四月 陽炎
〈風光る〉は歳時記には三春の季語として掲載されていますが、私自身は早春の景を思い浮かべます。そして春が闌けるにつれ、光るというよりは明るくなり、昼は霞み、夜は朧になって、輪郭が曖昧になってゆく―という感じなのですが、皆さまはいかがですか?
気温が上がるようになると、地面から立ち上る気流により、向こうの物が揺らいで見える現象が起きます。〈陽炎(かげろふ〉〉です。
ちらちらと陽炎立ちぬ猫の塚 夏目漱石
かげろうや肝胆ふかき猫と居る 和田悟朗(現代仮名遣い)
陽炎が立っているのは「我輩」の塚でしょうか。かの世でも猫じゃ猫じゃを踊っているのかもしれません。悟朗は物理化学者です。猫と肝胆相照らしあっている様を思うと、何がなし不思議で愉快です。
いぢめると陽炎になる妹よ 仁平勝
五感衰へ陽炎となる母か 奥坂まや
魂が薄くなって、心許ない感じになるのでしょうか。イメージとして使われた陽炎ですが、妹も母も、揺らいで消えてしまいそうです。
消えるといえばこんな句も。
原爆地子がかげろふに消えゆけり 石原八束
現実に一瞬の目の錯覚があったかもしれませんが、大人が起こした戦争により、子どもまで命を落としたことへの憤りがあればこその一句でしょう。
淡海といふ陽炎を漁れる 長谷川櫂
こちらは駘蕩たる句。陽炎の向こうに、舟を出す漁師の姿があるのでしょう。
糸遊を見てゐて何も見てゐずや 斎藤 玄
糸遊の遊んでをりぬ草の上 後藤比奈夫
〈糸遊〉は「いとゆふ」。陽炎のことです。玄は放心しているようにも思えます。比奈夫の句では、糸遊が精霊のように思えてきます。
陽炎と似たものに〈逃水(にげみづ)〉があります。こちらも気温の上がった日に起きる現象ですが、路上に見える水たまりのようなものを指します。陽炎が三春とされているのに対し、逃水は晩春の季語になっています。
逃水を追ふ逃水となりしかな 平井照敏
逃水をちひさな人がとほりけり 鴇田智哉
逃水は一種の蜃気楼現象だそうです。その〈蜃気楼〉も晩春の季語です。
しばらくは恋めくこころ蜃気楼 岡本眸
かひやぐら途中の橋の長からん 柿本多映
日本で有名なのは富山湾ですが、狙って出かけても必ず見られるわけではありません。眸も、見えるかしらと、しばらくドキドキして過ごしたのでしょう。結局見られなかった気がしますがどうだったでしょう。
蜃気楼のことを〈海市(かいし)〉〈かひやぐら〉ともいいます。かひやぐらに漢字を当てると「貝櫓/蜃楼」となります。「蜃」は大蛤のこと。蜃気楼はまさに、大蛤が気を吐いて見せる楼閣、櫓というわけです。多映は楼閣へ掛かる橋まで、心の目で見ているのでしょう。
春爛漫の候、糸遊と遊ぶも良し、逃水を追うも良し。たまさか心を解き放ちに外へ出てみませんか? (正子)
