お知らせ
「カフェきごさい」のスタッフ趙 栄順さんが、韓国文化院主催のエッセイコンテストで最優秀賞を受賞しました。転載の許可をいただきましたので、掲載させていただきます。おめでとうございます。(光枝)
「今だからこそ韓国と日本」_韓服が結ぶもの
*********************************************************************************趙 栄 順
一着の韓服がある。
まるで、咲き初めたチンダルレのような、爛漫の桜の花びらのような、薄紅色のチマチョゴリ。薄い絹地は、蝶の翅のようだ。結婚式を半年後に控えた6年前の秋、娘と私がソウルを訪れ、花嫁衣裳として誂えたものだ。
娘が嫁いだのは5年前の春だった。相手は、大学のサークルの先輩。
日本の青年である。娘は在日3世、言わば国際結婚であった。
私たち夫婦が結婚式を挙げたのは、30年前のちょうど同じ日だった。
同胞同士の見合い結婚である。
「日本人との結婚は絶対に許さない。どうしてもと言うなら、その時は親でもなければ、子でもないと思え」
同胞同士の結婚。それは、父の厳命であった。
父が慶尚南道の田舎に生まれたのは、日帝時代。食うに困った祖父母は、当時2歳の父を背負って海を渡った。東京に居を構えて、屑鉄屋を始めた。当時の在日の御多分に洩れず、父の家族は貧しく辛い経験をしてきた。苛められ差別を受けてきた父にとっては、日本に対する“恨”は根強いものがあったようだ。多くを語りたがらない父の心の傷を、肌で感じながら育った二世の私は、父を裏切るような結婚はすまいと誓った。見渡せば日本人という環境のなかで、私は日本人に対する恋心を封印した。
聞けば、夫の父も同じだったいう。同じような家庭環境に育った私たちは、言葉にせずとも通じあう思いがあった。一男一女に恵まれた私たちは、しかし、一世のようには子どもたちを育てなかった。仕事も結婚も、本人の自主性と自由を尊重しようと決めた。子どもが愛した人ならば、国籍は問うまいとも思った。
娘の結婚式。お色直しは、新郎は羽織袴を、新婦は韓服を身につけた。
三十年前の私たちの時代には、考えられない光景だった。
お互いが、それぞれの民族衣装で、お互いを尊重する。それを、無理なく表現できる時代なのだと、私たちは感慨無量であった。
3年前の秋、息子も同期入社の日本人女性と結婚した。お嫁さんは、「お義姉さんの韓服を着たい」と言ってくれた。韓国人に嫁ぐ思いを、彼女も健気に表わしてくれた。
そして、この夏は、甥が日本人女性と式を挙げた。彼女もまた、この薄紅色の韓服を着てくれた。オッコルムを結んであげながら私は、こんなふうに韓国と日本が繋がっていくことの不思議を思った。
今、韓日の関係は決して良いとは言えない。嫌韓論、ヘイトスピーチ……。
はるか昔、国境などなかった時代には、人々はそれぞれの民族を尊敬し、良き関係を築いたのだろう。半島から来た男と島の女が愛情で結ばれたこともあったかもしれない。
韓国人と日本人は、同じ茎に咲く花のようなもの。
一着の韓服が、それを教えてくれている。

