今月の季語(十一月) 枯る
今年は変な天候が続き……と、このところ毎年書いている気がしますが、地震が頻発したり、台風が来過ぎるのみならず経路がおかしかったり、いよいよ「変」が極まってきました。
今年はもろもろの植物の花どきが早まっているので、十月半ばの狂い咲き現象も〈返り花〉の前倒しかと思っていたら、台風で葉が傷んだことによる調整機能の不具合なのだとか。知らないことを知る喜びより、知ってしまった当惑、とでも言いましょうか。
旱や塩害などによる病的な枯れ方をする植物がある一方で、季節の巡りに従って(健やかに)枯れゆく現象が見られる季節となりました。季語としてはまず、秋の季語ですが〈末枯(うらがれ)〉があげられるでしょう。「うら」は文字通り「すえ」の意。先のほうから枯れ始めることです。「末枯る」と動詞の形でも使えます。
末枯れてまた廃坑の現るる 穴井 太
草の勢いが無くなってきたことに気づいた句です。あたりが枯れきってしまえば隠れていたものがもっと露わになるはず。作者の関心の中心は見える見えないではないのです。「また」の心情を表すためには〈枯る〉ではなく〈末枯る〉でなければならないことがよくわかります。
〈枯る〉に関わる季語は、歳時記を冒頭から繰るとまず「地理」の章に見いだせます。〈枯野〉には人口に膾炙した句がたくさんあります。
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る 芭蕉
遠山に日の当りたる枯野かな 高浜虚子
土手を外れ枯野の犬となりゆけり 山口誓子
火を焚くや枯野の沖を誰か過ぐ 能村登四郎
小鳥死に枯野よく透く籠のこる 飴山 實
よく眠る夢の枯野が青むまで 金子兜太
同じく「地理」の章に〈枯園〉も。
枯園や神慮にかなふ薔薇一つ 中田みづほ
「植物」の章には〈枯る〉をはじめ、たくさんの季語があります。
目を遠く誘ふ冬枯始めかな 宮津昭彦
木も草もためらはずして枯れゆけり 相生垣瓜人
これまでは、枯れの状態にわざわざ「冬」をつける意味を汲めずにいましたが、旱や病気や災害等によるものではなく、季節の巡りに従ったものと、今年の冬は素直に受け止められそうです。
樹木の枯れたものは〈枯木〉、草本の枯れたものは〈枯草〉です。〈枯木〉は葉を落としきった木のことであって、死んだ(枯死した)木ではありませんが、〈枯草〉は今年の命を終えた草のことです。
省くもの影さへ省き枯木立つ 福永耕二
父母の亡き裏口開いて枯木山 飯田龍太
枯草も華やぐ雨の通りけり 阿部ひろし
草枯のそこらまぶしく鞄置く 木村蕪城
〈枯葉〉は草にも木にも使えます。地に落ちてかさかさした葉も、枯れたまま本体に残っている葉も〈枯葉〉です。
一枚の枯葉に触るる風の音 稲畑汀子
今落ちし枯葉や水にそり返り 星野立子
枯葉踏む否漕ぐ深さ宿場跡 林 翔
〈名の木枯る〉〈名の草枯る〉は名前を知っている親しい草木が枯れること。〈銀杏枯る〉〈芒枯る〉のように名を冠して使います。
健やかに枯れゆく姿を穏やかに見つめられる日々でありますように。(正子)