↓
 

caffe kigosai

カテゴリーアーカイブ: 今月の季語

投稿ナビゲーション

← 古い投稿

今月の季語 六月 蛍

caffe kigosai 投稿日:2026年5月17日 作成者: masako2026年5月19日

今年の梅雨はどうなるだろうと前線の北上が気になるころとなりました。梅雨といえば昔はしとしとと降り続くイメージでしたが、近年は台風並みです。実際に同時に台風が到来することもあります。溢れ、押し流し、被害も甚大です。

六月の夜の楽しみといえば、蛍狩もそのひとつ。天候がこれほど変わってきているのに、蛍だけは昔のままということはあり得ません。原因は温暖化にあると聞けば、ささやかなことであってもできる努力は何でもします、と祈る心持ちにもなります。

草の葉を落つるより飛ぶ蛍かな      芭蕉

暗闇の筧をつたふ蛍かな            許六(きょりく)

川ばかり闇は流れて蛍かな          千代女

うつす手に光る蛍や指のまた        太祇

追はれては月にかくるるほたるかな  蓼太(りょうた)

江戸期の俳人たちは例えばこのように詠んでいます。現代とは異なる当時の闇を飛ぶ蛍を想像してみましょう。

芭蕉の蛍は「落つる」と言っていますが、転げ落ちたわけではないでしょう。草の葉に留まっていた光の粒が、発つとき一瞬沈むような弧を描いたのではないでしょうか。

許六は芭蕉の弟子です(蕉門十哲の一人。〈十団子も小粒になりぬ秋の風〉を「しほり」があると芭蕉に高く評価された)。筧がそこにあることを知っていたかもしれませんが、真っ暗闇となった今は、その音(と記憶)が頼りです。蛍の動きが即ち水の流れだという、闇の中ながら視覚による気づきによって成った句でしょう。

千代女は加賀の人。今でも夜の川は暗闇を押し流しているように感じます。電灯というものが一切無かった当時の川を想像しましょう。

太祇は芭蕉の没後の生まれ。蕪村より少し年長です。手から手へ蛍を移したのでしょうか。蛍の明滅が指の股を照らし出します。手のひらというごく近くで見つめる蛍です。

蓼太は蕪村とほぼ同齢です。蛍の飛翔が月に重なったことにより、位置が捉えられなくなったことを「かくるる」と表現しました。蛍は月の明るい夜はあまり飛ばないそうです。自分の輝きのアピール力が弱まるから。なるほど、ですね。

寝(いね)し家を喜びとべる蛍かな  高浜虚子

霧吹いて数の増えたる蛍かな        阿部みどり女

蛍獲て少年の指みどりなり          山口誓子

近現代の俳人たちも、江戸の人々と同じように詠み上げている例もあれば、

人殺す我かも知らず飛ぶ蛍          前田普羅

ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜    桂 信子

蛍の夜老い放題に老いんとす        飯島晴子

自我を反映させて詠む例もあります。

おおかみに蛍が一つ付いていた      金子兜太

姿見にはいつてゆきし蛍かな        眞鍋呉夫

戦場体験を負いながら生きた作家です。言葉の表向きの意味のみを辿っていては、真意を汲み取れない気がします。〈もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る 和泉式部〉。平安時代の和泉式部と心の底にある思いは違いますが、蛍を魂になぞらえて詠む日本古来の伝統を、ある意味では踏まえていると言えるかもしれません。

昔の人と通い合う蛍、時代が詠ませる新しい蛍、詠むことを逃れられない蛍、…さてあなたは今年、どんな蛍を詠みますか?(正子)

五月 麦秋

caffe kigosai 投稿日:2026年4月17日 作成者: masako2026年4月19日

〈麦の秋〉〈麦秋〉は時候の季語です。五月の下旬から六月初旬の、麦が熟れるころを指します。時候を表すのですから、植物としての麦が目の前に無くても使えますが、やはり黄金色に実った麦畑の風景がおのずと想像されます。

機関車に大肺活量麦の秋            小檜山繁子

太陽にうねり返して麦の秋          遠藤若狭男

麦秋と思ふ食堂車にひとり          田中裕明

繁子の句は眼前に麦が無くても成立しますが、機関車は麦畑を突っ切って走っていて欲しいと思います。若狭男の句のうねり返すのは熟れた麦畑にほかならず、裕明の句も食堂車の窓から見た外の景色が、いちめんに黄金色なのだろうと思えます。時候を告げながら、現実の景色を想起させる季語といえましょう。

麦秋なのに秋ではないの? と思った方もおられましょう。「秋」はつまり収穫期の意。米の「秋」は四季においても秋ですが、麦の「秋」は夏―麦の生育過程に沿って季語をさらっておきましょう。

まず麦を蒔くのは冬です。日本では稲作の裏作とすることが多いようです。〈麦蒔(むぎまき)〉は人の営みですから生活の季語です。

虔(つつ)ましき姿に人の麦を蒔く       髙橋淡路女【生活】冬

ミレーの絵のような雰囲気でしょうか。機械化される前の光景でしょう。蒔いた麦の種子は、冬枯のさなかに芽を出します。

麦萌ゆる土こまごまと影を生み             福永耕二【植物】冬

春先には、霜柱で根が浮き上がるのを防ぐため〈麦踏(むぎふみ)〉をします。昨今はあまり実施されないと聞きますが。

歩み来し人麦踏をはじめけり        高野素十【生活】春

踏まれて元気に育ち、風にそよぐほどになります。穂の出る前の青々とした麦を〈青麦〉と呼びます。

青麦にいつ出てみても風があり             右城暮石【植物】春

穂が出てくるころ(誰が見ても麦と判別できるようになるころ)、季節は夏に移ります。

麦熟れてあたたかき闇充満す               西東三鬼【植物】夏

土佐よりは伊予が美し麦は穂に             三好達治

そして収穫期=麦秋を迎えます。

麦車馬におくれて動き出づ          芝不器男

麦扱(こ)いで一家桶風呂荒使ふ    千田一路

水といふ水にありけり麦埃          高浜虚子

〈麦刈(むぎかり)〉一切が夏の季語ですが、米作同様、今ではコンバインによる収穫脱穀作業が行われ、このような作業や光景は見られなくなってきています。季語が一種の記憶装置になっているといえましょう。

今年収穫した麦を〈新麦〉と呼びます。穂を取り除いた茎が〈麦藁〉、麦藁で編んだ帽子が〈麦藁帽子〉、麦で作ったお菓子が〈麨(はつたい)/麦こがし〉。いずれも夏の季語です。

麦藁の今日の日のいろ日の匂ひ             木下夕爾【生活】

麦藁帽十重ねあり下より買ふ        小澤 實

麦こがし思ひ出に暈かかりたる             友岡子郷

〈麦茶〉も新麦を釜で炒りあげたものは香ばしさが格別です。が、どれも思い出の中のものとなりつつあるようです。(正子)

四月 陽炎

caffe kigosai 投稿日:2026年3月17日 作成者: masako2026年3月20日

〈風光る〉は歳時記には三春の季語として掲載されていますが、私自身は早春の景を思い浮かべます。そして春が闌けるにつれ、光るというよりは明るくなり、昼は霞み、夜は朧になって、輪郭が曖昧になってゆく―という感じなのですが、皆さまはいかがですか?

気温が上がるようになると、地面から立ち上る気流により、向こうの物が揺らいで見える現象が起きます。〈陽炎(かげろふ〉〉です。

ちらちらと陽炎立ちぬ猫の塚             夏目漱石

かげろうや肝胆ふかき猫と居る          和田悟朗(現代仮名遣い)

陽炎が立っているのは「我輩」の塚でしょうか。かの世でも猫じゃ猫じゃを踊っているのかもしれません。悟朗は物理化学者です。猫と肝胆相照らしあっている様を思うと、何がなし不思議で愉快です。

いぢめると陽炎になる妹よ               仁平勝

五感衰へ陽炎となる母か                奥坂まや

魂が薄くなって、心許ない感じになるのでしょうか。イメージとして使われた陽炎ですが、妹も母も、揺らいで消えてしまいそうです。

消えるといえばこんな句も。

原爆地子がかげろふに消えゆけり       石原八束

現実に一瞬の目の錯覚があったかもしれませんが、大人が起こした戦争により、子どもまで命を落としたことへの憤りがあればこその一句でしょう。

淡海といふ陽炎を漁れる                長谷川櫂

こちらは駘蕩たる句。陽炎の向こうに、舟を出す漁師の姿があるのでしょう。

糸遊を見てゐて何も見てゐずや         斎藤 玄

糸遊の遊んでをりぬ草の上             後藤比奈夫

〈糸遊〉は「いとゆふ」。陽炎のことです。玄は放心しているようにも思えます。比奈夫の句では、糸遊が精霊のように思えてきます。

陽炎と似たものに〈逃水(にげみづ)〉があります。こちらも気温の上がった日に起きる現象ですが、路上に見える水たまりのようなものを指します。陽炎が三春とされているのに対し、逃水は晩春の季語になっています。

逃水を追ふ逃水となりしかな             平井照敏

逃水をちひさな人がとほりけり           鴇田智哉

逃水は一種の蜃気楼現象だそうです。その〈蜃気楼〉も晩春の季語です。

しばらくは恋めくこころ蜃気楼           岡本眸

かひやぐら途中の橋の長からん         柿本多映

日本で有名なのは富山湾ですが、狙って出かけても必ず見られるわけではありません。眸も、見えるかしらと、しばらくドキドキして過ごしたのでしょう。結局見られなかった気がしますがどうだったでしょう。

蜃気楼のことを〈海市(かいし)〉〈かひやぐら〉ともいいます。かひやぐらに漢字を当てると「貝櫓/蜃楼」となります。「蜃」は大蛤のこと。蜃気楼はまさに、大蛤が気を吐いて見せる楼閣、櫓というわけです。多映は楼閣へ掛かる橋まで、心の目で見ているのでしょう。

春爛漫の候、糸遊と遊ぶも良し、逃水を追うも良し。たまさか心を解き放ちに外へ出てみませんか? (正子)

今月の季語 三月 霾(つちふる)

caffe kigosai 投稿日:2026年2月12日 作成者: masako2026年2月22日

〈霾〉すなわち大陸の〈黄砂/黄沙〉が海を越え、日本列島に降りしきることです。春の季語になっているのですから、遠い昔からの現象に違いありませんが、半世紀ほど前の東京では、西日本に起きたニュースとして見聞きしていた気がします。おそらく当時は学生であった私に、生活感覚が乏しかったからだろうと思ってはいますが。

殷亡ぶ日の如く天霾れり                              有馬朗人

黄沙いまかの楼蘭を発つらむか           藤田湘子

電車(確か、東京発の中央線だったかと)の窓が急に暗くなり、黄黒くなった空に畏れおののいたのは、そのあとのこと。空模様まで変えてしまう、これが黄砂かとまずは視覚で認識したのでした。

真円き夕日霾なかに落つ                              中村汀女

日は月のごとくに薄れ霾れり                          日原 傳

汀女の夕日からは、この世の終りのような様相を連想します。真円の太陽とはコロナという王冠を失った姿ですから。

「月のごとくに」は作者が直感的にとらえた比喩でしょうが、同様に人類存亡の危機を感じてしまいます。黄砂のベールにより太陽のコロナが隠され、淡くなって、すなわちこの太陽も「真円」くなっているのですから。

神鏡のごとき太陽霾ぐもり                  大橋敦子

この句ではさらに、神鏡の「神」の一文字によって、神の思し召しを拝んで受ける古代の民になった心持ちになります。

大気中にバリアを張れたらいいのに、といつも思いますが、為すすべもなく埋もれてゆく気分です。

黄砂ふる日を曼荼羅にぬかづきぬ                   吉田汀史

黄砂に限らず、春の強い風に吹かれて塵や埃がたんまりと降り積もります。今年は殊に太平洋側では年始以来雨が少なく、乾ききっていますから、ただならぬものがあります。

子等駈ける春塵のまき起りつゝ             星野立子

臥す母のまはりきららに春の塵             桂 信子

せっかく春の服に替えても、すぐに埃だらけになる元気な子どもたち。一方で「母」は病み臥しているのでしょうか。身動きできぬ人の床にも、目に見えるほどの塵が。

囀やピアノの上の薄埃                       島村 元

ピアノを弾かないから埃が…と解してもよいのですが、〈囀〉は春の季語ですから、この埃は春の埃、降りやすい季節でもあるわけです。黒く艶やかなピアノに、拭いても拭いても埃が、と受け止めてみたくもあります。

この時期には花粉も飛び始めます。春塵には花粉も交じっているはず。

気の毒に君気の毒な花粉症                          佐藤鬼房

今では〈花粉症〉も立派な季語として、春の生活の章に掲載されています。

鬼房はどうやら花粉症ではなさそうですが。

杉花粉しきりに飛んで初対面               対中いずみ

いずみさんは花粉症かもしれません。初対面とは、かなり危うい状況でしょう。水洟や嚔の症状が出ないことを祈ります。(正子)

今月の季語 二月 猫の恋

caffe kigosai 投稿日:2026年1月17日 作成者: masako2026年1月18日

六年前に〈囀り〉すなわち〈鳥の恋〉をテーマにしました。今月は身近な哺乳類、猫の恋をみていきましょう。

猫の恋やむとき閨の朧月                      芭蕉

うらやまし思ひきる時猫の恋                 越人

濡れて来し雨をふるふや猫の妻            太祇

同じ哺乳類でも〈鹿の恋〉(=秋)は雅なものとして和歌に詠まれてきました。卑俗な〈猫の恋〉は俳諧では句材として好まれ、江戸期以降多くの例句を見ることができます。

山国の暗(やみ)すさまじや猫の恋                  原 石鼎

武蔵より相模へ通ふ猫の恋                            有馬朗人

闇も濃く深いですが、その闇を破るように展開する猫の恋です。猫の恋ゆえにすさまじくなっている「暗」なのでしょう。

武蔵から相模へ通うには、多摩川を渡らねばなりません。水が嫌いな猫ですが、恋のためなら泳いででも渡るのかもしれません。

恋する猫を〈猫の夫(つま)〉〈猫の妻〉と呼びますが、〈恋猫〉は雌雄を問わず使えます。

恋猫の恋する猫で押し通す                           永田耕衣

恋する猫で押し通すと、怪我をしたり、汚れたりします。

恋猫の丹下左膳よ哭く勿れ                          阿波野青畝

恋猫となりしにはかの汚れかな                  遠藤若狭男

昨今の飼猫は外へは出してもらえませんが、昔はその点おおらかだったようです。ふらっと出ては何日も帰らず、飼主を心配させることも。

恋猫の皿舐めてすぐ鳴きにゆく            加藤楸邨

恋猫のかへる野の星沼の星                          橋本多佳子

それでも餌は律儀に食べに帰ってくるのが楸邨の猫です。一方多佳子の、出かけたきりなかなか戻らなかった猫は「五郎」。多佳子の猫好きは有名ですが、生涯に五匹の猫を飼ったといいます。五郎はその五代目です。

〈春の猫〉も〈恋猫〉と同義に使われます。

尾は蛇の如く動きて春の猫                           高浜虚子

恋の結果として生まれる〈猫の子〉〈子猫/仔猫〉も春の季語です。

百代(はくたい)の過客(かかく)しんがりに猫の子も 加藤楸邨

百代の過客」は芭蕉の紀行文『おくのほそ道』の冒頭にある語です。この世に生きる人は皆旅人のようなものだ。旅人の中には猫の子もいて、後ろからちょこちょことついてゆく、という句。新たにこの世へ仲間入りをした猫の子へ、愛に溢れた挨拶を贈っているようです。楸邨が亡くなったときには、

猫の子をのこし楸邨逝き給ふ                       原田 喬

と詠まれてもいます。泣き笑いしてしまいそうな追悼句です。

スリッパを越えかねてゐる仔猫かな                 高浜虚子

あそびけり子猫のいやがることをして               行方克巳

一生懸命な仔猫のさまは愛らしく、ゆえにちょっといじってみたくもなるのでしょう。(正子)

一月 寒(3)

caffe kigosai 投稿日:2025年12月19日 作成者: masako2025年12月22日

〈寒(かん)〉とは、〈寒の入り〉から〈節分〉(=立春の前日)までのおよそひと月の期間を指します。〈寒中〉〈寒の内〉とも呼び、一年のうちでもっとも寒い時期にあたります。

約束の寒の土筆を煮て下さい                       川端茅舎

寒といふ弩(いしゆみ)をひきしぼりたる            友岡子郷

単に「寒」といえば時候の季語ですが、「寒○○」の形でほかの章にも多く見られます。

寒の月白炎曳いて山をいづ                           飯田蛇笏〈天文〉

寒の水こぼれて玉となりにけり                     右城暮石〈地理〉

罪障のふかき寒紅濃かりけり                        鈴木真砂女〈生活〉

風神を祀らすとかや寒詣(かんまゐり)     後藤夜半〈行事〉

今月は〈動物〉の例をみていきましょう。

寒雀身を細うして闘へり                                  前田普羅

寒鴉己(し)が影の上(へ)におりたちぬ             芝 不器男

いつも見かける雀、鴉も、寒をつけて季語になります。前出の子郷は阪神淡路大震災に遭遇し、こう詠みました。

倒・裂・破・崩・礫の街寒雀                            友岡子郷

動いているものは寒雀だけだったかもしれません。

魚や貝も俳句では「動物」にくくられます(確かに動く物です)。

塩打ちし寒鰤の肌くもりけり                草間時彦

食べ物を旨そうに詠むことにおいて、時彦の右に出る者はいないかもしれないほど。対抗できるのはこの人、

品書きに鰤書き足して鰹消す              鈴木真砂女

銀座「卯波」の女将、食べさせる側の真砂女かもしれません。

寒鯉のかたまつてゐて触れ合はず                  伊藤伊那男

寒鮒を焼けば山国夕焼色                             山口青邨

寒蜆売にふたりの子がをりぬ                 今井杏太郎

身近な存在である鯉、鮒も、寒をつけて季語になります。

〈蜆〉は春、〈土用蜆〉は夏の季語です。要するにいつも食卓に上り得る小貝ですが、寒中にとれるものを特別に〈寒蜆〉と呼びます。「ばけばけ」のおトキさんも売り歩いていましたね。

虫も俳句では動物の仲間です。「寒○○」より「冬○○」の用例が断然多いようですが、冬になっても残っている虫ですから、生死の境をさまよっています。凍蝶は冬の蝶よりさらに哀れな様子です。

日向へと畦ひとつ越す冬の蝶              木内怜子

凍蝶の花にならむと石の上                 遠藤若狭男

石の上でじっと動かない蝶には霜がびっしりと降りているかもしれません。作者は、花になろうとしているのか、と見ています。

「植物」にも寒○○はたくさんあります。

一輪の寒紅梅の天地かな                   深見けん二

山の日は鏡のごとし寒桜                    高浜虚子

寒丹大往生のあしたかな                     黒田杏子

寒菊のほか何もなき畑かな                 山本一歩

植物については別の機会にゆっくり読むことにしましょう。(正子)

十二月 冬籠

caffe kigosai 投稿日:2025年11月17日 作成者: masako2025年11月20日

新型コロナ禍の籠り居から解放されたかと思いきや、今年の夏はあまりの暑さに籠もって過ごすことに…。暑さがようよう納まり、さあいよいよ秋だと喜んだのも束の間、急速に冷え込むようになってきました。

こうなってくると、暮らしの近代化により実感を失った〈冬籠〉が気になります。歳時記をひもとくと、昔の人がしていた〈冬籠〉が垣間見えます。

まず冬を迎える前に〈冬支度〉をします。これは晩秋の季語です。衣類、寝具、燃料の準備、家まわりの補修をし、干したり漬けたりして保存食の仕込みをします。地方や家庭によってさまざまですが、冬になる前に行う、冬を過ごすための準備全般を指します。

ちなみに〈障子貼る〉も冬支度の一つです。「えーっ」と思った方もおられましょうが、秋の季語であることを覚えておきましょう。

ふるさとへ障子を貼りに帰りけり                     大串 章〈秋〉

独りなり障子貼り替へてはみても                    奥名春江〈秋〉

喋りつつはかどつてゆく障子貼り                    三村純也〈秋〉

いろいろな障子貼りがありそうです。山廬・飯田家では代々の当主が障子貼りの名人だったとか。現当主が先代(父)龍太の腕前もすばらしかったと書いています。

そして冬になると仕込んだ漬物や、干したり塩にしたりして貯蔵した食糧を少しずつ消費しながら暮らしていきます。

妻と我沢庵(たくあん)五十ばかりかな      島田五空

夜ふかしを妻に叱られ干菜汁(ほしなじる)        沢木欣一

塩鮭の塩きびしきを好みけり                    水原秋櫻子

家まわりの防寒・防雪の備えが必要な地方もあります。

高き木に梯子かけたり冬構(ふゆがまへ)          高浜虚子

山祇(やまつみ)の出入りの扉あり雪囲      前田普羅

樹木や草花にも冬構を施します。

霜除(しもよけ)の藁に降る雨だけ見えず          後藤比奈夫

風垣(かざがき)のくくり縄嚙む放ち鶏        皆川盤水

菰巻(こもまき)の松の鱗の落ちつきぬ      永方裕子

家うちでは〈隙間風〉を防ぎ、建具を入れ替えて暖房効果を高めます。

ことごとく北塞ぎたる月夜かな                 大峯あきら

首の骨こつくり鳴らす目貼(めばり)して    能村登四郎

運ばむと四枚屏風に抱きつきぬ                 後藤綾子

濤うちし音かへりゆく障子かな                 橋本多佳子

君と寝む襖(ふすま)の虎に囲まれて                高山れおな

暖房も今ならばスイッチ一つで切換えられますが、かつてはさまざまな使い勝手のものがありました。

スチームや中世の色濃きホテル                千原叡子

一片のパセリ掃かるる暖炉かな                芝 不器男

ストーブの中の炎が飛んでをり                上野 泰

学問のさびしさに耐へ炭をつぐ                山口誓子

今では〈炭〉をつぐのはお茶を嗜む方くらいかもしれません。〈炭〉を使わない家には〈炭斗(すみとり)〉や〈火消壺〉もありません。〈炭売〉という商売もあがったりになります。

ですがまだ歳時記にはこれらの「記憶」が残っています。時には解説にとどまらず考証まで読んでみてはいかがでしょう。(正子)

十一月 枇杷の花 柊の花 

caffe kigosai 投稿日:2025年10月17日 作成者: masako2025年10月22日

枇杷はバラ科、柊はモクセイ科。どちらも常緑ですが、木の姿も花の形もまるで異なります。共通するのはその佳き香り―と聞いて「え、枇杷の花って香るの?」と思われた方もいらっしゃるでしょう。私も自分の鼻でその香りを捉えたのは、さほど昔のことではなく、二〇一九年十一月のことでした。

「俳句四季」十一月号(十月二十日刊行)にそのいきさつを長々と書きましたので詳細は省略しますが、その日、どこよりか芳しい香りが漂ってきてあたりを見回すと、大きな枇杷の木が遠目にもわかるほど白く花を付けていました。何度も通った場所ではありました。ここに枇杷あった? 枇杷の花って香るの? 近づくにつれ強くなるその香に、同行の者は皆、絡め取られるように酔い痴れたのでした。

例句を調べると、

蜂のみが知る香放てり枇杷の花              右城暮石

香りの句もありますが、芳香を絶賛しているわけではなさそうです。

十人の一人が気付き枇杷の花                高田風人子

一人が「いい匂い」と気付いた可能性も無くはないのですが……。

満開といふしづけさの枇杷の花             伊藤伊那男

故郷に墓のみ待てり枇杷の花                福田蓼汀

裏口へ廻る用向き枇杷の花                    山崎ひさを

やはり裏手にあたるところにひっそりと咲く花のようです。

「俳句四季」には三十名の会員に句を寄せていただきましたが、その中に香りの句が三句ありました。

明かぬ夜やきのふの枇杷の花匂ふ    堀口知子

このにほひは母の鏡台枇杷の花             原田桂子

ふるさとの甘やかな風枇杷の花             仙波玉藻

二〇一九年の体験以来、私は枇杷の花を見つけると、必ず寄って行くことにしていますが、いつも香るとは限らないようです。ものの本には、花が黄色くなるにつれ、強く香るとありますが。

この冬、皆さまにも枇杷の花の香りを確かめていただければと願っています。

柊の花のほうは、その香を知らぬ人はいないでしょう。モクセイ科なだけはあるという香りです。こちらも花自体はさほど目立たず、芳香によってその存在に気付くことが多いようです。

柊の花一本の香かな                 高野素十

柊のひそかな花に顔よせて          星野立子

素十の句は、たった一本あるだけでこれほどまでに香る、と読みたいですし、立子が顔をよせたのは、その芳香ゆえ、と思います。

私自身がその香に吸い寄せられた定かな記憶は、一九九九年十一月下関でのことです。少しひんやりした日でした。ふいにその日の空気より冷たい流れが頰に触れ、モクセイ? と思いました。が、既にその季節は過ぎています。ではヒイラギ? あたりにそれらしきものが無いので、探しながらさらに進むと、一軒をすっぽりと囲む生垣がどうやらそれらしく思われました。近づくと「ヒイラギモクセイ」と札が付いていました。欲張りな名前だなあ…。その後のことは、句会場の床の間に柊が生けられてあったこと以外の記憶が欠落しています。

ひひらぎの生けられてすぐ花こぼす      髙田正子

ひひらぎの花まつすぐにこぼれけり

思い出から拾った、初冬の芳しい花ベスト2でした。 (正子)

 

 

十月 秋果(2)

caffe kigosai 投稿日:2025年9月19日 作成者: masako2025年9月27日

何年か前に「秋果」のテーマで初秋のころの果物をとりあげ、その結びに「今から柑橘類が次々に旬を迎える」と書いていました。今月はその柑橘類をとりあげます。

とはいうものの、柑橘類は種類によって出回る時期が多岐にわたっています。殊に「みかん」と呼ばれるものは、新種も加わってざっと10月から5月ころまで、いつも何かが旬を迎えています。柑橘好きにはうれしい、贅沢な時代になったものです。

ひとまずここでは秋(から少し冬に入ったところまで)に限って、季語と例句を見ていきましょう。

〈蜜柑〉(温州みかんを指すことが多い)が熟すのは冬に入ってからですから冬の季語です。それに先立ち、秋の季語として〈早生蜜柑〉〈青蜜柑〉があります。

船はまだ木組みのままや青蜜柑             友岡子郷

青みかん置いてそのまま夜の脚立           岩津厚子

蜜柑出荷用の船でしょうか。木に生っている蜜柑はなお青く、船も仕上がっていないということでしょう。

脚立は収穫のために立てたものでしょう。そのまま放置され、夜になっているのです。青みかんは単数とも複数とも解せますが、私はとりこぼした1個がぽつりと置かれている景を思いました。

ちなみに〈蜜柑〉のみで実を指します。花をいうときには〈蜜柑の花〉(夏)とします。

花蜜柑島のすみずみまで匂ふ               山下美典(夏)

近景に蜜柑遠景に蜜柑山                   宇多喜代子(冬)

緑の葉影に真緑の実をつけていた〈柚子〉は、黄金色に熟れ始めます。ご存知のように、果肉をそのまま食することはありませんが、果汁を調整して飲料にしたり、調味料として広い用途があります。冬の鍋物には欠かせない存在でもあります。

柚子すべてとりたるあとの月夜かな         大井雅人

柚子の香のはつと驚くごと匂ふ             後藤立夫

柚味噌やひとの家族にうちまじり           岡本 眸(秋・生活)

ふるさとの無くて柚餅子の懐かしき         文挟夫佐恵(同)

黄金の実をとってしまえば、柚子は単なる緑の木となります。夜ともなれば黒々とした一塊の影となるでしょう。そこへ昇ってきたのが月です。なにがなし凜々と生っていた実の再来のようにも思われます。

柚子は色佳し香り佳し。表皮も削いだりおろしたりして料理に使われます。〈柚味噌(ゆみそ/ゆずみそ〉や〈柚釜(ゆがま/ゆずがま)〉、〈柚餅子(ゆべし))は、かつてはそれぞれの家庭の味でもありました。

秋刀魚を焼いたときに添える〈酢橘・酸橘(すだち)〉はピンポン玉ほどの大きさです。松茸料理にも欠かせません。徳島の特産品です。すだちより一回り大きい〈かぼす〉はまろやかな酸味が特徴。大分産が有名です。

ふたり住むある日すだちをしたたらす       黒田杏子

年上の妻のごとくにかぼすかな             鷹羽狩行

その名が体を表す〈金柑〉も晩秋に熟します。果皮ごと生食できますが、甘露煮や果実酒などにもします。次の句の季節は冬(季語=〈霜夜〉)ですが、金柑といえば思い出す私の愛称句です。

金柑を星のごと煮る霜夜かな        黒田杏子            (正子)

今月の季語(9月)秋の水

caffe kigosai 投稿日:2025年8月18日 作成者: masako2025年8月23日

朝晩は鉦叩が鳴き、ときには他の虫も加わって、うっすらと秋を感じるようになってきました。が、昼は相変わらず残暑に焙られているような日々です。涼を求めて水辺に寄ることも、まだまだ多いのではないでしょうか。水辺で秋の季語、見つけてみませんか?

〈秋の川〉(秋の池)〈秋の湖〉は(もちろん)秋の季語です。この形で見出しに掲載されており、三秋(秋の間はずっと)使えます。

秋の川真白な石を拾ひけり             夏目漱石

鳰の子のくゞる稽古や秋の池          青木月斗

山襞の折目正しく秋の湖               金箱戈止夫

漱石の真白は秋の色である「白」を意識してもいるでしょう。流れの中に白い石を認めて拾い上げたととらえると、流れの清涼感も覚えます。

月斗の鳰の子は、この夏浮巣で孵った雛でしょう。雛は哀れなことに減っていきますが、ここまで育った「子」が池の面に何度も何度も水の輪を作っているのです。

戈止夫の山は襞をしっかりたたんでいます。それをそっくり映し出している湖面も鏡面を成して明るいことでしょう。

句の水辺はどれもそれぞれに静かで、水が澄んでいる感じです。今年は気温が下がり切らず、水もまだまだぬるそうですが、昨日よりは澄んでいるかも、と覗いてみるのはどうでしょう。〈水澄む〉は秋の季語です。

水澄みて四方に関ある甲斐の国        飯田龍太

よぎりたる蜂一匹に水澄める          深見けん二

龍太の句からは水音が聞こえてきそう。対してけん二の句は、蜂の翅音のみを私は想像しますが、皆さまはいかがでしょうか。

水が澄む季節であることを讃える〈水の秋〉という季語もあります。

病む父のほとりに母や水の秋          長谷川櫂

平らなる広がりにあり水の秋          桂 信子

父と母が身を寄せ合って日々を過ごしていることが「ほとり」という柔らかな語感から伝わってきます。「ほとり」は水の縁語でもあります。〈水の秋〉という季語は、両親の凪いだ暮らしを願う子の祈りでもありましょう。

信子は、この平らで広らかなことこそが〈水の秋〉の本意だ、ここはまさにそういう美しさだと眼前の景を褒め讃えています。この句、もし〈水の秋〉でなく〈秋の水〉であったらどうでしょう。「平らなる広がりにあり秋の水」――そりゃ水は平らだよね、と突っ込みたくなりそうです。〈秋の水〉も澄んだ水を讃える季語ですが、こちらは水そのものを強調します。水も含めて水辺の秋を讃えるのですから〈水の秋〉。似て非なるところを汲みましょう。

草に触れ秋水走りわかれけり          中村汀女

秋の水ひかりの底を流れけり          井越芳子

水が走る、水が流れる、と汀女も芳子も確かに水そのものを詠んでいます。

水辺に降りると、夏の間は青くそよいでいた蘆に穂が出、中には絮を飛ばし始めたものもあります。蒲にもソーセージのような穂が。

蘆の花近寄るほどに高くなる          右城暮石

海山の神々老いぬ蒲の絮          田中裕明

いろいろなものが秋を告げています。さがしてみましょう。

(正子)

投稿ナビゲーション

← 古い投稿

「カフェきごさいズーム句会」のご案内

「カフェきごさいズーム句会」(飛岡光枝選)はズームでの句会で、全国、海外どこからでも参加できます。

  • 第三十九回 2026年6月13日(土)13時30分
    (原則第二土曜日です)
  • 前日投句5句、当日席題3句の2座(当日欠席の場合は1座目の欠席投句が可能です)
  • 年会費 6,000円
  • 見学(1回・無料)も可能です。メニューの「お問い合せ」欄からお申込みください。
  • 申し込みは こちら からどうぞ

Catégorie

  • à la carte (アラカルト)
  • 今月の季語
  • 今月の料理
  • 今月の花
  • 加賀の一盞
  • 和菓子
  • 店長より
  • 浪速の味 江戸の味
  • 花

menu

  • top
  • きごさいBASE
  • 長谷川櫂の俳句的生活
  • お問い合せ
  • 管理

スタッフのプロフィール

飛岡光枝(とびおかみつえ)
 
5月生まれのふたご座。句集に『白玉』。サイト「カフェきごさい」店長。俳句結社「古志」題詠欄選者。好きなお茶は「ジンジャーティ」
高田正子(たかだまさこ)
 
7月生まれのしし座。俳句結社「青麗」主宰。句集に『玩具』『花実』『青麗』。著書に『子どもの一句』『日々季語日和』『黒田杏子の俳句 櫻・螢・巡禮』。和光大・成蹊大講師。
福島光加(ふくしまこうか)
4月生まれのおひつじ座。草月流本部講師。ワークショップなどで50カ国近くを訪問。作る俳句は、植物の句と食物の句が多い。
木下洋子(きのしたようこ)
12月生まれのいて座。句集に『初戎』。好きなものは狂言と落語。
趙栄順(ちょよんすん)
同人誌『鳳仙花』編集長、6月生まれのふたご座好きなことは料理、孫と遊ぶこと。
花井淳(はない じゅん)
5月生まれの牡牛座、本業はエンジニア、これまで仕事で方々へ。一番の趣味は内外のお酒。金沢在住。
©2026 - caffe kigosai
↑