売場から米袋の姿が消え、令和の米騒動が懸念される昨今です。日本人の米離れが報告されて久しいですが、やはり主食は米であったかと思わされます。もしかするとパンに親しんでいた世代も、こうなってみると米に執着したくなったかもしれません。
今年は尋常ならぬ猛暑でしたが、降水量が確保されたため、米の収穫高は期待できるとニュースが告げていました。品種改良で暑さに強くもなっているのでしょう。
ともあれ新米の季節到来。落ち着いて市場が潤ってくるのを待ちましょう。
新米を詰められ袋立ちあがる 江川千代八
どの家も新米積みて炉火燃えて 高野素十
まずは景気の良い句から。前句、ずっしりと新米の詰まった袋が自立するさま。擬人化された袋がいきいきと嬉しそうです。後句、米農家の景とも読めますが、そうでない各家庭でもあり得そうです。今では精米後の米を買うことが断然多いですから、一度に積むほど買ったりはしません。が、昔は玄米で購入し、食べる分ずつ搗いていたと聞きます。また何世代も同居していましたから、養う口の数も多かったはず。米がたっぷり、火もあって、というのは豊かで安心できる景に違いありません。
手に受けて象牙の艶の今年米 栗田やすし
ひんやりと両手に応へ今年米 若井新一
句の表側からは判断できませんが、前句は購入者サイドの、後句は生産者の句です。そう思って読むと、後句の「両手」は稲作に取り組んできた肉厚の手であり、「応へ」には達成感が滲んでいることがわかります。
新米といふよろこびのかすかなり 飯田龍太
この句に龍太は次のように自解しています。
掌の上のかすかな籾の重み。炊き上がった新米の香ばしい朝の匂い――だが、三伏の苦しい労働を思うと、その気持は複雑である。 (『自選自解 飯田龍太集』)
前出の若井さんには次のような句があります。
指先の水にしびれし種選み 若井新一
泥のほか見ざるひと日や代を掻く
太陽に額づくごとし田草取り
背(せな)の汗野良着の紺を濃くしたり
稲に稲のせて深田を刈りにけり
自分の手では米を作りだせない者の一人として、「新米」のよろこびを感謝の念をもって味わいたいと思います。
さて新米で造った酒を〈新酒〉〈今年酒〉〈新走(あらばしり)〉といいます。今では寒造が一般となり、新酒が出回るのは翌年となりましたが、かつての習慣から秋の季語となっているそうです。
とつくんのあととくとくと今年酒 鷹羽狩行
擬音語のみでなんと旨そうな。
古酒の壺筵にとんと置き据ゑぬ 佐藤念腹
新酒が出るとそれまでの酒は古酒と呼ばれます。新茶に対してそれまでの茶を古茶と呼ぶのと同じです。古暦、古日記も同じ道理。
あわせて覚えておきましょう。(正子)