今月の季語(9月)夜長
昔から「秋の日は釣瓶落し」と言いますが、〈釣瓶落し〉が秋の季語として使えることをご存知ですか? 山本健吉が提唱し、賛同した俳人がいて定着した季語なので、まだ新しい部類に属します。
釣瓶落しといへど光芒しづかなり 水原秋櫻子
コンコルド広場の釣瓶落しかな 石原八束
健吉に「きれい寂(さび)」と賞された秋櫻子の句と、舞台を海外に置いた句を抽いてみました。「釣瓶」を使って描かれた西洋画のような句です。
秋の太陽が他の季節と比べて高速で動くわけではありません。夏より早く暗くなる忙しなさに、人がそう感じるのです。
釣瓶落しの後に訪れる〈秋の夜(よ)〉は夏より「長い」と感じます。正確には冬のほうが長いですが、冬の長い夜は鬱陶しく、夏より気温が下がって過ごしやすくなる秋の夜の長さは嬉しいのです。そういう気持ちを表す季語が〈夜長〉です。
妻がゐて夜長を言へりさう思ふ 森 澄雄
寝るだけの家に夜長の無かりけり 松崎鉄之介
アラジンに世之介に飽き夜長なり マブソン青眼
「夜が長くなったわね」「そうだな」と静かに満ち足りていた森夫妻に、ほどなく〈飲食をせぬ妻とゐて冬籠〉という日々が訪れるとは、誰が予測したでしょう。
また、夜長は起きていることを楽しんでこそのもの。二句目はまさにそれを言っています。夜間に寝ている時間が長くても、それを夜長とは言わないのです。
末の子の又起きて来し夜長かな 上野 泰
親がともしている灯に子どもが起き出してきました。私にも遙かな記憶がありますが、父の膝からつまませてもらった落花生は、他の兄弟が味わっていないゆえ一層美味でした。
三句目は読書の秋に掛けています。『千夜一夜物語』も西鶴の浮世草子も、好き放題に読んでなお余るほど夜が長い、と。作者は一茶の研究者でもあるフランス人です。
秋の夜や旅の男の針仕事 一茶
秋の夜の雨すふ街を見てひとり 横山白虹
酒も少しは飲む父なるぞ秋の夜は 大串 章
〈秋の夜〉とだけあっても、長い夜であることを前提に読み取ればよいでしょう。一句目も二句目も、それゆえ一層しみじみとしてきます。三句目は、長子誕生の報を受けた新米父の喜びです。「少し」飲みながら生まれたばかりのわが子のもとへ思いを飛ばしています。名前を考えているのかもしれません。
夜がいちばん長いはずの冬には〈日短〉の季語があります。明るく暖かい昼の時間が短いのを惜しむ気持ちが反映されています。その冬が去り、春には〈日永〉を喜びます。実際にいちばん日が永いのは夏至のころであることは言うまでもありません。その夏には〈短夜〉と夜の明ける早さを詠うのです。何か少し臍曲がりのようにも、脳天気なようにも思えてきて楽しいです。
秋の夜長。季語の本意に触れる遊びはいかがですか? (正子)