今月の季語〈二月〉 梅
温暖化のせいでしょうか、私の住む南関東では年内に梅が咲き出すようになりました。そのころになると、咲いていないで欲しいと念じつつ梅林に立ち寄ったりもする、臍曲がりな私です。昨年末は冷え込みのおかげで、梅林は寒林の風情でしたが、それでもかそけき花を二、三輪見つけました。
もっとも梅は種類が多く、十二月から咲くものもあります。〈冬至梅〉〈寒紅梅〉は早々に盛りを迎えます。
寒の梅挿してしばらくして匂ふ ながさく清江
朝日より夕日こまやか冬至梅 野澤節子
年が明けると私も素直に〈探梅〉のこころを抱くに到ります。春に魁けて咲く梅を〈早梅〉、早梅を求めて歩きまわることを〈探梅〉といいます。どちらも冬の季語です。
早梅の紅くて父と母の家 加倉井秋を(冬/植物)
早梅の発止発止と咲きにけり 福永耕二
日の当る方へと外れて探梅行 鷹羽狩行(冬/生活)
冬から始めましたが、〈梅〉自体は春の季語です。〈桜〉同様古来より暮らしに密接に関わってきた植物ですから、傍題も含めて季語は豊富です。
梅が香にのつと日の出る山路かな 芭蕉
しら梅に明くる夜ばかりとなりにけり 蕪村
我春も上々吉よ梅の花 一茶
芭蕉の句は『炭俵』所収。これを発句に弟子の野坡と歌仙を巻いています。「しら梅に」は蕪村の辞世句です。「ああ夜が明けてゆく……」。明け放たれるまでこの命はあるだろうか、美しい朝を見届けられるだろうか、と手を伸べているような句と私は解しています。一茶の句は作句活動が最高潮を迎える文化後期のもの。柏原を終の住処とし、妻を娶り、子を望みつつ生きる、この先の一茶を知る後世の者としては、何か空元気で我と我が身を奮い立たせているようにも思えてきます。
紅梅の紅の通へる幹ならん 高浜虚子
老梅の穢き迄に花多し 同
白梅のあと紅梅の深空あり 飯田龍太
うすきうすきうす紅梅に寄り添ひぬ 池内友次郎
しだれ梅より見し城の優しくて 京極杞陽
暮れそめてにはかに暮れぬ梅林 日野草城
箒目の門へ流るゝ梅の寺 上野章子
白梅、紅梅、薄紅梅、しだれ梅、老梅、……と梅そのものはもちろんのこと、梅林、梅園、梅の宿、……と梅の咲く場所を季語として詠むこともできます。
また季語は歳時記の植物の章にとどまりません。
庭の梅よりはじまりし梅見かな 深見けん二
梅見酒をんなも酔うてしまひけり 大石悦子
梅見茶屋ぽんぽん榾をとばしけり 皆川播水
〈梅見〉(生活の章)、〈梅見月〉(時候の章)、〈梅東風〉(天文の章)と、桜に少し早く、春を喜ぶ季語がたくさんあります。探してみましょう。(正子)