今月の季語〈十二月〉 葱
スーパーに行けば葱は年中あります。今年の夏は、麺類の薬味用にせっせと葱を買っていました。あまりの暑さに出られず、葱が切れたときには、試しに庭のチャイブ(西洋葱)を使ってみました。ピンクの花が可愛いので育てていますが、そんな急場しのぎにもなってくれました。ハーブ類は丈夫ですが、寒さに強いものばかりではありません。その中にあって、株がどんどん大きくなっているのがこのチャイブです。やはり葱類は冬の植物なのだなあと、変なところで納得しています。
そんなこんなで葱の旨い季節となりました。私が〈葱〉と言われて咄嗟に思い浮かべるのはこの三句。
白葱のひかりの棒をいま刻む 黒田杏子
この冬の名残の葱をきざみけり
とほき日の葱の一句の底びかり
我田引水で申し訳ありませんが、すべて私の師匠の句です。第一句は第一句集『木の椅子』、第二句は第四句集『花下草上』、第三句は第五句集『日光月光』に収められています。制作年を調べると、ほぼ十五年おきに詠まれていたことがわかりました。三十年に渡って詠まれた三句ということです。葱で人の生涯が詠んでゆけるとは。
「ひかりの棒」である葱は白葱ですが、青葱を好む人もいるでしょう。が、青葱とはっきり分かる例句はあまり多くありません。
葱は青勝ちべにがら塗りの店格子 中村草田男
みどり濃き葱は紫ならんとす 山口青邨
対して白葱は前出の句以外にも、容易に拾うことができます。
葱(ねぶか)白く洗ひたてたる寒さ哉 芭蕉
明がたや葱(ねぶか)明りの流し元 一茶
花明りならぬ葱明り、というのですから、白葱でしょう。雪国の一茶宅の葱は、家うちに埋けてあったようです。
葱焼いて世にも人にも飽きずをり 岡本 眸
色は詠んでいませんが、この調理法に適うのも白葱です。この句は、
幸不幸葱をみぢんにして忘る 殿村菟絲子
と読み比べてみると興味深いです。どちらも幸福感溢れる句ではありませんが、受け止め方が実に対照的です。
夢の世に葱を作りて寂しさよ 永田耕衣
人の世へ覚めて朝の葱刻む 三橋鷹女
生きていくために致し方なきこととして葱を作ったり刻んだり。鷹女のほうが男振りがよいように思いますが、どうでしょう。
夜の客に手探りに葱引いて来し 中村汀女
山を抜く力で葱を抜かんかな 橋 閒石
葱抜くや春の不思議な夢のあと 飯田龍太
葱の抜き方も三者三様。必ずしも生活実感で詠む必要はなさそうです。
葱をよく買ふ妻のゐて我家なり 宮津昭彦
ふたり四人そしてひとりの葱刻む 西村和子
葱で家族も詠めそうです。夫より妻のほうが葱好きな宮津家。両者が揃ってこその「我家」です。西村夫妻に子は二人。もう成長して独立しています。そして妻は夫を送り、今はひとり暮らしをしているのです。
葱からはまた、厨仕事が長らく女性のものであった、この国の歴史も思わせられます。そのおかげか「葱刻む」にリアルな思いを籠められるのは、現在只今は女性の特権であるかもしれません。(正子)