今月の季語(九月) 秋澄む
先月、秋は風の音からと詠ったいにしえ人の話を記しました。現代人は如何にと、まわりの人々に尋ねてみたところ、「風」「日差し」「雲」と天候まわりの回答が圧倒的に多かったです。「葡萄」「茸」などの食欲系や、「芙蓉」「螇蚸」などの動植物類が出てもよさそうでしたが。やはり季節の移ろいは気配で察するものなのでしょう。
今年は空梅雨でしたが、梅雨明け後に雨がちの日々が続きます。気温より湿度が悩ましい天候ゆえか、立秋を過ぎても風の音がまだべたついていて、秋を感じるには到っていません。夏と秋の違いは湿度が大きな鍵を握っていると、改めて身体で感じています。
たとえば〈新涼〉。夏の季語である〈涼し〉に対し、秋の涼しさを指す季語です。どちらも数値としての低温ではなく、相対的な快感を意味しますが、〈新涼〉には更に肌をすべるさらさらした空気の感覚が伴っていそうです。夏に高原へ行って「秋のようだ」と感じる、あの感覚です。
秋涼し蘭のもつれの解くるほど 野坡
新涼や白きてのひらあしのうら 川端茅舎
新涼や素肌といふは花瓶にも 鷹羽狩行
〈水澄む〉が秋の季語であることはよく知られていますが、水のみならず〈秋澄む〉〈空澄む〉〈秋気澄む〉と使うこともできます。秋は澄む季節なのです。この澄む感覚に湿度の低下は必須でしょう。
妻はいま金色如来秋澄みぬ 森 澄雄
ガラスまだ未生の火玉秋気澄む いのうえかつこ
紀の国の水澄みて杉澄みまさる 堀本裕樹
同じ感覚は〈爽やか〉にもあてはまるでしょう。会話では四季を問わず使いがちな語ですが、季語として働くときは秋のものです。
爽かにあれば耳さへ明かに 高浜虚子
爽やかやたてがみを振り尾をさばき 山口誓子
空いちめん雨雲に覆われ続けている今年は、雲に秋が来たかどうか確かめることもできないでいます。常ならば立秋を過ぎると、空の色を透かしながらうっすらと筋雲(は季語ではありません)が掛かるようになります。地表に近いところは残る暑さに喘いでいても、その空の透け具合に高空ではもう秋の風が吹いていることを思います。そうこうするうちに特徴的な〈鰯雲〉〈鯖雲〉〈鱗雲〉と呼ばれる形の雲が現れて―というのが私の秋の察し方です。
ねばりなき空にはしるや秋の雲 丈草
鰯雲日かげは水の音迅く 飯田龍太
秋といえば〈月〉の動向が気になりますが、〈盆の月〉〈仲秋の名月〉〈後の月〉の三つの月の色も、気温のみならず湿度でもはかることができそうです。〈盆の月〉は盂蘭盆の夜の月の意。盂蘭盆をとり行う日程は地方により家庭により異なりますから、陰暦七月十五日の月、仲秋の名月のひと月前の月ととらえましょう。〈後の月〉は名月のひと月後の十三夜月ですから、この三つの月はおよそひと月ずつ違うことになります。
家ぢゆうに草の匂ひや盆の月 長谷川櫂
名月や池をめぐりて夜もすがら 芭蕉
みちのくの如く寒しや十三夜 山口青邨
これまでは私は三つの月の違いを気温でとらえてきましたが、ここに湿度の観点を加えると、より顕著に実感できることがわかりました。今年の気候のおかげと言えそうです。(正子)