室咲き
冬の季語に室咲きという言葉があります。
寒い中花屋さんの店先に春の花を見かけると、温室の中で育てられたのか、国内の暖かい所から、あるいは輸入なのか、と眺めます。季節を先取りして店頭に並べられる花たちにはそこに来るまでにそれぞれの物語があります。
雑誌などに掲載する作品の制作の依頼が私にも寄せられることがあります。
これはこの季節のこういうテーマで、という詳細が知らされるのですが、実際に作品写真を載せた季刊誌の発売がずいぶん先ということもあり、花材を選ぶ時には注意を払います。
そんなときに思い出すのが、私の属す流派の初代家元と、出入りの花屋さんの話です。
今から30年以上も前に、こんな話を聞きました。
ある時、家元の作品の写真撮影のためスタジオではカメラマンやスタッフが待機をしていました。年が変わった頃だったかもしれません。スタジオには出始めたばかりの春の花々が並び家元を待っていました。特に蕾をつけた桜がいい具合に開いていました。色もたいそう美しいもので、早咲きの桜だとしてもその時期にはどこにも見られないものでした。
花屋さんの大番頭さんもスタッフの後ろに控えていました。到着した勅使河原蒼風家元はまずひときわ目立つ桜を眺め、次に下から見上げていき選んだ一枝をゆっくりと切りました。そして「ちょっと、そこのお前さん!」と花屋の大番頭さんを呼んだのです。
大番頭さんは何か粗相をしたのだろうかと震え上がったことでしょう。
家元の大きな眼でじろりとみられるだけで、その眼光の鋭さには私もいつもはっとしたものです。ゆっくりとした動作で、歩を進めるたび周りの人は思わず一歩下がるような、初代のカリスマ性をもった家元はこう言ったそうです。
「私にこの春、一番早く桜をいけさせてくれてありがとうよ。」
その桜は幹のある高さのところで色がはっきり変わっていました。幹の下のほうの水がしみ込んだ跡を見て、桜の枝がかなり長い間深水につけられていたことを家元は瞬時に見抜いたのです。それはまだ固い蕾の時に切り出し室に入れて、この撮影のために花屋さんが花の咲き具合を調節していた桜でした。
今の温室とは規模も形も、花屋さんの苦労も異なっているかもしれません。
まだ若かった私はこの話を知った時、室咲きという言葉が心の中に刷り込まれ、同時に日本の花屋さんに伝わる技術に尊敬の念をいだいたのです。(光加)