旧暦8月15日は中秋の名月(今年は9月27日)。幼い頃、近所の草道ですすきをとって庭に飾ったり、ホットケーキの素(!)で団子を作ったりしたことが懐かしく思い出される。我が家流に楽しんでいたわけで、恥ずかしながら、月見には月の鑑賞ほか、収穫祭の意味があり、すすきは稲穂の見立て、団子(もちろん、本来は新粉団子)はお供えということをわかっていなかった。そんな自分が現在、職業柄もあって、月見団子についての問い合わせに答えることがあるのだから不思議なものだ。
月見団子の資料となれば、江戸時代後期の風俗を記した喜多川守貞(きたがわもりさだ)の『守貞謾稿(もりさだまんこう)』が詳しい。江戸は丸い団子だが、京阪では小芋(里芋)に見立てて先端をとがらすなど、東西の違いに触れている。しかも京都では豆粉(黄粉)に砂糖を加えたものを、団子の衣としたとあるから、おもしろい。
小芋形は今も受け継がれているが、豆粉の衣ではなく、餡を巻いたものが京都の菓子屋でよく作られている。 調べてみると、第13回全国菓子大博覧会(1954)の際に、京都の菓子屋仲間が考案したそうで、それから広まったようだ。餡が巻いてあると確かにおいしそうだ。
団子の数についても聞かれることがある。十五夜なので、15個と思っていたが、先の守貞によれば、京都では通常12個、閏月がある年には13個を盛ったという。今も地域によって違いはあるだろう。
ちなみにかつては、子供たちが月見団子を盗むという奇妙な風習が各地にあり、「月見泥棒」「団子釣り」と呼ばれていたとか。釣針や釘をつけた竹の棒で、縁側や玄関先に置かれたお供えを突き刺して持ち帰るという。供え物は皆で分ける、なくなることがよいという意味もあるようで、大人は了解していて、取りやすい位置に団子を置くこともあったそうだ。今は廃れつつあるが、遊び心たっぷりのこうした行事を子どもの頃に体験したら、その思い出は大人になっても消えることはないだろう。
近年では月見の頃になると、兎の形の饅頭や干菓子、ススキの焼印を押した麩焼き煎餅など、可愛らしい意匠の菓子が目を引くが、歴史を知ると昔ながらの団子を大切にしたい気持ちになる。今年の月見は、団子に注目してみてはいかがだろうか。
中山圭子(虎屋 虎屋文庫専門職)