浪速の味 江戸の味【四月】 切腹最中(江戸)
江戸で切腹といえば、まず浅野内匠頭長矩が思い浮かびますが、その切腹が最中の名前になっていると聞くと驚きます。
浅野内匠頭が、江戸城松の廊下で吉良上野介に斬りつけ、即日切腹となったのは元禄十四年三月十四日のこと。
「風さそふ花よりもなほ我はまた春の名残をいかにとやせん」長矩の辞世と伝わる有名な一首ですが、旧暦三月十四日は新暦では四月二十一日にあたり、春の名残と言うに相応しい日だったことが伺い知れます。
捕らえられた長矩がお預けになり腹を召した場所が、芝愛宕下(現東京都港区新橋)の田村右京太夫の屋敷でした。
その屋敷跡にあった老舗和菓子屋の三代目が考案したのが「切腹最中」です。このネーミングには当初店中が大反対だったそうですが、三十年近く経った今では新橋の名物として知られています。
香ばし最中の皮から大胆にはみ出した粒あんは、あえてアクを残し洗練されすぎない下町らしい風味で食べごたえがあります。
時代とともに馴染みが薄くなった赤穂事件をインパクトのあるお菓子で伝えたいという意図があったそうですが、場所がら新橋のサラリーマンが失敗したお詫びの品として持参しているという愉快な話も漏れ聞きます。
刃傷沙汰でも討入でも面白がる江戸っ子の洒落っ気が、「切腹最中」という意表を突く最中の名前に今も息づいている気がします。
喧嘩したことはや忘れ花の下 光枝