今月の季語〈十一月〉 初冬の花
〈木枯・凩(こがらし)〉が木々の葉を吹き散らし、草々を薙いでいきます。〈小春日和〉と呼ぶほっとする日がある一方で、着々と冬が深まっていきます。
木がらしや目刺にのこる海のいろ 芥川龍之介
海に出て木枯帰るところなし 山口誓子
木を枯らすと書く木枯・凩ですが、例句にはこのほかにも海との取り合わせが多いです。龍之介や誓子の句が浮かぶからでしょうか。「木」は既に文字の中にありますから、他の要素を求めてのことでしょうか。
路地住みの終生木枯きくもよし 鈴木真砂女
木がらしの片刃は墓を濡らしけり 八田木枯
凩にまなこ輝く一日かな 山田みづえ
妻へ帰るまで木枯の四面楚歌 鷹羽狩行
真砂女の「路地」、木枯の「片刃」、みづえの「輝くまなこ」、狩行の「妻」。それぞれの作家らしい取り合わせかと思います。吹き払われて素の自分になってみると、何か新しいものが見つかるかもしれません。
身ほとりから生き物の気配が消えてゆく頃合ではありますが、だからこそたまさかに出会う彩りにははっと目を引かれます。代表的な「花」を見て行きましょう。
山茶花のここを書斎と定めたり 正岡子規
山茶花は咲く花よりも散つてゐる 細見綾子
〈山茶花〉は秋のうちから春先まで咲く、花期の長い花です。その性質は綾子の句の通り。はらはらと散り継ぎます。
山茶花の散りしく月夜つづきけり 山口青邨
茶の木も同じくツバキ科で、花は小さいですが形が似ています。〈茶の花〉は散るのではなく落ちます。
こもり居や茶がひらきける金の蘂 水原秋櫻子
秋櫻子の「こもり居」は今年のステイホームではありませんが、そういう日々に寄り添ってくれる花というイメージでしょうか。
ツバキ科の花を視覚の花とするならば、モクセイ科の柊は嗅覚の花でしょう。
柊の花一本の香かな 高野素十
まずその芳香に驚き、見渡してやっと木の存在に気づくということも。もう二十年も前のことになりますが、私にとって忘れられない柊の記憶があります。その日同行者のおひとりは〈柊のたそがれの香にほかならず 岩井英雅〉と詠まれました。曇りがちの日でしたが、夕暮にはまだ間がありました。ほおお~そう詠めばよいのか~といたく感銘を受けました。私も〈ひひらぎの花まつすぐにこぼれけり 正子〉。
また、この季節を選んで咲く桜があります。春の桜とは別種です。
雨雫よりひそやかに寒桜 稲畑汀子
鮮やかな黄の花を掲げる〈石蕗の花〉は、
つはぶきはだんまりの花嫌ひな花 三橋鷹女
母我をわれ子を思ふ石蕗の花 中村汀女
もしかすると評価の割れる花なのでしょうか。私の気分は、
どこへでも行ける明るさ石蕗の花 鎌倉佐弓
に近い気がします。歩いてゆくと、時ならぬ花に出会うこともあります。
日に消えて又現れぬ帰り花 高浜虚子
返り咲いて一重桜となりにけり 阿波野青畝
父に樒母に杏の返り花 黒田杏子
〈返り花・帰り花〉は小春日和に誘われた花のこと。狂い咲きというより浮かれ咲きと私は思っています。
〈小春日和〉〈凩〉ともども十一月限定と言ってよい季語です。今のうちに堪能しておきましょう。(正子)