を躓かせぬやうに           広瀬直人〈冬〉

まだまだ寒いですが、確実に春が近づいて来る実感がじんわりと伝わってきます。

〈三寒四温〉はこのころの季語です。〈三寒〉〈四温〉別々に使うこともできますが、いずれも晩冬の季語です。

黒板に三寒の日の及びけり             島谷征良〈冬〉

四温かなペン胼胝一つ芽のかたち       成田千空〈冬〉

(正子)

今月の季語〈二月〉 冴返る

caffe kigosai 投稿日:2024年1月17日 作成者: masako2024年1月21日

〈冴ゆ〉はキーンと音がするほど寒い様子を表す冬の季語です。立春を過ぎ、少しは暖かくなってきたようにも感じるころ、再び〈冴ゆ〉状態になることを〈冴返る〉といいます。「返る」は「戻る」の意。春の季語です。

普段の暮らしの中で「冴えている」と言うとき、濁りがなく際立っている、とか、鮮やかであるという意味を籠めるように、季語の〈冴ゆ〉(冬)や〈冴返る〉(春)には寒さのみならず、色や光を際立たせる働きがあるようです。

真青な木賊の色や冴返る             夏目漱石

冴返る二三日あり沈丁花             高野素十

翻然と又敢然と冴返る          相生垣瓜人

漱石の「木賊(とくさ)」はいつにもまして青々と鋭く、素十の沈丁花はいよいよ清らかに香りたつようです。翻然はひるがえるさま、敢然は思い切ったさまを表す語ですから、暖かくなったと人を油断させておいてなんとまあ鮮やかに冷えてくれたことか、と瓜人は呆れているのでしょうか、怒っているのでしょうか。

冴え返るとは取り落すものの音       石田勝彦

音も響きそうです。取り落したのは、久しぶりに手が悴んだせいでしょうか。気に入りのグラスが見事に割れてしまったのかもしれません。

冴えかへるもののひとつに夜の鼻            加藤楸邨

夜になってますます冷え込み、その空気の出入りする鼻が冷たい、痛いと感じることは誰にもあるでしょう。ふと触れた鼻が冷たいことも。楸邨は面長でやや鼻が目立つ風貌をしておられました。自らのカリカチュアであるような詠み方に、思わずくすりと笑ってしまいます。

〈冴返る〉と同義の季語に〈余寒〉があります。春になったのに残っている寒さのことです。余寒の余は余韻の余。寒いとはいえ、冬の寒さとは違うことを、体のどこかで感じているのかもしれません。

鎌倉を驚かしたる余寒あり                  高浜虚子

南都いまなむかんなむかん余寒なり          阿波野青畝

どちらも地名が詠み込まれています。鎌倉の人々は奇襲に遭ったように驚いたのかもしれません。南都は奈良のこと。「なむかん」は「南無観世音菩薩」。東大寺二月堂で執り行われる「水取(修二会)」で練行衆が「なむかんなむかん」と声明を唱えているのです。

水取や氷の僧の沓の音               芭蕉

かつて芭蕉がこう詠んだように、水取のころの南都は冷えるのです。

橋の灯の水に鍼なす余寒かな         千代田葛彦

「鍼(はり)なす」とは美しい表現です。ちらちらと揺れる水のさまが見えて来そうです。

視覚や聴覚にも訴えて来る寒さを、さて今年はどう詠みましょうか。(正子)

 

今月の季語〈一月〉 初詣

caffe kigosai 投稿日:2023年12月20日 作成者: masako2023年12月24日

先月に続き、「行事」を見ていきましょう。今月は「新年」の歳時記です。 宮中行事などの自ら実行するわけにいかないものは、ひとまず外すとして、いくつの季語となじみがありますか。

どの土地に住んでいても、誰もが体験する「行事」は、

初詣 七福神詣 「初+干支」のお詣り(例・初寅) 「初+神様仏様」のお詣り(例・初天神)

といったお詣り系でしょうか。〈初護摩〉〈初弥撒〉という参加型の行事も挙げられそうです。

日本がここに集る初詣                      山口誓子

橋越ゆるたびに明けきし初詣               福田甲子雄

〈初詣〉には決まった社寺へ詣でる派と、その年の恵方にあたる社寺に詣でる派がありそうです。後者には〈恵方詣(ゑはうまゐり)〉という季語もあります。

恵方とはこの道をたゞ進むこと              高浜虚子

墓のまへ突つきつてゆく恵方かな           黛 執

前句はめでたさのど真ん中を突いていますが、後句は、縁起の良いほうへ進むはずが……という、いささか屈折した句です。新年の句はひたすらめでたく詠めといわれますが、笑いを呼ぶのもめでたさの一つの型といえましょうか。

また京都の方には〈初詣〉より、〈白朮詣(をけらまゐり)〉のほうがポピュラーかもしれません。大晦日の夜から元日の明け方に祇園の八坂神社に詣でることです。「をけら火」を吉兆縄に移し、消えないようにぐるぐる回しながら持ち帰り、元朝の支度に使うのです。

白朮火の一つを二人してかばふ            西村和子

〈七福神詣〉は七日までに七福神を祀る寺社を巡ることです。

七福の一福神は鶴を飼ふ                  山口青邨

恵比寿さまに詣る〈十日戎〉(五日や二十日であることも)、新年最初の巳の日に弁天さまに詣る〈初弁天〉〈初巳(はつみ)〉、同じく毘沙門天に詣る〈初寅(はつとら)〉など、干支や神の名が入り交り、なかなかに賑やかといえましょう。

大阪の遊びはじめや宵戎                     長谷川櫂

舟着きも靄の佃の初巳かな                 長谷川春草

また、正月八日は〈初薬師〉、十三日〈初虚空蔵〉、十六日〈初閻魔〉、十八日〈初観音〉、二十一日〈初大師〉、二十五日〈初天神〉、二十八日〈初不動〉と初縁日の日程が決まっています。市が立ち衆生が集う、昔は殊に娯楽を兼ねてもいたことでしょう。

初観音逆白波を踏みわたり                黒田杏子

めでたさも迷子を告ぐる初大師         森 澄雄

初不動江戸のむかしの力石                戸板康二

「行事」の項には、忌日の季語も並んでいます。それぞれ信奉する相手によって修する忌日が変わってきますが、あまねく人気なのはこの方ではないでしょうか。

鎌倉右大臣実朝の忌なりけり              尾崎迷堂

引く波に貝殻鳴りて実朝忌                 秋元不死男

〈若菜摘〉や〈左義長〉など家庭の匂いの強い季語は「生活」の項に入っています。併せて確認しておきましょう。(正子)

今月の季語〈十二月〉 クリスマス

caffe kigosai 投稿日:2023年11月17日 作成者: masako2023年11月19日

冬の歳時記の〈行事〉のところを開いてみましょう。いくつの季語となじみがありますか? 多少でもイメージの湧く季語を仲冬に限って抽いてみますと、私の場合は、

五節の舞、開戦日、秩父夜祭、義士の日、神楽、王子の狐火、報恩講、臘八会、大根焚、クリスマス

これに加えて、終大師(しまひだいし)や大祓(おほはらへ)などの歳末・年越関係の季語、青邨忌のような忌日の季語…といったところでした。皆さまはいかがですか?

〈開戦日〉は自身の体に覚えはありませんが、後世へ伝えるために詠み継ぎ、読み継ぐ季語と思っています。

開戦日が来るぞ渋谷の若い人                大牧 広

十二月八日よ母が寒がりぬ                    榎本好宏

今のご時世で意識すべきは、終戦日より開戦日かもしれません。大牧広の句は、開戦日=十二月八日にとどまらず、そのまま警鐘としてとらえることができます。

〈報恩講〉(親鸞の忌日を修する法会)は縁あって参じたことがあります。コロナ禍のころでしたから、規模も小さく、人出も少なく、「本物」には遠かったかもしれません。ただ、当時私は、足の骨にヒビが入る生涯初の事態に見舞われ「けんけん」で参ることになったものですから、参じる人の「心」は感じ得た気がしています。

わが代の限りは門徒親鸞忌                   大橋桜玻子

俳諧の他力を信じ親鸞忌                       深見けん二

実感が大切なのはどの季語にもいえることですが、行事の季語は殊に、個々人の体験の有無が大きくものをいいそうです。

〈クリスマス〉は中でも傍題が多く、例句も膨大です。宗教の行事に留まらず、市井の暮らしへの定着度がよくわかります。

一人来てストーブ焚くやクリスマス            前田普羅

へろへろとワンタンすするクリスマス            秋元不死男

ここに酸素湧く泉ありクリスマス              石田波郷

どの句も「一人」のクリスマスです。一句目は後から誰か来るかもしれませんが、今は一人。二句目は、ワンタンには少年時代の思い出がまつわると自解していますが、クリスマスらしくないことを自覚しています。三句目は酸素吸入をしないと生きられないのですから、確かに命の「泉」ですが、切なさも限りなしです。これらはむしろ特殊で、

クリスマスツリー地階へ運び入れ               中村汀女

ヴェール着てすぐに天使や聖夜劇               津田清子

降誕祭終りし綺羅を掃きあつめ                   福永耕二

子へ贈る本が簞笥に聖夜待つ                       大島民郎

見つめよと置くともしびやクリスマス          千葉皓史

あれを買ひこれを買ひクリスマスケーキ買ふ  三村純也

パーティの準備、後片付け、贈り物の用意、…と、こちらがよく知っている、クリスマスらしい景でしょう。

トラックを停めて聖樹を売り始む              坂本宮尾

また駅の時計見上ぐる聖菓売                     菊田一平

聖樹売、聖菓売本人の句ではありませんが、立場を変えるとこんな詠み方も。

さて今年はどんなクリスマスの句を詠みましょうか。(正子)

今月の季語〈十一月〉 時雨

caffe kigosai 投稿日:2023年10月14日 作成者: masako2023年10月19日

木の葉を吹き散らす風が音を立て始めると、空模様が変わりやすくなり、さっと雨が通り過ぎることがあります。そんな雨を〈時雨〉と呼びます。

降る度に月を研ぎ出すしぐれかな             来山

寝筵にさつと時雨の明りかな                   一茶

来山は江戸時代の前期、芭蕉と同じころに大坂で活躍した俳人。「度に」がいかにも時雨だと思います。さっと降っては止みを一夜のうちに繰り返しているのでしょう。そのたびに月が研ぎすまされてゆく、というのです。

一茶はご存知小林一茶。信州柏原の人です。若いころは江戸へ出て俳諧の宗匠をしていましたが、この句は柏原へ帰ってからのものです。冬には雪に閉ざされる柏原に、今年も「さつと」時雨の過ぎる季節が到来したのです。蔵のような家屋に筵を敷いて寝ているのです。雨が地を叩きゆく音が直に響いてきたことでしょう。また戸や壁の隙間から、雨の光が見えもしたことでしょう。時雨を「明り」で捉えた句です。

小夜時雨上野を虚子の来つつあらん        正岡子規

根岸の庵に仰臥しながら、時雨の音を聞きとめて、虚子は今ごろ上野に差しかかったころあいだろう、もう少しだったのに、などと想像しています。

天地の間にほろと時雨かな                 高浜虚子

「あめつちのあはひにほろとしぐれかな」。雨粒がこぼれるさまを「ほろと」と表しています。最初の一粒であるかのようです。

翠黛の時雨いよいよはなやかに                高野素十

素十は虚子の弟子です。「翠黛」はみどりの眉墨。転じてみどりにかすむ山の景にも使われる語です。「はなやか」とは雨が勢いを増したのでしょう。音を立て始めたと解せば、視覚と聴覚の句となります。

鍋物に火のまはり来し時雨かな                鈴木真砂女

赤多き加賀友禅にしぐれ来る                  細見綾子

真砂女は銀座の割烹料理屋の女将でした。今夜は鍋がよく出ること、と思っていたら、ほらやっぱり時雨が、という句です。綾子は沢木欣一と結婚後、金沢に住んだ時期があります。ともに生活圏に素材を得た句です。

うつくしきあぎととあへり能登時雨             飴山 實

實は金沢の四高出身。沢木に兄事した時期もありました。時雨は、能登時雨、北山時雨、などと地名を付けて使われることもあります。

しぐるるや駅に西口東口                        安住 敦

待ち合わせした相手が西口に、敦が東口に出てしまったことがきっかけとなって詠まれた句だそうです。折からの時雨にいささか心もとない気分にもなったでしょうか。

このように名句の多い〈時雨〉は初冬、すなわち十一月の季語です。〈小春日和〉も十一月限定の季語でしたね。時雨、木枯・凩も同じく十一月限定。「あたたかき十一月」の印象はありますが、冬は確実に始まっているのです。

旅人と我名よばれん初しぐれ                   芭蕉

「初」が付くと待ち焦がれた感覚が加わります。更に短い期間限定季語です。是非今のうちに降られておいてください。(正子)

 

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「カフェきごさいズーム句会」のご案内

「カフェきごさいズーム句会」(飛岡光枝選)はズームでの句会で、全国、海外どこからでも参加できます。

  • 第二十七回 2025年6月14日(土)13時30分(原則第二土曜日です)
  • 前日投句5句、当日席題3句の2座(当日欠席の場合は1座目の欠席投句が可能です)
  • 年会費 6,000円
  • 見学(1回・無料)も可能です。メニューの「お問い合せ」欄からお申込みください。
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スタッフのプロフィール

飛岡光枝(とびおかみつえ)
 
5月生まれのふたご座。句集に『白玉』。サイト「カフェきごさい」店長。俳句結社「古志」題詠欄選者。好きなお茶は「ジンジャーティ」
岩井善子(いわいよしこ)

5月生まれのふたご座。華道池坊教授。句集に『春炉』
高田正子(たかだまさこ)
 
7月生まれのしし座。俳句結社「青麗」主宰。句集に『玩具』『花実』『青麗』。著書に『子どもの一句』『日々季語日和』『黒田杏子の俳句 櫻・螢・巡禮』。和光大・成蹊大講師。
福島光加(ふくしまこうか)
4月生まれのおひつじ座。草月流本部講師。ワークショップなどで50カ国近くを訪問。作る俳句は、植物の句と食物の句が多い。
木下洋子(きのしたようこ)
12月生まれのいて座。句集に『初戎』。好きなものは狂言と落語。
趙栄順(ちょよんすん)
同人誌『鳳仙花』編集長、6月生まれのふたご座好きなことは料理、孫と遊ぶこと。
花井淳(はない じゅん)
5月生まれの牡牛座、本業はエンジニア、これまで仕事で方々へ。一番の趣味は内外のお酒。金沢在住。
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