今年の梅雨はどうなるだろうと前線の北上が気になるころとなりました。梅雨といえば昔はしとしとと降り続くイメージでしたが、近年は台風並みです。実際に同時に台風が到来することもあります。溢れ、押し流し、被害も甚大です。
六月の夜の楽しみといえば、蛍狩もそのひとつ。天候がこれほど変わってきているのに、蛍だけは昔のままということはあり得ません。原因は温暖化にあると聞けば、ささやかなことであってもできる努力は何でもします、と祈る心持ちにもなります。
草の葉を落つるより飛ぶ蛍かな 芭蕉
暗闇の筧をつたふ蛍かな 許六(きょりく)
川ばかり闇は流れて蛍かな 千代女
うつす手に光る蛍や指のまた 太祇
追はれては月にかくるるほたるかな 蓼太(りょうた)
江戸期の俳人たちは例えばこのように詠んでいます。現代とは異なる当時の闇を飛ぶ蛍を想像してみましょう。
芭蕉の蛍は「落つる」と言っていますが、転げ落ちたわけではないでしょう。草の葉に留まっていた光の粒が、発つとき一瞬沈むような弧を描いたのではないでしょうか。
許六は芭蕉の弟子です(蕉門十哲の一人。〈十団子も小粒になりぬ秋の風〉を「しほり」があると芭蕉に高く評価された)。筧がそこにあることを知っていたかもしれませんが、真っ暗闇となった今は、その音(と記憶)が頼りです。蛍の動きが即ち水の流れだという、闇の中ながら視覚による気づきによって成った句でしょう。
千代女は加賀の人。今でも夜の川は暗闇を押し流しているように感じます。電灯というものが一切無かった当時の川を想像しましょう。
太祇は芭蕉の没後の生まれ。蕪村より少し年長です。手から手へ蛍を移したのでしょうか。蛍の明滅が指の股を照らし出します。手のひらというごく近くで見つめる蛍です。
蓼太は蕪村とほぼ同齢です。蛍の飛翔が月に重なったことにより、位置が捉えられなくなったことを「かくるる」と表現しました。蛍は月の明るい夜はあまり飛ばないそうです。自分の輝きのアピール力が弱まるから。なるほど、ですね。
寝(いね)し家を喜びとべる蛍かな 高浜虚子
霧吹いて数の増えたる蛍かな 阿部みどり女
蛍獲て少年の指みどりなり 山口誓子
近現代の俳人たちも、江戸の人々と同じように詠み上げている例もあれば、
人殺す我かも知らず飛ぶ蛍 前田普羅
ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜 桂 信子
蛍の夜老い放題に老いんとす 飯島晴子
自我を反映させて詠む例もあります。
おおかみに蛍が一つ付いていた 金子兜太
姿見にはいつてゆきし蛍かな 眞鍋呉夫
戦場体験を負いながら生きた作家です。言葉の表向きの意味のみを辿っていては、真意を汲み取れない気がします。〈もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る 和泉式部〉。平安時代の和泉式部と心の底にある思いは違いますが、蛍を魂になぞらえて詠む日本古来の伝統を、ある意味では踏まえていると言えるかもしれません。
昔の人と通い合う蛍、時代が詠ませる新しい蛍、詠むことを逃れられない蛍、…さてあなたは今年、どんな蛍を詠みますか?(正子)









