カフェきごさい店長、飛岡光枝が捌く「いどばた歌仙 飛梅」が始まります。どなたでも参加可能なネット歌仙です。参加ご希望の方は、長谷川櫂さんのサイト「俳句的生活」の「いどばた歌仙 飛梅」参加フォームからどうぞ。第一巻は4月1日スタート、途中からの参加はできませんのでご注意ください。歌仙初心者の方も気楽にご参加ください。お待ちしています。(店長)
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今月の花(三月)黒文字の花
写真の男の子は門下のひとり、小学2年生です。のびのびと黒文字の枝をいけてくれました。(個人情報保護のため顔半分の写真で失礼!)。
この時期は、繊細な線の先にまだ固い茶色の蕾を付けた黒文字をいけることが多くなってきます。同じクスノキ科の青文字も直径3ミリほどの薄緑の実のような蕾をつけます。
青文字は茎も枝も緑色ですが、黒文字は枝に黒い斑のような模様が入っています。それが文字のように見え、この名がつけられたと言われています。
青文字は花を包む薄緑色の皮をつぶすと柑橘系の香り、また黒文字も枝を切って鼻を近づけるとよい香りがして、春の鼓動を感じるのです。
この枝達が花材として出始めると、春の到来をいち早く確かめたくて切ったりつぶしたりして香を楽しみます。和菓子を頂くときの楊枝に使うのはこの芳香も関係しているのかもしれません。
黒文字は爪楊枝にも使われています。いまでこそ歯間ブラシなどがありますが、つい数十年前まで食後はもっぱら爪楊枝が使われていました。前家元の外国出張に、通訳兼秘書として随行した折(先生は東京の専門店のこのサイズの爪楊枝をお使いなので必ず荷物に入れるように)という伝達事項がありました。普通の楊枝より細く強くしなやかだからということで、黒文字で作られたものでした。この店は今でも東京にあり、たくさんあった楊枝専門店も今では全国にここだけということです。
「植物を口の中へ」ということで思い出す、不思議な光景があります。サウジアラビアのリヤドのマーケットで男性数人が口の中に木の細い棒を突っ込み、チツチツと磨くような動作をしていました。(あれが買いたい!)と私と助手は短い棒のようなものが数本輪ゴムで束ねられたものを市場でお土産に買いました。その木の枝は口の中で柔らかくして歯ブラシ代わりに使うと説明を受けました。乾いた薄茶色の木は何の木なのか、という疑問がずっと残りました。でも、自分で口の中にいれる勇気はなくそのままになってしまいました。
「歯木(しぼく)」というものがあり、お釈迦様に深く関係していて柳の枝などが使われているそうです。おつとめの前に口の中も清潔にということなのでしょう。また江戸時代に使われていた房楊枝は、黒文字や柳の小枝の先を煮て叩いて割り、かみ砕いて歯ブラシ代わりにしていたということを考えると、リヤドでみた光景は日本のあの時代の歯磨きと同じなのかと思いました。楊枝という字は確かにやなぎの枝の意味です。そして今でも房楊枝が残っている国があるそうです。
黒文字の話がとんだ話になりました。プラスチック由来の廃棄物が地球を汚すと危惧されている今日、人の生活に密着した植物素材の物はさらに注目を浴びることでしょう。黒文字も口の中を清潔にするのにお役に立とうと、さらなる登場の機会を狙っているかもしれません。(光加)
浪速の味 江戸の味(二月)あられ蕎麦(馬珂貝)【江戸】
東京でも千葉の海に近い葛飾区の我が家では潮干狩りが春の楽しみのひとつ。浅利よりも、大きな蛤が狙いでした。つるつるとした大ぶりの貝の手触りに蛤だと掘り上げると「バカガイだね」と親が声をかけました。子どもにはバカガイという名前が面白く、姉と「バカガイとった~」とよくふざけ合ったものです。
「馬珂貝」は、浅利や蛤と同様、江戸では食用として馴染み深い貝でした。様子は蛤に似ていますが、貝殻がうすく輸送には不向きでした。また、砂抜きをしても砂が残ることから、剥き身として売られることが多く、剥き身を造る深川の女性の様子などが浮世絵に残っています。
「馬珂貝」の剥き身は、現代でも寿司種として「青柳」の名でよく知られています。江戸時代、千葉県青柳村で多く採取されたのでこの名がありますが、「馬珂貝」という名が粋を好む江戸っ子には嫌われたのではないかと思われます。
その青柳(剥き身)も選り分けて使われ、貝柱は「あられ」と呼ばれます。蕎麦の上に敷いた海苔に「あられ」を散らした「あられ蕎麦」は、冬から春の季節の蕎麦として江戸っ子に人気でした。
現代では「あられ蕎麦」を出す蕎麦屋は少なくなりました。その原因のひとつは「青柳」が高級食材になってしまったからでしょう。写真は明治二年創業の日本橋の蕎麦店の「あられ蕎麦」。値段表には「時価」とあり、どきどきしましたが、この時はかけ蕎麦の三倍程度でした。ここの「あられ」は千葉県富津からのもの。仕入れが少なく、なんとこの日はこの一杯しか出来ないとのことで、値段以上に驚きました。
庶民の食べ物が贅沢なものになってしまうのは、何とも寂しいものです。資源の減少は個人レベルでは防ぎようがないと思ってしまいがちですが、海や自然を汚さないように少しでも気をつけてこの一年も過ごしたいものです。
あられ蕎麦下駄つつかけて初不動 光枝
今月の花(二月)山茱萸
春の兆しが伝わってくるのは花店の店先に黄色の花を見かけた時です。1月の末にはこの季節ならではのラナンキュラスやチューリップ、フリージアや菜の花など黄色い花でにぎわいます。眺めるだけでこちらまで温かさが届けられる気分になります。
一方このころは学校では試験の季節です。
私たちの流派でも師範の最高の資格とその一つ下の資格獲得のため、このころ年に一回、家元立ち合いの試験があります。その一つに時間内にその日与えられた花材でいける試験があります。詳しいことはここでは述べられませんが、当日その場で発表される花材はこの季節ならではの花材です。長い年月いけばなを勉強してきた国内外からの受験者は、その日が近づくと今年の試験には何の花材を使うのかしらと気になるのです。
花ものと同じく、黄色の花をつけた花木(かぼく)もこのころから登場します。山茱萸、連翹、万作と、黄色の花たちが早春の光に呼応して固いつぼみをほころばせます。
初稽古も終わり通常のクラスに戻ったころ、スタジオにまっすぐな線の褐色の枝の束が届けられました。目を凝らしてみると、小さなころりとした花芽の先がかすかにとがっています。他の枝には黄色い花があちこちとほころびはじめていました。山茱萸です。
枝は素っ気ない位の直線ですが、矯めてみると意外と思うような線が作れます。幹に手が触れると、茶色の樹皮はところどころ薄く剥がれます。太い枝は鋏で一度にはなかなか切れないのですが、鋏で注意深く切れ目を入れながら力をかけて曲げます。力の入れ加減によっては枝が折れたかと思うかもしれません。直径の3分の1くらい繋がっていれば水は上がっていき、花も開き、春に宿る生命力の強さに目を見張ります。
ミズキ科の山茱萸は18世紀の初頭に日本に渡ってきたと言われ、成長すれば5メートル以上の高さになります。うららかな雲一つない青空に枝を広げ、小さな黄色い花を無数に付けたさまは、他の花木を率いていよいよ到来した春のにぎやかな空間の出現を予感させます。
「サクラサクーー」かつて試験の合格を知らせる電報は、さくらにたとえられて届きました。さて、私たちの流派の試験の結果はもし植物に例えれば、今年はなんの植物が吉報となって心待ちにしている受験者たちに伝えられるのでしょうか。(光加)
第九回 カフェきごさいズーム句会
毎月1回ズームで行う「カフェきごさいズーム句会」、今月の句会報告です。
添削例も参考にしてください。
この句会はどなたでも参加可能です。ご希望の方は右のご案内から、どうぞ。
第九回 2023年12月9日(土)
飛岡光枝選( )は添削例
第一句座
【特選】
浅草や色とりどりに着ぶくれて 鈴木勇美
鵯の食ひ散らかすや木守柿 早川光尾
雪催たんと漬け込む山東菜 前﨑都
出番待つ羊並ぶやクリスマス 高橋真樹子
(出番待つ子羊並ぶクリスマス)
【入選】
初氷秩父連山晴れ晴れと 藤倉桂
空つ風鯛焼き二つポケットに 藤倉桂
イマジンの遠くなりけりレノンの忌 早川光尾
夕されば欲しき寄る辺や寒昴 伊藤涼子
飄々と冬の空へと旅立てり 前﨑都
眠る山起こさぬやうに山の径 斉藤真知子
舌仕舞ひ忘れて猫の日向ぼこ 赤塚さゆり
咲き満ちて大シャンデリアしやこさぼてん 伊藤涼子
柚子の香のふはり風呂吹透きとほる 伊藤涼子
(柚子の香の風呂吹大根透きとほる)
鯛焼の惜しみなく餡はみだしぬ 高橋真樹子
アリゾナは海の墓標に開戦日 伊藤涼子
(アリゾナは海の墓標よ開戦日)
滔滔と黒き大河や去年今年 葛西美津子
第二句座(席題、冬芽、鼻水)
【特選】
知らずして水洟垂らす写経かな 葛西美津子
水洟を拭く間も惜しく遊びけり 上田雅子
【入選】
ほの赤き冬芽を包む小さき手 藤井和子
鼻水の乾き切つたる笑顔かな 藤倉桂
吹き荒ぶ風も落とせぬ冬芽あり 藤井和子
街路樹は冬芽ゆたかに北辛夷 高橋真樹子
くちやくちやの笑顔の羅漢みずつぱな 藤倉桂
鼻水も空飛んでゆく大回転 藤井和子
水洟をすすりて詠まん戦の句 矢野京子
しろがねや天を目指して冬木の芽 伊藤涼子
樹齢百年牡丹の冬芽赤々と 藤倉桂
(百年の牡丹の冬芽赤々と)
今月の花(一月)若松
花店の社長から、今年はまあまあの松と聞いてほっとしました。その年の気候により、緑と黄色が美しい蛇の目松は「ちょっと色が今一つ出てないねえ」といわれたり、若松は「葉の伸びが・・・」とか報告が入ると、それらを予約した生徒さんにはほかの松をすすめます。
稽古の日、外国出身の方もいました。学生時代から日本に在住、夫人は日本の方、いけばなはもう18年以上たしなみ、今の先生の許可を得て数年前から私のクラスにも時々やってくる方です。昨年は確か大王松をいけていました。
今年選んだのは若松。90センチ近くありまっすぐに伸びたいい形で長めの青々とした葉もたっぷりと房を作り、近年にない美しい立派な若松と思いました。
ふと彼を見ると若松を一心に曲げようとしているのです。いけばなでは、自分がこうあるであろうという自然を表現するには、無技巧の技巧と言われるように元からあるように枝を曲げる技術を習いますが、一方で花材が美しければそれをそのまま生かしていける決断も必要です。
彼は何度もお正月にこの松をいけただろうとは思いましたが、なぜお正月に松をいけるのか、日本の照葉樹林文化のことも説明しました。葉が散った樹々の中で常緑樹の松は、特別な力を持っていると考えられ、能舞台の背景に松が描かれるのは,神を迎えて演じられるという意味があること、門松も年の神様を迎えるということで立てられるということ。
むろん展覧会や表現を追求する研究会などは松をどのように使っても可能です。部屋に松を使ったたくさんのいけばながあれば、その一つとして若松を使って曲線を作るのも面白いと思います。またお店に飾るなら松を水につけず、若松を真横にいけても受け入れられるでしょう。展覧会で大王松の葉をすっかり取り造形的に形を作る作家もおいでです。
襟をただしてまっさらな年を迎える。私なら今年のこんなに美しい若松は、お気に入りの花器にすっくと立てて使い神様を迎えたいと思った時、気が付きました。生まれてこの方、年末から年明けまでこの時期に日本を出たことは一回しかありませんでした。日本に生まれ、どっぷりと日本文化に浸っていた自分に気が付いたのです。
松は外国にもたくさんあります。シンガポールに夫君が駐在の門下は、生徒さんと輸入の松をいけました、中国か台湾からと思われますと写真を送ってきました。ドイツからはドイツの松を使いましたという写真には、赤いたわわな実をつけた庭の南天も一緒にいけられていました。日本みたいな松はこちらにはないわ、近いのは盆栽を作っている所ならあるけど短いのでいけばなには向かない、というオーストラリアの門下。ローマの笠松も思い出し、世界の松に思いを馳せながら、皆様の新しい年のご多幸をお祈りいたします。(光加)
今月の花(十二月)蕪
明治生まれの父は蕪が大好きで、蕪の茎や葉、油揚げなどと一緒に炊いたものを(ああ蕪の季節になったな!)と、湯気がまだ少したっている小鉢からおいしそうに食べていたのを思い出します。蕪はどう料理してもおいしいね、というのも父の口癖でした。
日本書紀にも登場し、春の七草のスズナというのは蕪のこと。古くから知られている日本の野菜のひとつです。種類も多く聖護院蕪から作られる千枚漬も楽しみです。
蕪はアフガニスタン原産、また地中海沿岸原産と種類があり、ヨーロッパでは初めは家畜の飼料として使われていたようです。
いけばなの仕事で今まで数えきれないほど行っているフィンランドでこの6月、はじめて蕪料理を頂きました。寒い北欧というイメージがあり、根菜類といえばまずじゃがいもを想像していました。あとで聞くとじゃがいもは1720年代にドイツ方面からフィンランドに入ってきて、スエーデンとプロイセンの戦い【ポメラニアン戦争】(1752-62)の後、より食べられるようになったと言われています。
じゃがいもより前から食べられていた蕪は、日本の蕪と味も似ていて大きさも普通スーパーに並ぶ蕪と変わりません。ただ6月に蕪があったのは北の国だからでしょうか?
フィンランドのヘルシンキでは、日本のお寿司の看板を何軒も見かけました。もともと海と接しているこの国の人たちは、魚を上手に食べます。先日門下のフィンランド人とそのグループで神楽坂の居酒屋に集まりましたが、秋刀魚がおいしいと皆さんお箸できれいに食べていて、合間には蕪の漬物も召し上がっていました。
そしてこの国では今、野菜中心の料理が注目を浴びています。ヘルシー志向はここでもブームになっていて、有名なシェフの野菜レストランもあります。
ソースにカシューナッツや黒い豆、野菜の芽を飾りにちりばめたフィンランドの蕪料理は、日本でもはやるのではと思わせた一品でした。あの味を探しにまたフィンランドに行ってみたいと思います。
蕪といえば、ロシアに「大きな蕪」などの童話もあり、料理や歴史など掘り下げていけば面白いことがたくさん出てきそうで興味は尽きそうもありません。(光加)
第八回 カフェきごさいズーム句会報告
毎月1回ズームで行う「カフェきごさいズーム句会」、今月の句会報告です。
今月から添削例も併記しました。参考にしてください。
この句会はどなたでも参加可能です。ご希望の方は右のご案内から、どうぞ。
第八回 2023年11月11日(土)
飛岡光枝選( )は添削例
第一句座
【特選】
堂々と老い山茶花の白が好き 前﨑都
(堂々と老い山茶花の白愛す)
これよりは佳き日重ねむ返り花 藤倉桂
【入選】
七五三晴れ着のままに眠りけり 斉藤真知子
小春日や茶の湯の会へ人の列 花井淳
鶏頭を剪るにすこしの勇気かな 斉藤真知子
(鶏頭を剪るにすこしの勇気欲し)
秋の空飛行機雲の迷ひなし 藤井和子
(秋の空飛行機雲の迷ひなく)
近づいてやつぱり咲いてゐる柊 葛西美津子
(近づいてたしかに咲いてゐる柊)
立冬や煮豆ことこと終日 藤倉桂
診察を待つ窓の外冬紅葉 早川光尾
(冬紅葉診察を待つ窓の外)
秋晴れを掴みて吾子の初立つち 藤井和子
冬立つ日空澄みわたり術後の目 前﨑都
(術後の目立冬の空澄みわたる)
太秋柿由来知らねど良き名なり 前﨑都
雪ばんば今日は一斉下校といふ 高橋真樹子
綿虫のむらさきいろのあたたかし 高橋真樹子
ぴゆうと風吹きて三つ星濃くなりぬ 伊藤涼子
熊よけのラジオ流れる露天風呂 村井好子
舟寄せて浮島の松手入れかな 矢野京子
(ぎいと舟寄せて浮島松手入れ)
足場組むハンマーの音今朝の冬 村井好子
シャコサボテンごま粒ほどや花の精 伊藤涼子
(シャコサボテンごま粒ほどの莟つけ)
稲架掛けや父と息子の息合ひて 早川光尾
(稲架掛けや父と息子の息合はせ)
再びのサイレン聞こゆ今朝の冬 赤塚さゆり
第二句座(席題、白鳥、セーター)
【特選】
出来上がらぬ夫のセーター三年目 村井好子
(出来上がらぬ夫のセーター三十年)
【入選】
湖に眠りし白鳥の夢いくつ 斉藤真知子
(湖に眠る白鳥夢いくつ)
新しきセーターに猫甘えくる 斉藤真知子
セーターのトンネル抜ける赤ん坊 高橋真樹子
夕闇につがいの白鳥いよ白し 藤井和子
(夕闇につがひの白鳥いよよ白し)
白鳥も加賀の湯の里好むとや 花井淳
温きかなまだ編みかけのセーターよ 藤倉桂
セーターの裾を掴みて離れぬ子 矢野京子
思ひ出を消すごとセーター解いてゆく 前﨑都
浪速の味 江戸の味(十一月)千歳飴(金太郎飴)【江戸】
十一月に入ると、神社やお寺には七五三詣での着飾った親子が見られるようになります。子どもの成長を祝うこの行事は、江戸期に関東で始まったものが京都、大阪でも行われるようになり、全国へ広まったということです。
七五三に欠かせない「千歳飴」は、元禄時代に浅草の飴売りが売り出した「千年飴」から始まったとされています。細長い形は長生きに通じ、紅白の飴が松竹梅や鶴亀など縁起の良い絵が描かれた袋に入っています。子どもが持てる袋に入れたのは大正解で、誰が発案したのか知りたいものです。子どもが千歳飴の袋を引き摺るように持つ可愛らしい様子は、俳句でもよく詠まれます。
水飴と砂糖を材料とする千歳飴は、大人になってからすっきりした後味を滋味と思うようになりましたが、子どもの頃はあまり惹かれることもなく、私のご贔屓は不二家のミルキー千歳飴でした。一粒でも美味しいミルキーが長い棒になっているなんて、まるで夢のようだと思ったのをよく覚えています。
写真は、東京都台東区根岸の「金太郎飴本店」の千歳飴。同店の初代が明治の初めころ露天商として飴を売り出し、金太郎飴は二代目が”組飴”の技術から発案したとのことです。
組飴は大阪では「おかめ」や「福助」の絵柄が作られていましたが、関東で人気の「金太郎」を絵柄として大ヒット、飴の名称としても定着しました。子どもの元気な成長を願う七五三の千歳飴には、熊をも投げ飛ばす金太郎はぴったりではないでしょうか。
千歳飴にぎつて眠る父の背 光枝
今月の花(十一月)落花生
咲いた花の花びらはすぐに落ちますが、子房が伸び土の中にもぐっていき落花生になります。落花生はアンデス原産ということです。
秋の花展のテーマが発表されたのは夏に入ったころでした。いけるのはいけばなに必要な三つの要素である 線、色、塊 の中から一つを選んでの制作も可ということでした。この中から「塊」を選択。しかし塊をテーマとするいけばなは、内に秘める力強さを表すために多めに花材を用意して、塊を作る、と注意が。
落花生の生命力の強さに心惹かれ、旬の「おおまさり」という落花生ををいけてみようと長野の農家の知り合いの畑から送っていただく手筈を整えました。子供のころから不思議だった落花生をこの機会に手元でしげしげと見たかったので葉と根が付いたものを注文しました。
数日後、ずっしり重いすこし湿った段ボール箱を開けると新聞紙の中に青々した葉にうずもれた茎に下がる大小の落花生!!
その日から私の落花生との格闘がはじまりました。根から垂れ下がる細い茎の部分を残しながら秋になっても青々とした葉を取るのは時間がかかり同じマンション在住の門下にも‘出動‘を依頼したほどでした。落花生の栽培には畝を作るところから始まり、収穫までにはたいそう手間がかかり、掘り出すのにも力がいることでしょう。
食べ物を粗末にしてはいけない、という思いと花展が終わってから門下と乾杯の時につまみにどうだろうか、などと雑念がわき接着剤を使っても思うように塊のいい形にできません。
殻のひだの部分には土が残っていて 使わない歯ブラシでとってもきれいには取れません。
あと一週間に迫った花展に、うごめいているような落花生の殻の集まりだけではなんだか気味が悪いので、赤と緑の秋色あじさいを追加として花店に注文しました。美女と野獣に見えたらいいなあ、と独断で。
いけこみの二日前、作った塊には今一つ迫力が必要と感じました。農家にはもうなく、代わりに通りがかったカフェにおおまさりが売られていたのをおぼえていたので調達。ベランダで天日干しにしましたがいけこみ当日触ってみるとまだ手には湿り気を感じたのです。会場のデパートのいけこみは遅い午後。キッチンのフライパン二つを使い、乾煎りをして水分を少しでも飛ばそうとしました。
手のかかった落花生は展覧会で皆さんの興味を引いたようです。今年の晩秋は落花生に振り回されて過ぎていきました。(光加)