三月 霾(つちふる)
〈霾〉すなわち大陸の〈黄砂/黄沙〉が海を越え、日本列島に降りしきることです。春の季語になっているのですから、遠い昔からの現象に違いありませんが、半世紀ほど前の東京では、西日本に起きたニュースとして見聞きしていた気がします。おそらく当時は学生であった私に、生活感覚が乏しかったからだろうと思ってはいますが。
殷亡ぶ日の如く天霾れり 有馬朗人
黄沙いまかの楼蘭を発つらむか 藤田湘子
電車(確か、東京発の中央線だったかと)の窓が急に暗くなり、黄黒くなった空に畏れおののいたのは、そのあとのこと。空模様まで変えてしまう、これが黄砂かとまずは視覚で認識したのでした。
真円き夕日霾なかに落つ 中村汀女
日は月のごとくに薄れ霾れり 日原 傳
汀女の夕日からは、この世の終りのような様相を連想します。真円の太陽とはコロナという王冠を失った姿ですから。
「月のごとくに」は作者が直感的にとらえた比喩でしょうが、同様に人類存亡の危機を感じてしまいます。黄砂のベールにより太陽のコロナが隠され、淡くなって、すなわちこの太陽も「真円」くなっているのですから。
神鏡のごとき太陽霾ぐもり 大橋敦子
この句ではさらに、神鏡の「神」の一文字によって、神の思し召しを拝んで受ける古代の民になった心持ちになります。
大気中にバリアを張れたらいいのに、といつも思いますが、為すすべもなく埋もれてゆく気分です。
黄砂ふる日を曼荼羅にぬかづきぬ 吉田汀史
黄砂に限らず、春の強い風に吹かれて塵や埃がたんまりと降り積もります。今年は殊に太平洋側では年始以来雨が少なく、乾ききっていますから、ただならぬものがあります。
子等駈ける春塵のまき起りつゝ 星野立子
臥す母のまはりきららに春の塵 桂 信子
せっかく春の服に替えても、すぐに埃だらけになる元気な子どもたち。一方で「母」は病み臥しているのでしょうか。身動きできぬ人の床にも、目に見えるほどの塵が。
囀やピアノの上の薄埃 島村 元
ピアノを弾かないから埃が…と解してもよいのですが、〈囀〉は春の季語ですから、この埃は春の埃、降りやすい季節でもあるわけです。黒く艶やかなピアノに、拭いても拭いても埃が、と受け止めてみたくもあります。
この時期には花粉も飛び始めます。春塵には花粉も交じっているはず。
気の毒に君気の毒な花粉症 佐藤鬼房
今では〈花粉症〉も立派な季語として、春の生活の章に掲載されています。
鬼房はどうやら花粉症ではなさそうですが。
杉花粉しきりに飛んで初対面 対中いずみ
いずみさんは花粉症かもしれません。初対面とは、かなり危うい状況でしょう。水洟や嚔の症状が出ないことを祈ります。(正子)
