今月の季語〈十二月〉 年用意
二〇二二年も歳末となりました。「波」の心配をしながら「来年こそは」と念ずるのが、残念ですが年越しの定番になってきました。ですが、波がおさまってから計画を立てるのはなく、まずは計画を立てようと思えるようにもなってきました。
というわけで、計画通りに粛々と進められるとは限らない年用意、年越し、新年の抱負、……を今からこなしてまいりましょう。
まず今年は〈事始(ことはじめ)〉という生活の季語を意識してみませんか? この日から新しい年を迎えるための仕事を始めるという意味です。農事の事始は明けて二月八日ですが、〈正月事始〉の意で用いるときには十二月十三日です。祇園の華やかな(新型コロナ襲来以前ほどでないとはいえ)事始が映像で流れますから、その夜のニュースは要チェックです。
京なれやまして祇園の事始 水野白川
軸赤き小筆買ひけり事始 小林篤子
二句目の小筆は〈賀状書く〉のに使うのでしょうか。
知らぬ子と遊ぶ吾が子や賀状書く 岸本尚毅
賀状うづたかしかのひとよりは来ず 桂 信子〈新年〉
〈賀状〉のみですと新年の季語ですが、「書く」をつけて年末の季語になります。年末と新年と共通する語の入る季語の例が多々ありますが、「用意する」というニュアンスを付加して年末の季語になることを意識しましょう。
注連飾る去年の釘の曲るまま 赤尾恵以
火の香りしてゐて留守や注連飾り 西山 睦〈新年〉
年末の大掃除、年越し用の買物、飾りつけ、料理や器物、衣類の支度などに、いそいそと忙しなく立ち働くことになります。〈年用意〉はそういったものすべてを指す総称です。
縄の玉ころがつてゐる年用意 高野素十
山国にがらんと住みて年用意 廣瀬直人
正月用のもろもろを売るために立つ市を〈年の市〉といいます。
注連の山その中ぬくし年の市 山口青邨
アマゾンを地球の裏に年の市 和田悟朗
一句目、売られている間は注連飾も物であるところが面白いです。「ぬくし」は実感であり発見です。二句目は、雑駁に売り物が並んだり掛かったりしているさまから、まるでアマゾンだ、本物のアマゾンは地球の裏側だけど、と発想したのではないでしょうか。
そして年年歳歳わが家では頭痛の種になっているのが〈煤掃(すすはき)〉です。いわゆる年末の大掃除ですが、今年こそ、家を浄め年神様を迎える心持ちで、と念じています。
煤掃いて其夜の神の灯はすゞし 高浜虚子
煤払終へ祖父の部屋母の部屋 星野立子
とはいえ押し詰まって句会の予定があるし、と思っているのも私です。逃れるために外出することを〈煤逃(すすにげ)〉といいます。
煤逃げの蕎麦屋には酒ありにけり 小島 健
そのまま〈年忘(としわすれ)〉に突入ということもまたよくある話ですが、さて今年は首尾よく酌み交わすことができるでしょうか。(正子)