今月の花(九月)鬼灯
東京浅草は浅草寺の四万六千日の鬼灯市に遅れること数週間、自宅からちょっと足を伸ばした神楽坂でも鬼灯市が毎年開かれます。浅草からみれば小規模ですが坂の上の毘沙門天の門前にずらりと鉢が並べられ、賑わいを増した通りでもその赤橙色が目を引きます。鬼灯市の次の日はいよいよ阿波踊りです。
鬼灯を鳴らすにはどうしただろうか、鬼灯の色は浴衣を着た小さな女の子たちの後ろで結ばれた兵児帯の色になかっただろうか。独特の光や臭いの中、人をぬいながら歩いていくと、気が付けば懐かしい記憶をたどっていました。
かなり昔から日本に自生していたという鬼灯はナス科の植物です。小さな黄色がかった白い花が五,六月に葉の付け根に咲くというのですが咲いたところは見たことはありません。鬼灯らしさの赤橙色の袋は中にある丸い実とその種を守る五つの稜を持つ萼です。
七月、地方によっては八月のお盆をめがけて、生産者はホルモン剤を使って調整し、鬼灯の中でも大きい丹波鬼灯の緑の実をオレンジ色にしていっせいに出荷をするとも聞きました。鬼灯にはお盆に仏壇に供えるというイメージがあるので、飾る場所や機会には気を付けるようにとお稽古の時に言われました。
萼と中にある実をそのまま長い時間水につけると、萼の部分は網目状になりレースのように繊維だけが残ります。赤橙色の実が透けて見えるこのオブジェは、使った後の楽しみになるかもしれません。
この文章の写真は、フィンランドの男性ユルキが東京でのいけばなのお稽古でいけた鬼灯の作品。先生のリーサは航空会社のキャビンアテンダントとして三十年前から東京にフライトで来るたびに私のクラスや本部でレッスンをうけ、今ではたくさんの生徒を母国で指導しています。「鬼灯はフィンランドにもあるけれど、こんなには大きくはならないわね」とリーサは言っていました。
緑から薄い黄色、やがてオレンジ色に変化していく数個の実が一本の茎に同時につく様子を眺めていると、秋に向かってゆく時の移ろいがそこにも現れている気がします。
夏とはまた違った秋の大きな自然の恵みとその楽しみを予感して 私の孫弟子のユルキはこの作品をいけたのではないでしょうか。短い夏が貴重なフィンランド、秋から冬の季節に移行するのもまたとても速いのです。(光加)