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カテゴリーアーカイブ: 今月の季語

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今月の季語 二月 猫の恋

caffe kigosai 投稿日:2026年1月17日 作成者: masako2026年1月18日

六年前に〈囀り〉すなわち〈鳥の恋〉をテーマにしました。今月は身近な哺乳類、猫の恋をみていきましょう。

猫の恋やむとき閨の朧月                      芭蕉

うらやまし思ひきる時猫の恋                 越人

濡れて来し雨をふるふや猫の妻            太祇

同じ哺乳類でも〈鹿の恋〉(=秋)は雅なものとして和歌に詠まれてきました。卑俗な〈猫の恋〉は俳諧では句材として好まれ、江戸期以降多くの例句を見ることができます。

山国の暗(やみ)すさまじや猫の恋                  原 石鼎

武蔵より相模へ通ふ猫の恋                            有馬朗人

闇も濃く深いですが、その闇を破るように展開する猫の恋です。猫の恋ゆえにすさまじくなっている「暗」なのでしょう。

武蔵から相模へ通うには、多摩川を渡らねばなりません。水が嫌いな猫ですが、恋のためなら泳いででも渡るのかもしれません。

恋する猫を〈猫の夫(つま)〉〈猫の妻〉と呼びますが、〈恋猫〉は雌雄を問わず使えます。

恋猫の恋する猫で押し通す                           永田耕衣

恋する猫で押し通すと、怪我をしたり、汚れたりします。

恋猫の丹下左膳よ哭く勿れ                          阿波野青畝

恋猫となりしにはかの汚れかな                  遠藤若狭男

昨今の飼猫は外へは出してもらえませんが、昔はその点おおらかだったようです。ふらっと出ては何日も帰らず、飼主を心配させることも。

恋猫の皿舐めてすぐ鳴きにゆく            加藤楸邨

恋猫のかへる野の星沼の星                          橋本多佳子

それでも餌は律儀に食べに帰ってくるのが楸邨の猫です。一方多佳子の、出かけたきりなかなか戻らなかった猫は「五郎」。多佳子の猫好きは有名ですが、生涯に五匹の猫を飼ったといいます。五郎はその五代目です。

〈春の猫〉も〈恋猫〉と同義に使われます。

尾は蛇の如く動きて春の猫                           高浜虚子

恋の結果として生まれる〈猫の子〉〈子猫/仔猫〉も春の季語です。

百代(はくたい)の過客(かかく)しんがりに猫の子も 加藤楸邨

百代の過客」は芭蕉の紀行文『おくのほそ道』の冒頭にある語です。この世に生きる人は皆旅人のようなものだ。旅人の中には猫の子もいて、後ろからちょこちょことついてゆく、という句。新たにこの世へ仲間入りをした猫の子へ、愛に溢れた挨拶を贈っているようです。楸邨が亡くなったときには、

猫の子をのこし楸邨逝き給ふ                       原田 喬

と詠まれてもいます。泣き笑いしてしまいそうな追悼句です。

スリッパを越えかねてゐる仔猫かな                 高浜虚子

あそびけり子猫のいやがることをして               行方克巳

一生懸命な仔猫のさまは愛らしく、ゆえにちょっといじってみたくもなるのでしょう。(正子)

一月 寒(3)

caffe kigosai 投稿日:2025年12月19日 作成者: masako2025年12月22日

〈寒(かん)〉とは、〈寒の入り〉から〈節分〉(=立春の前日)までのおよそひと月の期間を指します。〈寒中〉〈寒の内〉とも呼び、一年のうちでもっとも寒い時期にあたります。

約束の寒の土筆を煮て下さい                       川端茅舎

寒といふ弩(いしゆみ)をひきしぼりたる            友岡子郷

単に「寒」といえば時候の季語ですが、「寒○○」の形でほかの章にも多く見られます。

寒の月白炎曳いて山をいづ                           飯田蛇笏〈天文〉

寒の水こぼれて玉となりにけり                     右城暮石〈地理〉

罪障のふかき寒紅濃かりけり                        鈴木真砂女〈生活〉

風神を祀らすとかや寒詣(かんまゐり)     後藤夜半〈行事〉

今月は〈動物〉の例をみていきましょう。

寒雀身を細うして闘へり                                  前田普羅

寒鴉己(し)が影の上(へ)におりたちぬ             芝 不器男

いつも見かける雀、鴉も、寒をつけて季語になります。前出の子郷は阪神淡路大震災に遭遇し、こう詠みました。

倒・裂・破・崩・礫の街寒雀                            友岡子郷

動いているものは寒雀だけだったかもしれません。

魚や貝も俳句では「動物」にくくられます(確かに動く物です)。

塩打ちし寒鰤の肌くもりけり                草間時彦

食べ物を旨そうに詠むことにおいて、時彦の右に出る者はいないかもしれないほど。対抗できるのはこの人、

品書きに鰤書き足して鰹消す              鈴木真砂女

銀座「卯波」の女将、食べさせる側の真砂女かもしれません。

寒鯉のかたまつてゐて触れ合はず                  伊藤伊那男

寒鮒を焼けば山国夕焼色                             山口青邨

寒蜆売にふたりの子がをりぬ                 今井杏太郎

身近な存在である鯉、鮒も、寒をつけて季語になります。

〈蜆〉は春、〈土用蜆〉は夏の季語です。要するにいつも食卓に上り得る小貝ですが、寒中にとれるものを特別に〈寒蜆〉と呼びます。「ばけばけ」のおトキさんも売り歩いていましたね。

虫も俳句では動物の仲間です。「寒○○」より「冬○○」の用例が断然多いようですが、冬になっても残っている虫ですから、生死の境をさまよっています。凍蝶は冬の蝶よりさらに哀れな様子です。

日向へと畦ひとつ越す冬の蝶              木内怜子

凍蝶の花にならむと石の上                 遠藤若狭男

石の上でじっと動かない蝶には霜がびっしりと降りているかもしれません。作者は、花になろうとしているのか、と見ています。

「植物」にも寒○○はたくさんあります。

一輪の寒紅梅の天地かな                   深見けん二

山の日は鏡のごとし寒桜                    高浜虚子

寒丹大往生のあしたかな                     黒田杏子

寒菊のほか何もなき畑かな                 山本一歩

植物については別の機会にゆっくり読むことにしましょう。(正子)

十二月 冬籠

caffe kigosai 投稿日:2025年11月17日 作成者: masako2025年11月20日

新型コロナ禍の籠り居から解放されたかと思いきや、今年の夏はあまりの暑さに籠もって過ごすことに…。暑さがようよう納まり、さあいよいよ秋だと喜んだのも束の間、急速に冷え込むようになってきました。

こうなってくると、暮らしの近代化により実感を失った〈冬籠〉が気になります。歳時記をひもとくと、昔の人がしていた〈冬籠〉が垣間見えます。

まず冬を迎える前に〈冬支度〉をします。これは晩秋の季語です。衣類、寝具、燃料の準備、家まわりの補修をし、干したり漬けたりして保存食の仕込みをします。地方や家庭によってさまざまですが、冬になる前に行う、冬を過ごすための準備全般を指します。

ちなみに〈障子貼る〉も冬支度の一つです。「えーっ」と思った方もおられましょうが、秋の季語であることを覚えておきましょう。

ふるさとへ障子を貼りに帰りけり                     大串 章〈秋〉

独りなり障子貼り替へてはみても                    奥名春江〈秋〉

喋りつつはかどつてゆく障子貼り                    三村純也〈秋〉

いろいろな障子貼りがありそうです。山廬・飯田家では代々の当主が障子貼りの名人だったとか。現当主が先代(父)龍太の腕前もすばらしかったと書いています。

そして冬になると仕込んだ漬物や、干したり塩にしたりして貯蔵した食糧を少しずつ消費しながら暮らしていきます。

妻と我沢庵(たくあん)五十ばかりかな      島田五空

夜ふかしを妻に叱られ干菜汁(ほしなじる)        沢木欣一

塩鮭の塩きびしきを好みけり                    水原秋櫻子

家まわりの防寒・防雪の備えが必要な地方もあります。

高き木に梯子かけたり冬構(ふゆがまへ)          高浜虚子

山祇(やまつみ)の出入りの扉あり雪囲      前田普羅

樹木や草花にも冬構を施します。

霜除(しもよけ)の藁に降る雨だけ見えず          後藤比奈夫

風垣(かざがき)のくくり縄嚙む放ち鶏        皆川盤水

菰巻(こもまき)の松の鱗の落ちつきぬ      永方裕子

家うちでは〈隙間風〉を防ぎ、建具を入れ替えて暖房効果を高めます。

ことごとく北塞ぎたる月夜かな                 大峯あきら

首の骨こつくり鳴らす目貼(めばり)して    能村登四郎

運ばむと四枚屏風に抱きつきぬ                 後藤綾子

濤うちし音かへりゆく障子かな                 橋本多佳子

君と寝む襖(ふすま)の虎に囲まれて                高山れおな

暖房も今ならばスイッチ一つで切換えられますが、かつてはさまざまな使い勝手のものがありました。

スチームや中世の色濃きホテル                千原叡子

一片のパセリ掃かるる暖炉かな                芝 不器男

ストーブの中の炎が飛んでをり                上野 泰

学問のさびしさに耐へ炭をつぐ                山口誓子

今では〈炭〉をつぐのはお茶を嗜む方くらいかもしれません。〈炭〉を使わない家には〈炭斗(すみとり)〉や〈火消壺〉もありません。〈炭売〉という商売もあがったりになります。

ですがまだ歳時記にはこれらの「記憶」が残っています。時には解説にとどまらず考証まで読んでみてはいかがでしょう。(正子)

十一月 枇杷の花 柊の花 

caffe kigosai 投稿日:2025年10月17日 作成者: masako2025年10月22日

枇杷はバラ科、柊はモクセイ科。どちらも常緑ですが、木の姿も花の形もまるで異なります。共通するのはその佳き香り―と聞いて「え、枇杷の花って香るの?」と思われた方もいらっしゃるでしょう。私も自分の鼻でその香りを捉えたのは、さほど昔のことではなく、二〇一九年十一月のことでした。

「俳句四季」十一月号(十月二十日刊行)にそのいきさつを長々と書きましたので詳細は省略しますが、その日、どこよりか芳しい香りが漂ってきてあたりを見回すと、大きな枇杷の木が遠目にもわかるほど白く花を付けていました。何度も通った場所ではありました。ここに枇杷あった? 枇杷の花って香るの? 近づくにつれ強くなるその香に、同行の者は皆、絡め取られるように酔い痴れたのでした。

例句を調べると、

蜂のみが知る香放てり枇杷の花              右城暮石

香りの句もありますが、芳香を絶賛しているわけではなさそうです。

十人の一人が気付き枇杷の花                高田風人子

一人が「いい匂い」と気付いた可能性も無くはないのですが……。

満開といふしづけさの枇杷の花             伊藤伊那男

故郷に墓のみ待てり枇杷の花                福田蓼汀

裏口へ廻る用向き枇杷の花                    山崎ひさを

やはり裏手にあたるところにひっそりと咲く花のようです。

「俳句四季」には三十名の会員に句を寄せていただきましたが、その中に香りの句が三句ありました。

明かぬ夜やきのふの枇杷の花匂ふ    堀口知子

このにほひは母の鏡台枇杷の花             原田桂子

ふるさとの甘やかな風枇杷の花             仙波玉藻

二〇一九年の体験以来、私は枇杷の花を見つけると、必ず寄って行くことにしていますが、いつも香るとは限らないようです。ものの本には、花が黄色くなるにつれ、強く香るとありますが。

この冬、皆さまにも枇杷の花の香りを確かめていただければと願っています。

柊の花のほうは、その香を知らぬ人はいないでしょう。モクセイ科なだけはあるという香りです。こちらも花自体はさほど目立たず、芳香によってその存在に気付くことが多いようです。

柊の花一本の香かな                 高野素十

柊のひそかな花に顔よせて          星野立子

素十の句は、たった一本あるだけでこれほどまでに香る、と読みたいですし、立子が顔をよせたのは、その芳香ゆえ、と思います。

私自身がその香に吸い寄せられた定かな記憶は、一九九九年十一月下関でのことです。少しひんやりした日でした。ふいにその日の空気より冷たい流れが頰に触れ、モクセイ? と思いました。が、既にその季節は過ぎています。ではヒイラギ? あたりにそれらしきものが無いので、探しながらさらに進むと、一軒をすっぽりと囲む生垣がどうやらそれらしく思われました。近づくと「ヒイラギモクセイ」と札が付いていました。欲張りな名前だなあ…。その後のことは、句会場の床の間に柊が生けられてあったこと以外の記憶が欠落しています。

ひひらぎの生けられてすぐ花こぼす      髙田正子

ひひらぎの花まつすぐにこぼれけり

思い出から拾った、初冬の芳しい花ベスト2でした。 (正子)

 

 

十月 秋果(2)

caffe kigosai 投稿日:2025年9月19日 作成者: masako2025年9月27日

何年か前に「秋果」のテーマで初秋のころの果物をとりあげ、その結びに「今から柑橘類が次々に旬を迎える」と書いていました。今月はその柑橘類をとりあげます。

とはいうものの、柑橘類は種類によって出回る時期が多岐にわたっています。殊に「みかん」と呼ばれるものは、新種も加わってざっと10月から5月ころまで、いつも何かが旬を迎えています。柑橘好きにはうれしい、贅沢な時代になったものです。

ひとまずここでは秋(から少し冬に入ったところまで)に限って、季語と例句を見ていきましょう。

〈蜜柑〉(温州みかんを指すことが多い)が熟すのは冬に入ってからですから冬の季語です。それに先立ち、秋の季語として〈早生蜜柑〉〈青蜜柑〉があります。

船はまだ木組みのままや青蜜柑             友岡子郷

青みかん置いてそのまま夜の脚立           岩津厚子

蜜柑出荷用の船でしょうか。木に生っている蜜柑はなお青く、船も仕上がっていないということでしょう。

脚立は収穫のために立てたものでしょう。そのまま放置され、夜になっているのです。青みかんは単数とも複数とも解せますが、私はとりこぼした1個がぽつりと置かれている景を思いました。

ちなみに〈蜜柑〉のみで実を指します。花をいうときには〈蜜柑の花〉(夏)とします。

花蜜柑島のすみずみまで匂ふ               山下美典(夏)

近景に蜜柑遠景に蜜柑山                   宇多喜代子(冬)

緑の葉影に真緑の実をつけていた〈柚子〉は、黄金色に熟れ始めます。ご存知のように、果肉をそのまま食することはありませんが、果汁を調整して飲料にしたり、調味料として広い用途があります。冬の鍋物には欠かせない存在でもあります。

柚子すべてとりたるあとの月夜かな         大井雅人

柚子の香のはつと驚くごと匂ふ             後藤立夫

柚味噌やひとの家族にうちまじり           岡本 眸(秋・生活)

ふるさとの無くて柚餅子の懐かしき         文挟夫佐恵(同)

黄金の実をとってしまえば、柚子は単なる緑の木となります。夜ともなれば黒々とした一塊の影となるでしょう。そこへ昇ってきたのが月です。なにがなし凜々と生っていた実の再来のようにも思われます。

柚子は色佳し香り佳し。表皮も削いだりおろしたりして料理に使われます。〈柚味噌(ゆみそ/ゆずみそ〉や〈柚釜(ゆがま/ゆずがま)〉、〈柚餅子(ゆべし))は、かつてはそれぞれの家庭の味でもありました。

秋刀魚を焼いたときに添える〈酢橘・酸橘(すだち)〉はピンポン玉ほどの大きさです。松茸料理にも欠かせません。徳島の特産品です。すだちより一回り大きい〈かぼす〉はまろやかな酸味が特徴。大分産が有名です。

ふたり住むある日すだちをしたたらす       黒田杏子

年上の妻のごとくにかぼすかな             鷹羽狩行

その名が体を表す〈金柑〉も晩秋に熟します。果皮ごと生食できますが、甘露煮や果実酒などにもします。次の句の季節は冬(季語=〈霜夜〉)ですが、金柑といえば思い出す私の愛称句です。

金柑を星のごと煮る霜夜かな        黒田杏子            (正子)

今月の季語(9月)秋の水

caffe kigosai 投稿日:2025年8月18日 作成者: masako2025年8月23日

朝晩は鉦叩が鳴き、ときには他の虫も加わって、うっすらと秋を感じるようになってきました。が、昼は相変わらず残暑に焙られているような日々です。涼を求めて水辺に寄ることも、まだまだ多いのではないでしょうか。水辺で秋の季語、見つけてみませんか?

〈秋の川〉(秋の池)〈秋の湖〉は(もちろん)秋の季語です。この形で見出しに掲載されており、三秋(秋の間はずっと)使えます。

秋の川真白な石を拾ひけり             夏目漱石

鳰の子のくゞる稽古や秋の池          青木月斗

山襞の折目正しく秋の湖               金箱戈止夫

漱石の真白は秋の色である「白」を意識してもいるでしょう。流れの中に白い石を認めて拾い上げたととらえると、流れの清涼感も覚えます。

月斗の鳰の子は、この夏浮巣で孵った雛でしょう。雛は哀れなことに減っていきますが、ここまで育った「子」が池の面に何度も何度も水の輪を作っているのです。

戈止夫の山は襞をしっかりたたんでいます。それをそっくり映し出している湖面も鏡面を成して明るいことでしょう。

句の水辺はどれもそれぞれに静かで、水が澄んでいる感じです。今年は気温が下がり切らず、水もまだまだぬるそうですが、昨日よりは澄んでいるかも、と覗いてみるのはどうでしょう。〈水澄む〉は秋の季語です。

水澄みて四方に関ある甲斐の国        飯田龍太

よぎりたる蜂一匹に水澄める          深見けん二

龍太の句からは水音が聞こえてきそう。対してけん二の句は、蜂の翅音のみを私は想像しますが、皆さまはいかがでしょうか。

水が澄む季節であることを讃える〈水の秋〉という季語もあります。

病む父のほとりに母や水の秋          長谷川櫂

平らなる広がりにあり水の秋          桂 信子

父と母が身を寄せ合って日々を過ごしていることが「ほとり」という柔らかな語感から伝わってきます。「ほとり」は水の縁語でもあります。〈水の秋〉という季語は、両親の凪いだ暮らしを願う子の祈りでもありましょう。

信子は、この平らで広らかなことこそが〈水の秋〉の本意だ、ここはまさにそういう美しさだと眼前の景を褒め讃えています。この句、もし〈水の秋〉でなく〈秋の水〉であったらどうでしょう。「平らなる広がりにあり秋の水」――そりゃ水は平らだよね、と突っ込みたくなりそうです。〈秋の水〉も澄んだ水を讃える季語ですが、こちらは水そのものを強調します。水も含めて水辺の秋を讃えるのですから〈水の秋〉。似て非なるところを汲みましょう。

草に触れ秋水走りわかれけり          中村汀女

秋の水ひかりの底を流れけり          井越芳子

水が走る、水が流れる、と汀女も芳子も確かに水そのものを詠んでいます。

水辺に降りると、夏の間は青くそよいでいた蘆に穂が出、中には絮を飛ばし始めたものもあります。蒲にもソーセージのような穂が。

蘆の花近寄るほどに高くなる          右城暮石

海山の神々老いぬ蒲の絮          田中裕明

いろいろなものが秋を告げています。さがしてみましょう。

(正子)

今月の季語(八月) 秋草

caffe kigosai 投稿日:2025年7月19日 作成者: masako2025年7月23日

〈秋草〉は秋の野山に見られる草の総称です。夏には〈夏草〉が繁茂し、秋には〈秋草〉が咲き乱れるといったイメージでしょうか。

 

わが丈を越す夏草を怖れけり          三橋鷹女

秋草に跼めば日暮れ迅きこと          折笠美秋

 

とはいえ、秋草と呼ばれる種類の草も、夏のうちから結構な茂り具合をしています。それらがいっせいに花をつけ、その場所を〈花野〉と呼ぶにふさわしくなるのが秋なのでしょう。

 

満目の花野ゆき花すこし摘む          能村登四郎

 

中でも〈秋の七草〉は代表とみなされている七種の草です。

 

萩の花尾花葛花瞿麦(撫子)の花女郎花また藤袴朝貌(あさがほ)の花 山上憶良   ※朝貌は桔梗とされる。

 

憶良の歌の順に例句を抽いてみましょう。

白萩の走りの花の五六粒                         飴山實

をりとりてはらりとおもきすすきかな          飯田蛇笏

あなたなる夜雨の葛のあなたかな               芝不器男

大阿蘇や撫子なべて傾ぎ咲く                       岡井省二

女郎花少しはなれて男郎花                        星野立子

すがれゆく色を色とし藤袴                              稲畑汀子

桔梗(きちかう)や男も汚れてはならず      石田波郷

 

誰もが思い浮かべる句が多いことに気付くでしょう。憶良のころから数え上げられていた草々だから、という思いが俳人を駆り立てるのでしょうか。それとも誰もが自ずと詠みたくなる草だからこそ七草足りうるのでしょうか……。

もちろん七草のほかにも数えたい草はたくさんあります。

 

吾亦紅ぽつんぽつんと気ままなる      細見綾子

水引のまとふべき風いでにけり        木下夕爾

旅びとを濡らせる雨に濃竜胆          下村槐太

頂上や殊に野菊の吹かれをり          原 石鼎

 

もっとも〈野菊〉は固有名詞ではありませんが。

あなたなら何を加えますか?

 

〈秋草〉の傍題には〈千草〉〈八千草〉〈色草〉があります。

 

淋しきがゆゑにまた色草といふ        富安風生

風の出て千草たちまち八千草に        鷹羽狩行

 

歳時記には別見出しで掲載されている〈草の花〉という季語があります。〈秋草〉を〈千草〉〈八千草〉と言い換えるとイメージがかなり近くなりますが、〈草の花〉のほうが総じてひっそりと静かな印象です。

 

名はしらず草毎に花あはれなり        杉風

原発まで十キロ草の花無尽               正木ゆう子

死ぬときは箸置くやうに草の花        小川軽舟

 

秋の野の、花をつけている草すべてが対象になりそうな季語ですが、「名はしらず」――これが〈秋草〉とのいちばんの違いでしょうか。

 

私の師、故・黒田杏子は〈秋草〉の句は旺盛に詠んでいますが、〈草の花〉は一句も残していません。尋ねる機会は永遠に失われましたが、意識して画然と線を引いていたのだと思います。

 

その名を意識しながら輪郭を明確にして詠むのか、茫々と遠まなざしになって詠むのか、といった作句のスタンスに関わる選択であるのかもしれません。(正子)

 

 

今月の季語(七月) 暑し  

caffe kigosai 投稿日:2025年6月20日 作成者: masako2025年6月22日

〈薄暑〉は初夏、〈極暑〉〈溽暑〉〈炎暑〉は晩夏の季語です。〈暑し〉はこれら一切を合わせた総称です。春の〈暖か〉、秋の〈冷やか〉、冬の〈寒し〉に対する、夏の体感を表す季語です。

手の平にひたひをささへ暑に耐ふる    阿波野青畝

世にも暑にも寡黙をもつて抗しけり    安住 敦

明治生まれの二人です。青畝は打ちひしがれているようであり、敦は憤って真っ赤になっていそうです。「暑」とあるのみですが、「薄」であろうはずはなく「極」や「溽」が籠められていそうです。

電柱の影一本の暑さかな             森川光郎

電柱のほかに影は無いのです。田や畑の中の一本道でしょうか。炎天下と言ってもよさそうな場所を、自分の影を曳きながら歩いて行くさまを思います。

暑きゆえものをきちんと並べをる       細見綾子

暑に耐へて話の筋は通すべく         三村純也

こちらは姿勢の正しい二人です。心頭滅却せよと喝を入れられる心持ち。そうしなければ負けてしまうほどの暑さでもあるのです。

マヨネーズおろおろ出づる暑さかな    小川軽舟

対してこちらは、もうどうしようもないよ~と両手を挙げているような句。作者自身は筋金入りのビジネスマンですが、敢えて掛金を外したような詠みぶりが面白いです。

あれほどの暑さのこともすぐ忘れ       深見けん二

喉元過ぎれば、ではありませんが、忘れたい体感は過ぎてしまうと忘れるものかもしれません。けん二も、我ながら現金と思っていそうです。

そうした最中なればこそ、ふとした折に覚える涼しさに身も心も生き返る心地となります。〈涼し〉は〈暑し〉ゆえに生きる季語です。

此あたり目に見ゆるものはみな涼し    芭蕉

涼しさや鐘をはなるるかねの声        蕪村

皮膚で感じるだけでなく、視覚や聴覚で捉える涼しさもあります。

一筋の涼しき風を待ちにけり         大峯あきら

音などでもうすぐここまで来るとわかっているのだと、素直に受け止めてもよいのですが、まだ風は作者のところまで至ってはいません。もしかすると「一筋の涼しき風」は絵に描いた餅に終わるかもしれないのです。そうなると〈涼しき風〉を詠みながら実際には〈暑し〉の句になる……「待ちにけり」が俄然面白く思えてきます。

虚子の部屋涼し立子の部屋いとし       後藤比奈夫

孫といふ涼しき命抱きにけり         今瀬剛一

百年後全員消エテヰテ涼し           小澤 實

これらは心で感じる涼しさといえましょうか。比奈夫の父は夜半です。父の師である虚子への敬意と、直接の師である立子(虚子の二女)への慕情を感じます。剛一が抱いたのは初孫でしょうか。感動に震える瞬間に違いありません。實は皮肉っぽい口調でサバサバと言い放つ感じです。今この世にいる私たちはもちろん消えていますが、人類が消滅していないことを祈ります。(正子)

 

今月の季語(6月)木の花(2)

caffe kigosai 投稿日:2025年5月17日 作成者: masako2025年5月18日

新緑から万緑へ移りゆくころとなりました。南のほうから梅雨前線も迫ってきています。そんなころの木の花(木本の意で使っています)として、誰もがまず思い浮かべるのは〈紫陽花〉ではないでしょうか。色の七変化が楽しいだけでなく、花や葉の形に意匠を凝らした園芸種が次々に生まれています。

紫陽花や白よりいでし浅みどり         渡辺水巴

あぢさゐの藍をつくして了りけり           安住 敦

移り気という花言葉もあるそうな。そういう紫陽花なればこそ、

あぢさゐやきのふの手紙はや古ぶ       橋本多佳子

という句も実感とともに受け止めることができるのでしょう。

陰湿な環境を好む紫陽花ですが、ある意味ではこの時期の花形ともいえるでしょう。

ザクロの木が遠くからでもぱっと目を引く朱い花をつけるのもこのころです。

花石榴雨きらきらと地を濡らさず      大野林火

日のくわつとさして石榴の花の数      小林篤子

近くで仰ぐとガラス細工のような…。「雨きらきら」や「くわつと」射す日に、その透明感が際立ちます。

柿若葉重なりもして透くみどり       富安風生(初夏)

若葉のころには息を呑む美しさであった柿の木は、更に茂って葉の数が増えるだけでなく、葉の厚みが増すからでしょうか、晴れた日には照り、雨の日には冥い木になっています。が、よくよく仰ぐと、青葉の間に薄緑にも見える花をたくさんつけています。大概は木の下にこぼれた花を見て気づくことになりますが、壺型の硬質な象牙色の花です。

柿の花こぼれて久し石の上            高浜虚子

百年は死者にみじかし柿の花         藺草慶子

呼鈴に声の返事や柿の花               小川軽舟

掃き寄せられなければいつまでも転がっているような質感です。昭和一桁生まれの女性が、紐で繋いで首飾りにして遊んだとおっしゃっていましたが、宜なるかな。

視覚より嗅覚に訴えてくる花としてはまず〈栗の花〉でしょうか。

花栗のちからかぎりに夜もにほふ     飯田龍太

栗咲く香この青空に隙間欲し         鷲谷七菜子

ムッとした青臭い匂いにあたりを見回すと、かなり遠くに噴水のような花盛りの栗の木を見つけることがあります。ここまでに「にほふ」のかと驚くほどです。

〈椎の花〉もなかなか強烈。神社などでよく見かけます。

椎の花鉄棒下りし手のにほふ         福永耕二

芳香の代表としては〈定家葛の花〉を挙げてみましょう。

虚空より定家葛の花かをる           長谷川櫂

蔓性なので巨木に巻き上って高みから香を降りこぼします。好んで生垣に使う人もいます。先日グリーンカーテン状にしているお宅を見つけ、羨ましく思ったのですが、常緑なので冬は日当たりに問題が出るのでは、とつい余計な心配をしたのでした。(正子)

今月の季語(5月)薄暑

caffe kigosai 投稿日:2025年4月17日 作成者: masako2025年4月17日

「家のつくりやうは夏を旨とすべし」と兼好法師も書いていますが(『徒然草』第55段)、日本の夏がしのぎ難いのは、今に始まったことではないようです。まずは「暑さ」の確認から始めましょう。

手もとの歳時記に載っているだけでも〈薄暑〉〈極暑〉〈溽暑(じょくしょ)〉〈炎暑〉と暑さの程度がこまやかに(!)表示されています。〈極暑〉の傍題には〈酷暑〉〈劫暑(ごうしょ)〉〈猛暑〉を置き、〈溽暑〉はわざわざ〈蒸暑し〉と言い換えもしています。さらに〈炎暑〉の傍題には〈炎熱〉が。もはや焼けただれそうです。

昔から、〈暑し〉という一語では済ませたくないほど暑い、と言いたかった気持ちがひしひしと伝わってきます。

蓋あけし如く極暑の来りけり          星野立子

静脈の浮き上り来る酷暑かな          横光利一

我を撃つ敵と劫暑を倶にせる         片山桃史

奪衣婆に呉れてやりたき猛暑かな     佐怒賀正美

点け放つ鶏舎の灯溽暑なり             飯島晴子

地下道を首より出づる炎暑かな       山本一歩

炎熱や勝利の如き地の明るさ          中村草田男

どの句も実感に満ち満ちています。この中でひと味違うのが草田男の句です。外へ出ようとしてその眩しさを白いと思い、怯んだ経験は誰にでもあるでしょう。ですがそれを「明るさ」で、しかも「勝利の如き」と、まるでファンファーレのようにとらえられる人がどれほどいるでしょう。

この句は昭和22(1947)年の作。日本が敗戦の底にあえいでいた時代です。自解に「『勝利』を口にのぼし得る可能性が絶無である歴史的段階が、却って私をしてその語を叫ばしめた」と語っています。「如き」を付けざるを得なくても「勝利」の語を使わないと自らの生を維持できないほどの激情が、〈炎熱〉の景と向き合った草田男にほとばしったのです。その激情と均衡をとり得たのが〈炎熱〉という季語だったと言うこともできるでしょう。

奇しくも草田男が亡くなったのは1983年8月5日。その忌日を〈炎熱忌〉といいます。

炎天こそすなはち永遠の草田男忌     鍵和田秞子

〈暑し〉も〈暖か〉や〈涼し〉と同様に、身体感覚のみならず心情表現に使うことができる、ということでもありましょう。

さて、そこで〈薄暑〉です。冒頭に「暑さの程度」と記しました。うっすら暑いという意味ではその通りなのですが、たとえば極暑のころに「今日はそれほどでも」と感じる日があったとして、それを薄暑と呼ぶか、といえば否でしょう。薄暑は暑さへの入口。「ゆきあひの暑さ」ではないでしょうか。

街の上にマスト見えゐる薄暑かな     中村汀女

むかうへと橋の架かつてゐる薄暑     鴇田智哉

コントラバス改札通る薄暑かな       大西 朋

〈暖か〉とはもちろんのこと〈春暑し〉とも違う、夏の到来を喜ぶ心や、すこし汗ばむことによって季節のめぐりを確かめる気分を感じます。私もかつて、

もの買うて薄暑の街になじみけり     髙田正子

と詠んだことがあります。友人たちと谷中を歩き回った日のことでした。吟行で行ったのですが、いせ辰に寄ったらすっかり買物モードに。収穫を抱えて出たら、街の色あいが変わった気がしました。そのときの気分は〈夏来る〉、もしくは〈はつなつ〉であったような…。

私の場合は好きな季節でもあり、こんな表現になりましたが、季節を表す語と体感が噛み合う体験であったと今では思います。

さあ、今年もあっという間に暑くなりますよ。その前に〈薄暑〉でぜひ一句。(正子)

 

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飛岡光枝(とびおかみつえ)
 
5月生まれのふたご座。句集に『白玉』。サイト「カフェきごさい」店長。俳句結社「古志」題詠欄選者。好きなお茶は「ジンジャーティ」
岩井善子(いわいよしこ)

5月生まれのふたご座。華道池坊教授。句集に『春炉』
高田正子(たかだまさこ)
 
7月生まれのしし座。俳句結社「青麗」主宰。句集に『玩具』『花実』『青麗』。著書に『子どもの一句』『日々季語日和』『黒田杏子の俳句 櫻・螢・巡禮』。和光大・成蹊大講師。
福島光加(ふくしまこうか)
4月生まれのおひつじ座。草月流本部講師。ワークショップなどで50カ国近くを訪問。作る俳句は、植物の句と食物の句が多い。
木下洋子(きのしたようこ)
12月生まれのいて座。句集に『初戎』。好きなものは狂言と落語。
趙栄順(ちょよんすん)
同人誌『鳳仙花』編集長、6月生まれのふたご座好きなことは料理、孫と遊ぶこと。
花井淳(はない じゅん)
5月生まれの牡牛座、本業はエンジニア、これまで仕事で方々へ。一番の趣味は内外のお酒。金沢在住。
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