今月の花(八月)ブーゲンビリア
蔓状の枝に小さな花をたくさんつけるブーゲンビリア(ブーゲンヴィレア)を身近で楽しもうとしても、東京ではワイヤーで組まれた土台に蔓が巻かれた鉢植えを買ってくるのがせいぜいです。
花といいましたが、じつは三枚の花びらのようなものは苞(ほう)です。それぞれの苞の元から出ている筒状の先の白いものが本当の花なのです。葉は先のとがった楕円形で蔓には棘があり、切るとすぐにしおれるので作品として長くいけておくのは困難です。
日本でも南、それも沖縄までいけば、ピンク、赤、白、黄色、オレンジ、赤紫、白にピンクのはいったものなど、華やかなブーゲンビリアが見事な放物線を描き、競い合うようにその美しさを見せています。
今では世界各地で栽培されていますが、ブーゲンビリアの原産地は中南米です。中米メキシコの首都メキシコシティでは女流画家のフリーダ・カーロの住んでいた家の、独特のブルーに塗られた塀からその色に負けない鮮やかなピンクの苞をつけた枝をのぞかせていました。
政情不安なパキスタンに行ったときは、舗装をしていない道の傍で、行き交う車の埃の中、黄色い苞をつけた枝が揺れていました。
ブーゲンビリアのこのうえもなく冴えた色に出合ったのは、パプアニューギニアの首都ポートモレスビーの青い空の下でした。あの色は土の性質によるのか、あふれる光のせいなのでしょうか。
この海域にはブーゲンビル島という島があります。この島を訪れたフランス人の探検家ブーガンヴィュ(1729-1811)にちなんで、ブーゲンビル島と名付けるられたといわれています。植物のブーゲンビリアはそのブーガンヴィュがブラジルにいった時、同行の植物学者が珍しいこの木を発見、属名にその名をつけ、それがブーゲンビリアをさすようになったということです。
パプアニューギニアとその近海は、第二次世界大戦では日本と連合軍との激しい戦闘の中におかれました。今も日本から慰霊の旅行団を迎えるこの国で、ブーゲンビリアは、ここで散っていった幾多の魂に深い鎮魂の思いとともに、命の意味と重さを問いながら瑞々しく鮮やかな色で咲き続けていくに違いありません。
(以上は、2014年8月の「今月の花 ブーゲンビリア」に加筆修正したものです)
この話を書いた後、夏になると近所の道に園芸用品の緑の棒をくみ上げたブーゲンビリアの小さな棚が出現。その華やかな色合いが太陽の光に揺れている様子を楽しんできました。
先日、アフリカの日本大使館にいる門下からメールがありました。今回の元総理の事件で弔問においでの地元名士の方も多いとのこと。「花屋さんから白薔薇と白百合は入手できるけれど、薔薇は棘があるから黒枠のお写真のそばには使えませんよね」と聞いてきました。「白いブーゲンビリアならたくさんありますけれど、もちませんし」とも。ブーゲンビリアは切ってすぐに水の中に入れてもどんどん萎れていきます。百合だけでもいいのではとアドバイスをしましたが、白いブーゲンビリアは公邸の庭にあるので、萎れたらすぐ庭から切ることになったようです。
パプアニューギニアにしても、今回の白いブーゲンビリアにしても、人が人を殺める、その慰霊の場面でこの花が使われることを残念に思います。
華かな色を振りかざすような丈の長いブーゲンビリアが元気に風に揺れてているところを見ると、これ以上ブーゲンビリアに悲しい思い出のイメージを重ねてほしくないと思います。次に見るときは楽しい陽気な場面でと願うのです。(光加)