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今月の季語〈一月〉正月の遊び

caffe kigosai 投稿日:2024年12月18日 作成者: masako2024年12月24日

今では、正月だからといって特別な遊びはしなくなったように思いますが、昭和のころには、正月らしいと思う遊びが確かにありました。今月は季語という観点から遊びをみていきましょう。

まず〈歌留多〉。「競技かるた」を題材にした漫画の人気と相まって、今では正月に限らぬ遊び(競技)となりました。もっとも「競技かるた」のルールが現在行われているものになった(統一、制定された)のは明治37年といいますから、地域や老若男女を問わぬ普遍的な遊びといえます。俳句では新年の季語となります。

日本の仮名美しき歌留多かな                後藤比奈夫

女御女帝うしろ姿の歌かるた                  野見山ひふみ

さまざまに世を捨てにけり歌かるた          綾部仁喜

比奈夫の「歌留多」には草書体の文字が並んでいそうです。ひふみの「かるた」は絵札のほうです。2024年のNHK大河ドラマ「光る君」では女君たちが平気で顔を見せていましたが、本当はそうではありません。描くための苦肉の策の「うしろ姿」でしょう。仁喜の「かるた」は視覚で判断するならば絵札ですが(坊主めくりをすると出家者のなんと多いことかと思います)、分かっている人には歌さえあれば、というところでしょう。

〈絵双六〉

版元は「いせ辰」道中絵双六                  文挟夫佐恵

下駄を履く双六はやく上がり過ぎ          伊藤白潮

元祖ボードゲームといえましょう。東海道五十三次ならば、振出しは日本橋、上がりは京ですが、浄土への道を描いたものなども…。夫佐恵の「いせ辰」は、和紙とその細工物で有名な店。白潮は、ひとり手もち無沙汰になって、庭へ出たのでしょうか。

〈双六〉には〈盤双六〉と〈絵双六〉があります。「光る君」が双六に興じるときは、対座した二人が、竹や木の筒に入った賽を振り、相手の陣に早く入ることを競う盤双六をしたはず。子どもの遊びであった絵双六が盛んになったのは、江戸時代初期だそうです。

〈福笑〉

福笑よりも笑つてをりにけり         稲畑汀子

福笑目鼻集めて畳みけり                 藤松遊子

他愛ないと思いつつもなぜか大笑いすることに。片付けるときまで面白いです。私の記憶では正月休み限定の遊び。皆さまはいかが?

〈羽子板〉〈羽子つき〉

羽子板の重きが嬉し突かで立つ            長谷川かな女

大空に羽子の白妙とゞまれり               高浜虚子

青空の太陽系に羽子をつく                  大峯あきら

かな女の句を読むと、初めて自分の羽子板を手にしたときが思い出されます。虚子とあきらはほぼ同じ景を見ながら、全く異なる印象の句を詠んでいます。さてあなたなら、どう表現しますか?

〈手毬〉

手毬唄かなしきことをうつくしく             高浜虚子

焼跡に遺る三和土や手毬つく     中村草田男

〈独楽〉

独楽強しまた新しき色を生み         橋本榮治

傷にまた傷を重ねて独楽の胴         戸恒東人

手毬は女の子、独楽は男の子の遊びとされがちです。が、俳句には性別を表さないことのほうが多いです。先入観を破って詠み且つ読むと、何か発見があるかもしれません。

時代により地域により、遊びはいろいろ。あなたならではの一句を是非どうぞ。(正子)

今月の季語〈十二月〉 風邪

caffe kigosai 投稿日:2024年11月14日 作成者: masako2024年11月19日

風邪をひく人が増えてきました。酷暑疲れが拭いきれないうちに、寒暖差の激しい天候とさまざまなウィルスの跋扈にさらされ、抗しきれなくなったようです。新型コロナウィルスも決しておとなしくなったわけではありません。あれにもこれにも気を付けよ、といわれる昨今。結局のところ、自身の免疫力が頼みということでしょうか。

忌々しい〈風邪〉ですが、冬の季語です。ひいてしまったら、詠みましょう。

風邪の子の餅のごとくに頰豊か                        飯田蛇笏

風邪ひけば二重まぶたになる子かな                 鶴岡加苗

とほくから子供が風邪をつれてきぬ                 鴇田智哉

この子はこんなにもちもちの肌であったか、とか、まぶたが二重になっているわ、やっぱり具合が悪いのね、とか、日ごろの元気な姿を知っているがゆえの気づきがあります。子や孫を看病しているうちに、風邪をもらってしまうことも多く、子どもがケロリとするころ、大人が寝込むこともよくあります。

年よりは風邪引き易し引けば死す                    草間時彦

大げさなと思った方はまだ「年寄」ではないのでしょう。ですが、年は取ってみないと分からないもの。しかと覚えておきましょう。

風邪の身を夜の往診に引きおこす                   相馬遷子

かぜの子に敬礼をして風邪心地                       細谷喨々

医師俳人の句です。仕事柄、貰い風邪も多いに違いありません。安静が一番の良薬のはずなのに、往診に夜道へ出てゆく遷子。子どもがひくのは「かぜ」、よこしまな大人がひくのは「風邪」と使い分ける喨々は、小児科の医師です。

店の灯の明るさに買ふ風邪薬                          日野草城

迷惑をかけまいと呑む風邪薬                          岡本眸

風邪ごこち薬なければ白湯飲んで                   中坪達哉

明るい薬局と暗い薬局があれば、明るいほうを選ぶかもしれません。なんといっても気の持ちようが大事。眸も、これを呑めば大丈夫、治る治ると暗示をかけて服用したことでしょう。達哉の、薬の代わりに白湯というのは理に適っていると思います。大方の不調は冷えによるものらしいです。身体を中から温め、休めれば、「風邪ごこち」は消えてしまいそうです。

一輪の薔薇に去りゆく風邪の神            山口青邨

薔薇で治るのは珍しい例かもしれませんが、お見舞いと深紅の薔薇(と勝手に決めている)を差し出されたら、ぱあっと心が明るくなることでしょう。

薬ではありませんが、効くとされるものに〈玉子酒〉があります。

かりに着る女の羽織玉子酒                           高浜虚子

「女」の前で〈嚏〉でもしたのでしょうか。風邪も方便になるのかもしれません。

亡き母に叱られさうな湯ざめかな                    八木林之助

まずいと認識しながら改められない習慣もあります。一度風邪をひいてしまうと、気を付けるようになるのですが。ひいてしまったら保温と睡眠、そして作句を薬として治るのを待つことにしましょう。(正子)

今月の季語十一月〈冬の日〉

caffe kigosai 投稿日:2024年10月17日 作成者: masako2024年10月19日

あんなに暑い暑いとうめきながら過ごしていたのに、暦の上では早くも冬。とても気持ちが追いつきません。気分を冬にすべく、冬の季語の王道(?)を見て行きましょう。

まずは〈冬の日〉。冬の一日の意にも、冬の太陽、日差しの意にも使います。DAYのときは「時候」、SUNのときは「天文」の季語となります。

冬の日の三時になりぬ早や悲し               高浜虚子(時候)

冬の日や臥して見あぐる琴の丈            野澤節子(時候)

大仏の冬日は山に移りけり                     星野立子(天文)

冬の日や茶色の裏は紺の山                   夏目漱石(天文)

「冬日」のときは大概SUNの意で使われていますが、どちらの意かは、基本的には文脈から判断します。どちらにもとれるときには、より良い句になると思われるほうを選択します。

ではありますが、「時候」の虚子の句にも節子の句にも、冬の日差しを感じます。「天文」の立子の句には冬の短い一日を思います。鑑賞するときには、おおらかに往き来するほうが楽しそうです。

漱石の句は、日の当たる山の表側と日陰の裏側を色彩でとらえています。「茶色の裏は紺」、なるほどその通りだと、思わずにんまりしてしまいます。

これらはいずれも太平洋側に住む人の句です。同じ「冬の日」でも日本海側は、天候もそれに伴う心情も異なるでしょう。

再びの雪起しには振り向かず                  若井新一

天よりも青きものなし雪卸                      同

先月も登場した新潟県在住の若井さんの句です。俳句は具体的に詠むことが基本。単に「冬の日」と置いたところから汲まれる一定の情緒は、太平洋側のものなのかもしれません。

〈短日〉は全国共通で使えそうです。秋の間も秋分以降は昼のほうが短いですが、長くなってゆく夜を楽しむこころ〈夜長〉がありました。冬になるともう、夜が長いのは悲しいのです。前掲の虚子の句は、季語は〈冬の日〉ですが、〈短日〉のこころを詠んだものともいえそうです。

短日のしばらく墓を日向にす                   長谷川双魚

あたたかき日は日短きこと忘れ               後藤比奈夫

冬の日の昼間は時間こそ短いですが、空の低い位置からの日差しのありがたさは格別です。

いきいきと電光ニュース暮早し               清崎敏郎

暗くなってからのほうが鮮やかな電光ニュースは、短日を喜ぶものの一つかもしれません。

素つ気なき男の如し短日は                    渡辺恭子

人波にもまれ腹立ち日短か                   富安風生

嘆いたり怒ったりしてみせながら、面白がっているのではないでしょうか。風生は自分も人波を構成する一員でありながら、どうしてみんなこんなに、と憤慨しています。こういうこと、あるある、と思わず頷く一景です。

とっぷりと暮れたあとの、冷えこみの厳しい夜の、鬼気迫る一句もご紹介しましょう。

仮の世の修羅書きすすむ霜夜かな            瀬戸内寂聴

季語の本意を踏まえながら、なぞるのではなく、それぞれの立場で詠み分けると、面白い冬が過ごせそうです。(正子)

 

今月の季語〈十月〉⑬ 新米

caffe kigosai 投稿日:2024年9月16日 作成者: masako2024年9月19日

売場から米袋の姿が消え、令和の米騒動が懸念される昨今です。日本人の米離れが報告されて久しいですが、やはり主食は米であったかと思わされます。もしかするとパンに親しんでいた世代も、こうなってみると米に執着したくなったかもしれません。

今年は尋常ならぬ猛暑でしたが、降水量が確保されたため、米の収穫高は期待できるとニュースが告げていました。品種改良で暑さに強くもなっているのでしょう。

ともあれ新米の季節到来。落ち着いて市場が潤ってくるのを待ちましょう。

新米を詰められ袋立ちあがる         江川千代八

どの家も新米積みて炉火燃えて      高野素十

まずは景気の良い句から。前句、ずっしりと新米の詰まった袋が自立するさま。擬人化された袋がいきいきと嬉しそうです。後句、米農家の景とも読めますが、そうでない各家庭でもあり得そうです。今では精米後の米を買うことが断然多いですから、一度に積むほど買ったりはしません。が、昔は玄米で購入し、食べる分ずつ搗いていたと聞きます。また何世代も同居していましたから、養う口の数も多かったはず。米がたっぷり、火もあって、というのは豊かで安心できる景に違いありません。

手に受けて象牙の艶の今年米         栗田やすし

ひんやりと両手に応へ今年米         若井新一

句の表側からは判断できませんが、前句は購入者サイドの、後句は生産者の句です。そう思って読むと、後句の「両手」は稲作に取り組んできた肉厚の手であり、「応へ」には達成感が滲んでいることがわかります。

新米といふよろこびのかすかなり    飯田龍太

この句に龍太は次のように自解しています。

 

掌の上のかすかな籾の重み。炊き上がった新米の香ばしい朝の匂い――だが、三伏の苦しい労働を思うと、その気持は複雑である。    (『自選自解 飯田龍太集』)

 

前出の若井さんには次のような句があります。

指先の水にしびれし種選み           若井新一

泥のほか見ざるひと日や代を掻く

太陽に額づくごとし田草取り

背(せな)の汗野良着の紺を濃くしたり

稲に稲のせて深田を刈りにけり

自分の手では米を作りだせない者の一人として、「新米」のよろこびを感謝の念をもって味わいたいと思います。

さて新米で造った酒を〈新酒〉〈今年酒〉〈新走(あらばしり)〉といいます。今では寒造が一般となり、新酒が出回るのは翌年となりましたが、かつての習慣から秋の季語となっているそうです。

とつくんのあととくとくと今年酒    鷹羽狩行

擬音語のみでなんと旨そうな。

古酒の壺筵にとんと置き据ゑぬ      佐藤念腹

新酒が出るとそれまでの酒は古酒と呼ばれます。新茶に対してそれまでの茶を古茶と呼ぶのと同じです。古暦、古日記も同じ道理。

あわせて覚えておきましょう。(正子)

 

今月の季語(9月) 秋の海(2)

caffe kigosai 投稿日:2024年8月19日 作成者: masako2024年8月22日

ちょうど1年前にご報告した2022年の瀬戸内の旅は、新型コロナ禍により人出は戻っていませんでしたが、瀬戸内国際芸術祭(瀬戸芸)の開催期間と重なったおかげで、不思議なオブジェとの出会いがありました。すっかり味をしめ、2023年は仲間に声をかけたところ、現地で句会を開ける程度の人数が集まりました。私は俳句甲子園終了後に松山から直接向かう旅程なので、「一人で出て瀬戸内で仲間と合流します。さて今年はどんな海の旅になるでしょうか」と書きました。今月はそのレポートです。

 

〈瀬戸内の旅2023〉  髙田正子

初秋の旅山に沿ひ海に沿ひ

秋高し讃岐うどんにまづ並び

平家蟹のみを描きて夏のれん

豊島(てしま)

再生の島いちじくのよく肥り

島ひとつ呑み秋の雲影歪む

国生みの島影はるか月を待つ

雨のあと大きな月を波の上

月光をすこしの毒として眠る

豊島美術館

湧きつぐを水のあそびと見て涼し

一粒の水月明を滑りだす

 

2022年は瀬戸内に詳しい知人と二人きりの、熱中症対策さえしていればよい気楽な旅でした。それが23年は新しい結社を起こすという、1年前には砂粒ほども思っていなかった事態となっていました。瀬戸内行は決行しましたが、直前まで結社の口座開設が難航するなど、一進一退に一喜一憂する日々でもありました。讃岐うどんの順番待ちに〈秋高し〉と付けたのは、松山から高松へ移動中に口座開設が叶った旨を着信し、ほっとしたから。予讃線の意外に長い乗車時間が終わり、降り立った高松駅前の空の高かったこと。

ただ、島旅の楽しさを教えてくれた知人が、あろうことか直前にコロナ感染し、メイン幹事不在の旅となってしまいました。

十人に一人が足りぬ秋灯          正子

豊島では、二人の若者が句会に飛び入り参加してくださったことも嬉しい思い出です。

つぎつぎにつながつてゆく涼しさよ  正子

「新しい結社」では「俳句でつながる」をモットーの一つに掲げようと考えていましたから、豊島美術館で、ぷくりと湧いた水の粒が、ときに隣の粒を巻きこんでつつーっと走るのを見て、背を押される心持ちにもなりました。

うすうすとしかもさだかに天の川       清崎敏郎

島の空は広いです。消灯時刻前から、うっすらと天の川が見えました。都会の夜空では、薄いというより確信の持てぬ見え方しか記憶にありません。消灯すれば更にと思えましたが、そのまま朝まで覚めることもなく眠ってしまいました。

天の川柱のごとく見て眠る             沢木欣一

三時頃に起き出した方によると、暁の空には稲妻が走ったのだとか。

2024年も瀬戸内の豊かな時間を、と思っていましたが、残念ながら中止に。来年はまた瀬戸芸の開催年にあたりますから、合わせて計画しようと話し合っています。(正子)

今月の季語(八月) 秋の風(2)

caffe kigosai 投稿日:2024年7月17日 作成者: masako2024年7月21日

立秋を過ぎても、風を〈秋〉とは到底思えぬ昨今です。夕方になれば「夕風が立つ」かもしれぬと、はかない願いを抱いてもみるのですが。

秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる     藤原敏行『古今集』

早くおどろきたいものです。せめて先人の句を読みながら、秋風の記憶をたどってみましょう。

 

あかあかと日はつれなくもあきの風    芭蕉

※原句の「あかあか」にはくりかえし記号が使われています。

石山の石より白し秋の風                 芭蕉

つる草や蔓の先なる秋の風             太祇

 

芭蕉の一句目、あかいのは「日」ですが、風もあかく熱をもっているように感じます。二句目は白秋の風です。五行では白は秋の色です。視覚でとらえていますが、肌触りもさっぱりしていそうです。

 

太祇の句も視覚の風でしょう。「蔓の先」以外は動いておらず、先だけがあるかなきかの風をとらえているのです。背景には秋の青い空が広がっていそうです。

 

夜もすがら秋風聞くやうらの山        曽良

秋の風三井の鐘より吹き起る            暁台

 

一晩中裏山に風が鳴っていたとは、曽良は風音に寝付けなかったのでしょうか。〈初嵐〉かもしれません。

暁台は、三井寺の鐘が風に共鳴するのを聴き留めました。〈秋の初風〉と呼ぶ風ではないでしょうか。

 

十団子(とおだご)も小粒になりぬ秋の風    許六

淋しさに飯をくふなり秋の風                        一茶

 

許六の句を芭蕉は「此句しほり有」と評したそうです(『去来抄』)。〈秋の風〉の「あはれ」をさらりと表現した手腕を褒めたとされます。食べ物で「あはれ」を表すとは、和歌にはあり得なかったことです。ただ現代の私たちには、このくだりは理解しづらいかもしれません。

一茶の句は、食が細らないところが俳諧的ともいえましょうが、理屈をこねなくても分かる句です。食べて紛らわせることならば、私たちも日常的にやっていそうです。

食べ物との取り合わせの句を挙げてみましょう。

 

秋風や鮎焼く塩のこげ加減                 永井荷風

秋風や甲羅をあます膳の蟹                 芥川龍之介

あきかぜや皿にカレーを汚し食ふ      櫻井博道

 

食べ物の句は視覚嗅覚のほかに、必ず味覚が発動しますし、聴覚や触覚も動員されるでしょう。おのずと身体全体で捉えて詠むことになりそうです。

 

死骸(なきがら)や秋風かよふ鼻の穴      飯田蛇笏

吹きおこる秋風鶴をあゆましむ                 石田波郷

 

秋風の「あはれ」といわれて咄嗟に思い出すのはこれらでしょうか。

 

遠くまでゆく秋風とすこし行く          矢島渚男

うしろより来て秋風が乗れと云う      高野ムツオ

 

多く行ったり、乗ってしまったりしたら、どこへ行きつくことやら。

 

あきかぜにいちいちうごくこころかな     池田澄子

秋風や柱拭くとき柱見て                            岡本 眸

 

この秋は、琴線に触れたものを「いちいち」書き留めてみることにしましょうか。(正子)

 

 

今月の季語(七月) 七夕

caffe kigosai 投稿日:2024年6月17日 作成者: masako2024年6月21日

〈七夕〉と聞けば、♪ささのは さーらさら のメロディが自動的に脳内再生されるほど、ポピュラーな行事ですが、実はいささか扱いにくい季語です。まとめておきましょう。

七夕は旧暦七月七日の行事です。旧暦七月は今の八月、つまり初秋にあたります。つまり、〈七夕〉は秋の季語である、ということを、まずおさえましょう。

たなばたや秋をさだむる夜のはじめ                   芭蕉

京の野堂亭を訪れたときの挨拶句です。七夕のころともなるとさすがに秋の気配が濃やかになると詠んでいます。この句には異形句もあって、

七夕や秋をさだむるはじめの夜              芭蕉

というのです。これを以て本来の七夕=秋のインプットが完了するのではないでしょうか。新暦七月七日はまだ梅雨のさなか、夜空に星も望めません。仙台など、今も旧暦を貫いている地があるのは、ご存知の通りです。

そのうえで、新暦七月七日に七夕を詠む術を考えてみましょう。保育園や幼稚園の傍らを通れば、七夕の歌が聞こえてきますし、駅の広場や公共施設のラウンジなど、もちろんご家庭でも、笹竹を立てて短冊を吊るすのは、新暦のこのころであることが断然多いのですから。

荒梅雨のその荒星が祭らるる                          相生垣瓜人

季語は〈荒梅雨〉=夏ですが、内容は七夕です。七夕は〈星祭〉ですから、 「荒星が祭らるる」を季語と捉えれば、季重なりの句でもあります。が、新暦旧暦のはざまで揺れる私たちには、かなり高度な技ながら、もっとも納得できる着地のしかたかもしれません。

七夕の一粒の雨ふりにけり                   山口青邨

七夕や髪ぬれしまま人に逢う                 橋本多佳子

みちのくの雨に七夕かざりかな              小澤 實

七夕竹切りし飛沫を浴びにけり              能村登四郎

七夕の傘を真つ赤にひらきけり              草深昌子

水っぽい例句を挙げてみました。順に読んでみましょう。

青邨の句は句集『粗餐』(昭和48年刊)所収ですから、新暦の七夕に「あ、やっぱり降って来た」というのかもしれません。

多佳子の「髪」は雨にぬれたというよりは、乾かしきらぬまま、でしょう。なにしろ〈星合〉の夜ですから、「人」はただの人ではありますまい。〈星合〉は七夕から恋の要素を抽出した季語です。〈便箋を折る星合の夜なりけり 藤田直子〉は、もちろん恋の手紙です。

實はみちのくの七夕祭で雨に遭ったようです。旧暦開催であってもそういうことはありましょう。私は八月の仙台を想像しています。

登四郎の「飛沫」は、竹を剪ったときの振動で、竹の葉の雨雫が降って来たことを指すのではないでしょうか。また、昌子は雨をおして恋人に逢いに行くのかもしれません。この二句は、七夕を季語に据えつつ、雨の時期でもあるといっている気がします。

最初におさえたように、〈七夕〉は秋の季語ですから、どの例句も秋の歳時記に載っています。試験で季節を問われれば、「秋」と答えざるを得ないのですが、もう試験には無縁となった私たち、季のことは棚上げして目の前の景を詠むことに徹する、としても悪くないでしょう。

梶の葉、硯洗ふ、願ひの糸など関連季語も一緒に調べておきましょう。(正子)

 

今月の季語(6月)梅雨

caffe kigosai 投稿日:2024年5月18日 作成者: masako2024年5月21日

二月に真夏の気温を記録したり、寒の戻りの激しさに開花が遅れたり、今年はいつにもましておかしな天候です。梅雨もしとしとのイメージを離れて久しいですが、さて、どんな梅雨になることでしょう。

世を隔て人を隔てゝ梅雨に入る              高野素十

二夜三夜傘さげ会へば梅雨めきぬ          石田波郷

素十の句からは、雨のとばりに隔てられる感覚が伝わってきます。しとしとと執念深く降り続く雨なればこそ生じる感覚でしょう。また、以前は雨が続くなあと思っているうちに、いつしか梅雨入りしてもいました。この二句には昔ながらの梅雨が、人との関係性を通して詠まれているといえそうです。

梅雨寒や舌に朱のこる餓鬼草紙            三森鉄治

梅雨時には雨で蒸す日もあれば、妙に冷え込む日もあります。餓鬼草紙の朱はもちろん他の季節であっても見られるものですが、ひやっと湿った空気の中で見るといよいよ凄惨なのでしょう。

梅雨の夜の金の折鶴父に呉れよ        中村草田男

妻とあればいづこも家郷梅雨青し          山口誓子

外に出られない日、子は折紙で退屈を紛らわせもしたことでしょう。〈万緑の中や吾子の歯生え初むる〉をはじめ、草田男の「吾子俳句」は有名。特別な一羽をせがむのは幸せの確認でもあったでしょう。誓子の句はのろけのようなものですが、「梅雨青し」の決めがさすがです。金、青と梅雨に差す色が美しい二句です。

梅雨の闇小さき星は塗りこめて            福永耕二

梅雨の闇は常よりも重い湿った闇です。〈五月闇〉ということもあります。

五月雨をあつめて早し最上川              芭蕉

空も地もひとつになりぬ五月雨          杉風

さみだれや大河を前に家二軒              蕪村

〈梅雨〉は時候にも天文にも使える季語ですが、〈五月雨〉は天文のみの季語です。上は江戸時代の、下は大正、昭和の句ですが、天候に逆らえないのは昔も今も同じです。

さみだれのあまだればかり浮御堂      阿波野青畝

さみだれや船がおくるる電話など          中村汀女

〈荒梅雨〉が出水を招くのも、〈空梅雨〉で水不足になるのも困りますが…。

草のさき出でて吹かるる梅雨出水      山上樹実雄

百姓に泣けとばかりに梅雨旱                石塚友二

梅雨の影響を受けているのは人のみにあらず。

頬杖をつけば阿呆と梅雨鴉                遠藤若狭男

よその田へつるりと逃げし梅雨鯰          本宮鼎三

梅雨茸の笠の裂け目を雨通る                  島田牙城

津波のような被害をもたらす昨今の梅雨。優しい雨であれと祈るほかはありません。(正子)

今月の季語(五月)木の花

caffe kigosai 投稿日:2024年4月17日 作成者: masako2024年4月19日

新緑の美しいころとなりました。若葉青葉の梢を仰ぐと、定かに見えないほど高い位置に花をつけていることがあります。樹下に散った花を見て気づくことのほうが多いでしょう。

今月は落葉高木と呼ばれる木々の花を追ってみましょう。

電車いままつしぐらなり桐の花      星野立子

桐の花らしき高さに咲きにけり      西村和子

一家に女の子が生まれると、嫁入り道具を作るために桐の木を植えた時代があります。立子が車窓からみとめたのは、そうした一幹でしょうか。

花咲きて水木は枝を平らにす       八木澤高原

山野に自生する「水木」が咲くのは〈夏〉、街路樹に多い「花水木」は〈春〉。別種です。水木は咲くと遠目に雲がかかったようにも、雪をかぶったようにも見えます。

ゆりの木の花に夜は星宿らむか      岡部六弥太

昨今では街路樹としてよく使われる「ゆりの木」です。チューリップツリーともいいます。チューリップのような(私はランタンのような、と思っています)花をつけます。

うやむやにけむりひとつばたごのはな      須賀一惠

「ひとつばたご」の花は白くもしゃもしゃしています。この木には「なんじゃもんじゃの木」という名もあります。

満月に花アカシヤの薄みどり         飯田龍太

アカシア(ニセアカシア)には「針槐(はりゑんじゆ)」の名もあります。白い蝶の形の花を密集させます。

ひろがりて雲もむらさき花楝(あふち)古賀まり子

仰ぎ見る楝の花のちる音か           山西雅子

「栴檀(せんだん)」ともいいます。双葉より芳しい栴檀はビャクダンのことで別種です。花は薄紫。

えごの花散りたる水にはづみけり    早野和子

こぼれつつえごは五月を送る花      村上鞆彦

釣鐘状の乳白色の花を下向きに無数につけます。散るというより、花ごとほたほたと落ちます。

火を投げし如くに雲や朴の花   野見山朱鳥(落葉高木)

あけぼのや泰山木は臘の花     上田五千石(常緑高木)

朴の花と泰山木の花はよく似ています。どちらも象牙色で、芳香があります。落葉するか、常緑かの違いもありますが、葉の質感はまるで異なります。泰山木の葉は厚手で光沢があります。朴の葉はかさかさして大きく、裏が白いです。「朴葉味噌」のような用途にも使われます。

その上の雲より白く山法師           林 翔

「山帽子」と書くことも。庭木にもされますが、本来は山野の木です。花水木の白花〈春〉と似ていますが、山法師は夏に咲きます。

特徴的な木の花を取りあげましたが、文字だけで理解するのは難しいです。図鑑を持って(検索できる機器を携帯して)山野へ出かけてみましょう。(正子)

 

今月の季語(4月) 春の雨(2)

caffe kigosai 投稿日:2024年3月17日 作成者: masako2024年3月18日

かつては月に3回は吟行に出かけていた私ですが、今年は本日3月17日までにようやく3回出たという為体です。

その3回目は3月初旬。行先は東京上野の不忍池界隈でした。折から冷たい雨が降ったり止んだりしていましたが、空が明るくなると草木の芽が囁き出すような一日でした。

〈春の雨〉は文字通り立春以降の雨のこと。三春通して使える天文の季語です。雨の総称ですから、どんな降り方のときにも使えます。

 

降り来るはさし足なれや春の雨      貞室

がうがうと春の雨ふる滝の中         原子公平

 

公平の雨は「滝」と一体化して「がうがう」と降っているのでしょうが、滝に拮抗するほど「がうがう」であろうと思えます。

一方〈春雨〉は現代では〈春の雨〉と同義で用いることも多いですが、万葉の昔から受け継いで来ている本意があります。即ち静かに降り続くさまに晩春の情趣を感じ取る、というものです。

 

春雨や小磯の小貝濡るるほど         蕪村

春雨といふ音のしてきたるかな      鷲谷七菜子

 

静かにあたたかく物を濡らしてゆく雨、という共通認識があるからこそ、七菜子は「春雨といふ音」を何の説明も付すことなく詠めたのでしょうし、「春雨じゃ、濡れて参ろう」と言った月形半平太は、しっとりと濡れたのに相違ありません。

先日の吟行で私が体験した雨は、〈春雨〉と呼ぶには少し早かったようですが、小止みになったときにはその雰囲気も味わえるものだったといえそうです。

〈時雨〉は降ったり止んだりする雨を指す冬の季語ですが、春にもそういう降り方の雨があります。〈春時雨〉です。

 

いつ濡れし松の根方ぞ春しぐれ       久保田万太郎

晴れぎはのはらりきらりと春時雨    川崎展宏

 

急に降り出して降り止む、より激しいにわか雨は〈春驟雨〉と呼びます。

 

春驟雨花買ひて灯の軒づたひ         岡本眸

 

〈春時雨〉も〈春驟雨〉も「春」の一字によって華やぎを得た雨といえましょう。

植物の名により明るさを得た雨もあります。菜の花が咲くころ降り続く長雨を指して〈菜種梅雨〉といいます。

 

幻に建つ都府楼や菜種梅雨           野村喜舟

炊き上がる飯に光りや菜種梅雨      中嶋秀子

 

また花時の雨、もしくは眼前の桜に降り注ぐ雨を〈花の雨〉といいます。

 

使いひよき針三ノ三花の雨           鈴木真砂女

金閣の金の樋にも花の雨             品川鈴子

 

俳人にあいにくの雨は無し、ですがくれぐれも風邪をひかぬよう。(正子)

 

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飛岡光枝(とびおかみつえ)
 
5月生まれのふたご座。句集に『白玉』。サイト「カフェきごさい」店長。俳句結社「古志」題詠欄選者。好きなお茶は「ジンジャーティ」
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5月生まれのふたご座。華道池坊教授。句集に『春炉』
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7月生まれのしし座。俳句結社「青麗」主宰。句集に『玩具』『花実』『青麗』。著書に『子どもの一句』『日々季語日和』『黒田杏子の俳句 櫻・螢・巡禮』。和光大・成蹊大講師。
福島光加(ふくしまこうか)
4月生まれのおひつじ座。草月流本部講師。ワークショップなどで50カ国近くを訪問。作る俳句は、植物の句と食物の句が多い。
木下洋子(きのしたようこ)
12月生まれのいて座。句集に『初戎』。好きなものは狂言と落語。
趙栄順(ちょよんすん)
同人誌『鳳仙花』編集長、6月生まれのふたご座好きなことは料理、孫と遊ぶこと。
花井淳(はない じゅん)
5月生まれの牡牛座、本業はエンジニア、これまで仕事で方々へ。一番の趣味は内外のお酒。金沢在住。
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