今月の季語〈十月〉 稲
昨年の秋分の日、秩父を走る蒸気機関車の中で小さな句会が開かれました。皆野町役場と観光協会の共催で、金子兜太氏の誕生日を祝うイベントが企画され、その一環としてSLの最後尾の一輛を借りて、近隣の俳句愛好者が席題句会を楽しんだのです。
選者として「森の座」主宰の横澤放川氏と共に私も乗せていただき、その際に出した題の一つが〈草の花〉でした。秩父の野には曼珠沙華が咲いていましたが、曼珠沙華を出題するのはあまりに「つきすぎ」だと思われたので。
曼珠沙華どれも腹出し秩父の子 金子兜太
〈草の花〉の題に対しては質問が二つ出ました。曼珠沙華でもよいですか? と、稲の花は草の花と言えますか? です。
先月例句に引いたように、〈草の花〉の本意は〈名はしらず草毎に花あはれなり 杉風〉というものだと思います。ゆえに「曼珠沙華は確かに樹木ではなく草本ですが、〈草の花〉とはしないことにしましょう」と答えました。この真っ赤な簪のような花は何だろうと思う人は、少なくともその場には一人もいませんでしたし。
〈稲の花〉も〈草の花〉とはしませんでした。稲はイネ科の一年草ですから、確かに草です。また、耕作者でなければ花と認識できないようなタイプの咲きようでもあります。が、花のあとに実るのは吾等の主食たる「米」です。名は知らず、と言っていてはバチがあたるかもしれません。
空へゆく階段のなし稲の花 田中裕明
未来図は直線多し早稲の花 鍵和田秞子
〈早稲〉は早く収穫できる品種の稲。東京の早稲田のあたりには、かつてはそうした田が広がっていたのでしょう。〈中稲(なかて)〉〈晩稲(おくて)〉ともども季語として使えます。
早稲の香や分け入る右は有磯海 芭蕉
魚沼や中稲の穂波うち揃ひ 若井新一
刈るほどに山風のたつ晩稲かな 飯田蛇笏
稲の穂波のことを〈稲穂波〉と一語で表すこともできます。〈初穂〉〈稲穂〉、また単に〈稲〉でも季語になります。いずれも実った秋の稲に対して使います。
とんと丈揃へて稲を束ねけり 阿部静雄
ちちははの墓のうらまで稲穂波 本宮哲郎
前者は〈稲刈〉の際の一動作でしょう。〈稲〉は「植物」の季語ですが、〈稲刈〉関連の語は人の営為を示す「生活」の季語となります。
世の中は稲刈る頃か草の庵 芭蕉
先月〈草の実〉についても見ましたが、稲という一年草の実は米です。生りたての米、つまり今年収穫した実は〈新米・今年米〉と呼ばれ、「生活」の章に収められています。食べ物だからです。
新米もまだ草の実の匂ひかな 蕪村
よき名つけ姫やひかりや今年米 岩井英雅
〈草の実〉は「植物」、〈新米〉は「生活」の季語です。やはり稲は特別扱いすべき草と言えましょう。
ちなみにイベントで出されたもう一つの題は「機関車」でした。兜太先生はその五か月後の今年二月二十日に亡くなり、誕生祝いの俳句SLが走ることはもうありませんでした。私にとっては一度きりの貴重な思い出となりました。(正子)