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今月の花(三月)小手毬の花

caffe kigosai 投稿日:2018年2月20日 作成者: koka2018年2月26日

小さな白い花が集まった球状の塊が枝にびっしりとついている小手毬は 春も進んできたころに庭や公園でよく見かけます。高さはせいぜい人の背くらいでしょうか。

花を際立たせているのが、大きくなるとすこしひし形になる楕円形のやわらかい緑の葉です。

花屋さんでは二月になると、もう小手毬が店頭に並びます。山茱萸や連翹、万作、また啓翁(敬翁)桜などいわゆる花木(かぼく)をいける時、まだ枝に葉が出ていなかったり、出ていても小さく、花もつぼみだったりすると枝そのものが目立ちます。 外の空気もまだまだ冷たく感じられる頃、枝だけではなんだか寒そうですが、葉のでてきた小手毬を加えるとたっぷりとした春の先駆けの組み合わせになります。

小手毬はバラ科の花の特徴で花弁は五枚、その小さな花が集まってひとつの半球をなすのには、花弁は何枚必要なのでしょうか。

極小の緑の蕾が白く開いて花が目立つようになり、そのうちひとつひとつの毬の形がはっきりしてきます。次々と開きはじめ、満開となった花で枝が埋め尽くされてにぎやかになります。やがて黄色い花粉がひとつひとつの小さな花から落ちはじめます。

小手毬をいけた次の日どうしても現場に来られず、手入れも行き届かないだろうとみると、私はどんなにきれいでも黄色い花粉がめだつ”手毬”は枝から切ってしまいます。切った花が吸ったであろう水分が、ほかの花にまわって咲いていくと考えます。

ある日のお稽古でアジアの国の方が小手毬の満開の枝数本をワイヤーで止め、先がくるくる回る枝と格闘しながら白い花の集合した面を作っていました。

とてもきれいでしたが、お稽古が終わりワイヤーを外した時ぱっと枝同士が離れしだれた様子を見て、私なら小手毬の美しさは空間に放りだされたような花の表情を取ると思いました。

花が終わってからも、葉が厚くなり裏面の緑も少し薄くなって成長したころをいけることもあります。

そして、葉の付いた枝の花材がなくなる秋のほんの一時、黄色や紅茶色に紅葉した葉の小手毬をいけることもあります。手に取ればすぐに葉が落ちる様子から、枝の内側ではもう葉を終わらせてエネルギーをため込み次の春の準備をしているのだ、というメッセージが伝わってくるのです。(光加)

今月の花(二月)辛夷と木蓮

caffe kigosai 投稿日:2018年1月23日 作成者: koka2018年1月24日

春浅いころ銀色の毛を密生した花芽を見つけたら、それは辛夷かもしれません。その形が、にぎった小さな拳に似ているところから名づけられたともいわれています。

枝は真直ぐなものが多く、花は元に一枚小さな葉をつけて開きます。細めの六枚の花弁は薄く傷つきやすいので、私たちは注意していけます。白い花は開ききると中の芯の部分まで見せて、やがて散っていきます。

辛夷に少し遅れて、木蓮が大きな花を開きます。木蓮というと通常は紫木蓮のことをさし、花弁は外が濃紫で中は薄紫です。色の濃いものは、からす木蓮と呼んでいます。

春の灯がともったような白木蓮も街路樹や庭木として目を楽しませます。木蓮の花は上を向いて咲き、辛夷と比べればいずれも花びらが厚く、長さは十cmくらいになります。木の高さは十五mにも伸び、散歩道で白木蓮の小舟のような形の花びらが落ちているのをみつけると、どこから舞い降りたのだろうと思わずあたりを見上げます。

草月の初代家元と二代目家元が厚い信頼を寄せていた秘書の方とお話をする機会があったのはもう何十年も前でしょうか。彼女のいける花は花材の取り合わせに、華麗さと同時に繊細さも備えていて大好きな作家でもありました。

辛夷の花と彼女を囲んで何人かで話をしたことがありました。その折「辛夷の蕾の先は北を向いているのよ」と言われてもすぐには理解できませんでした。

辛夷や木蓮の蕾は、日の当たる暖かい南側に芽の一部が膨らみ、先はその反動からか反対の北をさすというのです。

そういえば目の前の辛夷の芽の先はそろって同じ方向を向いていました。え!本当ですか?知らなかった!と私も声をあげた一人でした。
山の中で道に迷い、コンパスを持っていなければ辛夷や木蓮の花芽を見よ、というのでしょうか。

辛夷と木蓮は[方向指標植物]またはコンパスプラントと呼ばれ、赤目柳などもこの部類に入るのだそうです。

花をいける事の背景には大きな自然のルールがどっしりと存在していることをいまさらながら実感し、辛夷や木蓮の花が花芽をたくさんつけた開花前のまさにその時期を、大自然の中でめぐりあって確かめたいと毎年思っています。(光加)

今月の花(一月)寒梅

caffe kigosai 投稿日:2017年12月27日 作成者: koka2017年12月27日

寒い時期に丸い蕾を付けて一生懸命に咲こうとしている梅の姿。その健気さに思わず応援したくなります。新しい年を新たな気持ちで始めるのにふさわしいと思う花材のひとつです。寒梅の小さな丸い蕾を見つけると、そのかすかな香りを確かめたくて顔を近づけてみます。

萩に続いて登場する万葉集の梅は白梅ばかりです。梅の香りを詠んだ歌は万葉集にはたった一首ということですので この時代にはまだ梅の香りは人々の意識には上らなかったのでしょう。寒梅の歌は何首あるのでしょうか。

梅は五感のなかの視覚(花、枝)、味覚(梅干、梅酒など)、嗅覚(香り)を楽しませてくれる植物です。そのどれをとってもそれぞれに特徴がありますが 私にとって気になるのは目に飛び込んでくる梅のたたずまい、花はもちろんですが、特に葉のない時期の枝ぶりに興味を惹かれます。

国宝に指定されている尾形光琳の紅白梅図屏風は、例年一月の末から三月初めまで熱海美術館で公開されます。熱海の梅林が賑わいを見せる頃です。紅白の梅が咲き誇る画面の中央を流れるデフォルメされた川も目を引きますが、両側からかかる梅の枝や、幹の形、緑の若枝もたいそう面白い。光琳自らが観察した枝の線の走り方、緩急などがこの表現になったのでしょう。

正月花の大作には目出度さを強調するべく紅白の梅がよく選ばれます。いけた作品は花の美しさはさることながら、鋭角に伸びていく枝や曲がった枝、墨と筆で描いたような少し細かい枝の線からは命の躍動が伝わってきます。そんな時、自分で切った紅梅の枝が芯まで薄紅色だったものがあって感激したことも思い出すのです。

こうした梅にはしばしば苔梅が使われます。先日、スイスで行った「祝い花」というテーマのワークショップで「お祝いの時に苔の付いたものをいけていいのでしょうか?」と聞かれました。「もちろんです。苔が付くほど長い時間を生きてきた植物に日本人は時を思い、ひいては悠久や長寿を思うのではないでしょうか。お正月の花材に苔梅、苔松などが選ばれるのはそんな理由もあるでしょう」と私は答えました。「でも近頃では運搬するときに苔が落ちたりするので、あとで糊でこっそり貼ったりしますけれど」と付け加えると笑いがもれました。

この新年にはどんな正月花が街に登場するのか楽しみです。(光加)

今月の花(十二月)落葉

caffe kigosai 投稿日:2017年11月22日 作成者: koka2017年11月22日

ホテルの花屋さんでスタッフのための朝のお稽古を週二回、二十年以上も続けています。仕事前の稽古なので、朝八時半の始まりです。駅から土手のそばの数百メートルの道をホテルに向かって歩いていくと、四季を感じ、土手に生えている様々な植物の観察にもなり朝が早いのも苦にはなりません。

初秋には落ちはじめた色鮮やかな柿の葉を拾い上げ、冬に近づくにつれ、赤や黄色の様々な落葉はどの木からかと上をみあげながら歩道を歩くのが楽しみです。

この花屋さんのスタッフのひとり、稽古熱心のNさんに、十一月に行われる流派の展覧会に出品してみないかと誘ったのはもうずいぶん前になります。ある年、彼女は落葉を使って作品を制作したい、と言いました。デパートでの花の展覧会場は乾燥がひどく、場所によってはエアコンの風が当たります。いけるとすぐに水分を失って萎れてしまい、見事な紅葉も次の日にはいけ替えということもよくあります。紅葉を楽しむのはやはり自然の中でないとと思ったものです。果たして落葉はそんな環境の中で大丈夫なのでしょうか。

展覧会のいけこみの当日、彼女は黒く焼いた網を数枚と落葉をたくさん入れたビニール袋を持ちこみました。葉は乾燥はしていましたが茶色の中に赤や黄色がまだきれいに残っているものが多数ありました。生の花を特殊な加工をして色や形を整える「プリザーブドフラワー」が今は流行りのようですが、手に取ると感触はそれとは違いました。

「公園できれいな桜の落葉を拾ってきて、新聞紙で押しをして毎日必ず新聞を変えました。仕上げは電子レンジで、温度は何度でどのくらいの時間が一番色が残るか、と見極めるのに苦労しました。主人も外に出ると葉を拾ってきてくれるようになりました」。

努力家である彼女の作品は、重ねた網に北風に刺さった様に桜の落葉が何十枚も入れられた、自然がみせる初冬の一瞬がみごとに切り取られたものでした。作品は「新人賞」を受賞しました。

「賞はご主人にも半分贈呈しないとね」。コートの襟を立てて葉を拾っているご主人を想像しながら、私は言いました。

「意外な生け方がある。意外な題材を忘れている(草月五十則)」と述べた初代家元はまた「枯れたものは美しい。萎れたものはちがう」(勅使河原蒼風花伝書)という言葉を残しています。電子レンジを使った落葉の美しさへの評価を聞いてみたかったと思いました。(光加)

今月の花(十一月) 松茸

caffe kigosai 投稿日:2017年10月24日 作成者: koka2017年10月24日

茸の季節にヨーロッパへ行くと街の市場で大小様々な形の茸が山になって売られている光景を目にします。乾燥したものもよく売られています。私の秋のイタリア旅行の楽しみのひとつは、擦ったパルメザンチーズをたっぷりかけたリゾットにはいっているフンギポルチーニです。

しかし季節の茸の王様といえばやはりトリュフではないでしょうか。トリュフは生産可能になったとはいえ大量栽培には程遠く、犬や豚の優れた嗅覚が頼りです。訓練された犬と野山をさがす映像もこの時期よく紹介されます。

これに匹敵する日本の秋の茸といえば、松茸でしょう。松茸もまた栽培が難しく、女松と呼ばれる赤松の周りの土地にわずかに頭を出しているところを採集します。ひとつ見つけるとその周りにも見つかることが多いといわれます。松茸狩りという言葉があるものの、国内ではだんだんとれなくなりカナダや近隣諸国から輸入されているものが増えてきましたが、香りも味わいも今ひとつという評価は日本人が松茸に特別な思いを持っているからでしょう。万葉集の時代から歌に詠まれているそうですが、どんな歌でしょうか。

フィンランドのいけばな関係の方たちと、ヘルシンキの日本大使公邸に招かれた時のことです。こちらでも和食が広まり、いけばなを通して日本に特別関係の深い方たちが集うその日のおもてなしも和食でした。

食卓に出されたのは松茸のお吸い物、土瓶蒸し。傘の開かない新鮮なうちが松茸の身上ですが、どうやって日本から運んできたのかしら、冷凍かしらと思っていると、大使がフィンランドで松茸が採れるというお話をされました。松茸がはえる赤松の林はこちらにもあります。でも、地表に少ししか顔を出さない松茸はあまり知られていません。

同席した方によれば 北欧の松茸と日本の松茸はDNAにおいても極めて近いという研究報告があるのだそうです。フィンランドにはたくさんの種類の茸が生えているので 特別松茸に興味のある人はいないし、注意したことも探したこともないというフィンランドの友人の話でした。

私たちのいけばなの教科書の中に野菜、果物をいける、というテーマがあります。「今度松茸を探していけてみようかしら。日本の人たちはきっとうらやましがるわね」という門下のフィンランド支部のメンバーに大笑い。

おもてなしのしめは土鍋でたかれた松茸ご飯。おかわりをどうぞ、とすすめてくださる大使夫人の言葉に、フィンランド松茸の味をしっかり覚えておこうと二膳目をお願いしたのでした。(光加)

今月の花(十月)きささげ

caffe kigosai 投稿日:2017年9月21日 作成者: koka2017年11月10日

枯れ枝に烏とまりけり秋の暮れ

有名な芭蕉の一句です。烏は一羽か、それとも複数か、といった考察がされることはよくありますが、さて、止まっている枯れ枝は何の植物でしょうか?

実が落ちた柿の枝か、それとも梅の古木で苔などがついているか?と想像は広がっていきます。一口に枯れ枝といっても 葉をすっかり落とし春にそなえて力をためているもの、また一方では枝の芯まで乾ききり、全く新芽が吹く可能性がなく、朽ち果てるのを待っているものもあります。

芭蕉の句の枯れ枝は何かと考える時、私にはまず、かたまってたくさんの実がつく「きささげ」の枝が心の中に浮かびます。「ささげ」はマメ科ですが、「きささげ」はノウゼンカズラ科で薄黄色の花をつけます。

「きささげ」は夏の間、3~5か所の切れ目がある卵型の大きな葉の間からたくさんの緑の実が下がります。細長い豆のは30cmにもなります。

秋に葉をおとすとぶっきらぼうに伸びている枝が現れ、たくさんの褐色の豆が垂れ下がる姿はにわかに野趣に富んで見えてきます。

ある展覧会に家元みずから制作の陶器の器にいけさせていただくことになった時、花材は「きささげ」がいいと思いました。しもぶくれの40cmくらいの高さの花器は少し紫がかった釉薬がかけられ、口元には白い釉薬がはねたようにかけられていて、まるで冬の富士山のようでした。

九月のはじめ、花屋さんにいくと六畳ほどの冷蔵庫に保管された花材のなかに「きささげ」がありました。十月末の展覧会に予約しようとすると、無理だという答えが返ってきました。

その時期はたとえ一週間前に切って冷蔵庫にいれて保管しても 外に出すとすぐ豆がはじけてしまうのだそうです。そうするとたくさんの種に細かい毛のようなものが出てきて、なかなか掃除が大変というので、私は「きささげ」を十月末の展覧会にいけるのをあきらめることにしました。枯れ枝どころか、なんと生命力にあふれた植物なのでしょう。

こうして芭蕉の「枯れ枝」のいくつかの候補の中から「きささげ」は消え、この枯れ枝が何の植物をさすのか、という推理は振り出しに戻ったのです。(光加)

今月の花(八月)グラジオラス

caffe kigosai 投稿日:2017年8月2日 作成者: koka2017年8月2日

苦手な花はありますか、と問われることがあります。茎はまっすぐで曲げられず、花が付くと重さがあり、花弁は傷つきやすいグラジオラスは苦手な花のひとつです。

そうはいってもいられないのが、海外でのいけばなのデモンストレーション。花材は季節の関係などにより限られることが多く、国によっては輸入の薔薇やカーネーションなど数種類があるくらいです。

ある時イタリアの小さな町でデモンストレーションをすることになりました。デモンストレーションとは何もないところからお客様の前で花をいけて、出来上がっていく過程を楽しんでいただくことです。少なくても五作品、多い時は十作品以上いけます。

デモンストレーションでは観客の目を変えていくことが必要で、使う植物の種類は豊富でなければなりません。私は花屋さんで、萌えるようなオレンジの花をたくさんにつけた背の高い、いかにも夏でも元気なグラジオラスを買いました。

デモの数作のうち、一作は五本の同じ色のグラジオラスだけを幅の狭い長水盤にいけることにしました。グラジオラスは葉の長さが五十cmにもなることがあります。きれいな葉を選んで茎から注意深く切りとり、花茎の先にある咲ききっていない数輪を残してパシと切ると観客の低いウオという声が聞こえました。

二本になったグラジオラスの花茎の、豪華に咲いているほうを先に入れた葉の間から顔を出させ、先の蕾の部分を葉と共に剣山に。背の高い緑の葉は花の後ろにすこし間隔をおいて垂直に入れ、勢いのある葉の線を出しました。

「私たちはそのまま12本、さっと花瓶に入れるだけなのにね」「ふたつに切った時はどうするのかと驚いた」終わって挨拶をすると、グラジオラスが印象的だったという声に囲まれました。

そのなかのある男性が言いました。「日本からのクリスマスカードで見た記憶がある!この形は。花は違うけれど」よく聞いていくうち彼の言っているのは尾形光琳の燕子花の図と分かりました。すっと立って咲く燕子花の群を金泥の空間に配することで光琳は空間も描きたかったのでしょう。背景の金の空間がこの花を浮きたたせ、まるで別の世界にもっていったかのようです。

私はグラジオラスの作る空間の美しさを生かしきれたでしょうか。意識もしていなかった日本の空間の大切さは私の中で一度潜り、グラジオラスの作品として浮上したのでしょうか。

グラジオラスはラテン語で小さな刀の意味をもち、燕子花や花菖蒲と同じあやめ科に属します。今はいろいろな色や形のあるグラジオラス、嫌わずにもっといけようと思いました。(光加)

今月の花(七月)水無月

caffe kigosai 投稿日:2017年6月21日 作成者: koka2017年6月21日

花びらを平たく広げた白い小さな花。その花をたくさん集めて円錐形に咲いている水無月を見かける季節になりました。アジサイの一種で、その姿からピラミッドアジサイという名前もあります。

白い花の大きなかたまりは、薄い緑の葉をつけて咲いています。あたかもその葉の色が花に反射したような少し緑色を含んだ白が涼し気です。近づいて見てみると小さな花弁の白にかすかに淡紅色がさしたものもあります。

水無月の花を少しでも長く楽しむには茎の元を水の中で切り、ミョウバンをつけます。私はその美しさをさらに残しておきたくて葉をすっかりとって逆さにつるし、ドライフラワーとして使おうとしてみましたが、一時かさかさになったものの小さな花が一輪また一輪と落ちていき、そのうち茶色になってきてあきらめました。

この季節から秋をそろそろ感じ始めるころまで咲く水無月は、日本原産のノリウツギの園芸品種です。ノリウツギは糊空木と書き、紙を作るのに用いられる糊をその樹皮から採ったためといわれます。ノリウツギはひとつの花の装飾花の数は少なく、かわりに両性花と呼ばれる雄蕊と雌蕊がひとつの花についているものが花の中央に密集します。装飾花が周りについたガクアジサイを思い出していただけばおよそのノリウツギの花の姿が想像できるでしょうか。

もともとは水無月は旧暦の六月、今の太陽暦では七月をさします。暑くて水が蒸発しそうな月、という意味があるそうです。三十日には一年の折り返しに厄を払い、あとの半年を元気でいるように願う名越の祓があります。

この名越の前後に和菓子屋さんにならぶ水無月と呼ばれるお菓子は外郎に小豆がのせられています。三角に切られた白の外郎は氷室から出された氷をかたどったものだそうで、口の中での冷やりとした食感はこの蒸し暑い季節を瞬間追い払います。氷室の氷など庶民は口にできなかった時代の知恵も働いていたのでしょうか。

たっぷりと花をつけて重たげに揺れている水無月の花。甘さをおさえたもっちりとした食感の水無月。視覚も味覚もこの水無月の季節ならではの楽しみがあります。(光加)

今月の花(六月) 薔薇

caffe kigosai 投稿日:2017年5月22日 作成者: koka2017年5月24日

百年以上はたつとみられるオリーヴの樹々は、どれもどっしりと構えていました。幹に洞があったり、低く唸るかのようなその佇まいに、樹々を過ぎていった月日が思われました。オリーヴのスモークグリーンと一面緑の萌えたつ草のなか、T氏のお宅を囲むように赤やピンク、黄色や白の大小の薔薇が一株ずつ咲いていました。

薔薇を植えているのは、T氏がオリーヴオイルと一緒にワインも作っていることと関係があるのかとふと思いました。ブドウを育てる時、必ず近くに薔薇を植えるのは大切な木に虫が付いていないか、植えておいた薔薇でまず見るためと聞いたことがあります。

ローマから特急で一時間と少しの丘の上の街、オルヴィエートは美しい大聖堂と中世からの古い街並みと白ワインで知られています。訪れた日曜日の翌日は日本でいうメーデー。レストランも閉まっているからとT氏は自らパスタ料理を作ってくださり、珍しいチーズ、野で摘んだというセルバチコ(アスパラガス)のお浸しを用意してくださいました。セルバチコは今まで味わったことのないほど柔らかくて、その優しい味はまさに自然からの贈り物でした。

T氏は昨年知り合ったある女性の弟君です。昨年他界された彼女のご主人をはるか昔、私が少し存じ上げていたご縁でこの街を訪ねることになったのです。初対面の私たちの話題は義理の兄上のこと、弟のところにぜひ、といってくださった姉上のこと、そして植物の話になりました。

長旅の途中とはいえ、たいしたお土産も持参せず休日に伺った上すっかりご馳走になってしまった私は、せめてなにかお礼の気持ちを表せないかと思いました。

「花をいけたいのですが、薔薇をすこし切らせていただいてよろしいですか?」突然の申し出にもかかわらず快諾をいただき、早速薔薇とオリーブの枝をすこし切ってきました。家の中で大小の筒状のガラスの花器を見つけ、小さい方を大きい花器の中に入れてみました。そこに直径十センチ近くあろうかと思うような今まさに満開の薔薇を一輪いけ水をそそいでいくと、茎の赤茶色の棘がますます大きく見えていくのです。Tさんは、棘とか根とか面白いですよねといいながら見ていました。

黄色い大輪のバラの縁の落ちそうな花弁をちぎった瞬間、立ち昇る強い香に私は圧倒されました。薔薇水とか、薔薇の花弁のジャムを思いついた人たちはこんな経験が元になっていたのでしょうか。遠くから見ていた女王の裾にまさに触れた思いがしました。重なった二個の花器の隙間には赤い縁取りの黄色い花弁を入れていきました。ワインの瓶や和皿も次々と庭の薔薇をいける花器となり、また新しい薔薇の表情に、ここオルヴィエートで出会いました。(光加)

今月の花(五月)都忘れ

caffe kigosai 投稿日:2017年4月22日 作成者: koka2017年4月26日

名前を聞いただけで、その植物の性質が推し量られるものがあります。

丈がせいぜい四十cmの都忘れは、直径三cmほどの花を茎の頭頂につけます。覗いてみれば中心の筒状花は黄色く、その周りをとりまくはなびらの元はきゅっと絞られています。小さな花弁は薄紫、白、ピンク、濃いめのピンクなどがありますが、花屋さんでの切り花や鉢植えでは濃い紫が多く見かけられます。やや艶のある葉は、キク科に属す植物の特徴のひとつである切れ目があります。

都忘れは、もともと野春菊ともいわれる「みやまよめな」から園芸種として改良されたもので、日本が原産です。

小学生のころに住んでた家の小さな庭は、連翹が散り、桜の最後の花びらが数枚どこからか舞い込んでくるころ、薄い紫の都忘れが咲いていました。この花は早春から咲く種類もあるといわれますが、我が家では少し遅く咲きました。春のけだるさをその薄紫の色に現しているようで、私の好きな花のひとつでした。

庭の手入れを特別にしていた記憶がなかったのは、仮住まいだったせいもあったのでしょうか。幼い私はそんなことを知るはずもなく、都忘れを庭から勝手に切ってきて、鼠色の深めの鉢にたっぷりと水をいれ、そこにそのままさっといれていました。可憐な花とともに、少し濃くなった葉の緑は水の中に入ったものはことのほか瑞々しく見えて、子供心にも少し汗ばむ季節の到来をどこかで感じていたのでしょうか。

順徳天皇(1197-1242)は百人一首の最後の歌の作者として知られています。「ももしきや古き軒端のしのぶにもなほ余りある昔なりけり(順徳院)」という歌は多くの方がご存知です。晩年には佐渡に流された順徳院は、こんな歌も詠んでいることを知りました。

いかにして契りおきけむ白菊を都忘れとなづくるも憂し

四十六歳で佐渡で崩御した順徳院が愛でた花は、私たちが今見ている都忘れとは違う花かもしれません。しかし愛らしい白い花が都を忘れさせてくれるのは、外に向かって華やかに語りかけるのではなく、なぜか人の心の内に向かって染み込んでいくようなこの花の魅力ゆえだと歌われているのであれば、現代の都忘れにもその面影が残っていると思われてくるのです。(光加)

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「カフェきごさいズーム句会」のご案内

「カフェきごさいズーム句会」(飛岡光枝選)はズームでの句会で、全国、海外どこからでも参加できます。

  • 第三十七回 2026年4月11日(土)13時30分
      (原則第二土曜日です)
  • 前日投句5句、当日席題3句の2座(当日欠席の場合は1座目の欠席投句が可能です)
  • 年会費 6,000円
  • 見学(1回・無料)も可能です。メニューの「お問い合せ」欄からお申込みください。
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スタッフのプロフィール

飛岡光枝(とびおかみつえ)
 
5月生まれのふたご座。句集に『白玉』。サイト「カフェきごさい」店長。俳句結社「古志」題詠欄選者。好きなお茶は「ジンジャーティ」
高田正子(たかだまさこ)
 
7月生まれのしし座。俳句結社「青麗」主宰。句集に『玩具』『花実』『青麗』。著書に『子どもの一句』『日々季語日和』『黒田杏子の俳句 櫻・螢・巡禮』。和光大・成蹊大講師。
福島光加(ふくしまこうか)
4月生まれのおひつじ座。草月流本部講師。ワークショップなどで50カ国近くを訪問。作る俳句は、植物の句と食物の句が多い。
木下洋子(きのしたようこ)
12月生まれのいて座。句集に『初戎』。好きなものは狂言と落語。
趙栄順(ちょよんすん)
同人誌『鳳仙花』編集長、6月生まれのふたご座好きなことは料理、孫と遊ぶこと。
花井淳(はない じゅん)
5月生まれの牡牛座、本業はエンジニア、これまで仕事で方々へ。一番の趣味は内外のお酒。金沢在住。
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