a la carte_枯れひまわり
枯れ蓮、枯れ尾花、枯芭蕉。秋の深まりと共に、植物はその盛りの時とは異なった姿で、大地にもどっていくことへの寂寥の思いを起こさせます。
枯れていくひまわりをキプロス島でいけた事があります。丈は私の背をはるかにこし、葉も黄色の花びらもまったくなくなったそれは、担いでみると種が詰まった頭の部分のあまりの重さに、私はふらふらとふりまわされてしまいました。
ひまわりは、花の中心にある種の存在がひとつづつ際立ちやがて茎から水分がぬけていくと、夏の華やかで生命力一杯だった姿を思い起こせないくらいの形に変化します。天から与えられた水や光や土によって育まれたものが、今度は無駄なものがひとつひとつ剥ぎ取られ、より密な存在に煮詰まっていくわけです。
中心はひしゃげたようにそった形になり、どこか顔のような表情をみていると、もともとこの太陽と友達のような植物は、素直で明るいのは夏だけで、本来は性質までひねくれていたのかとさえ思えてきます。種ができていく段階で中心から外へ外へとらせん状に作られていくことによってできる面の微妙なひずみも、この形になるのを助長させるのでしょうか。数えきれない種の多さですが、その種には面にモダンな縞模様を持つものもあり、栄養価が高くオイルにもなります。
やがて実った種が、いくつかすっぽりと抜け落ちた跡をのぞきこんでみると、新しい命が旅立った後のうつろさをかいま見る思いがして、ひまわりの独特の深遠の世界に引き込まれるようです。
枯れたものは美しい
しおれたものはちがう。 「勅使河原蒼風 花伝書」より
ひまわりは枯れてますます個性的になり、(しおれてなんかいられるか)とばかり、咲き誇っていたときとは違った新たなたくましささえ加えて、私たちの前に立ち現れるのです。(光加)