今月の季語〈一月〉 都鳥/ゆりかもめ
身辺の水辺に〈水鳥〉が賑やかな季節となりました。水鳥は鴨、鳰(かいつぶり/にほ)、白鳥、鴛鴦(をしどり)、……冬に水上にいる鳥の総称、冬の季語です。都鳥・ゆりかもめもその仲間です。
都鳥はチドリ目カモメ科ユリカモメの雅称。都鳥=ゆりかもめとして実体が把握され、冬の季語に定着したのは、それほど古いことではなく、江戸のころには「雑(ぞう)」に分類されることもあったようです。カムチャッカ地方で繁殖し、日本へは秋から冬にかけて飛来して越冬します。すでに『万葉集』に、
舟(ふな)競(ぎほ)ふ堀江の川の水際(みなきは)に来(き)居(ゐ)つつ鳴くは都鳥かも 大伴家持
と姿を現していますが、これは大阪(難波堀江)の都鳥。隅田川の名物のようになったのは『伊勢物語』の東下りの段(第九段)によります。
白き鳥の、はしとあしと赤き、鴫の大きさなる、水の上に遊びつついを(魚)を食ふ。
その場で渡し守から名を聞いて詠まれたのがこの歌です。
名にしおはばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと
時代が下り、謡曲「隅田川」では、攫われた子を探して母が東下りをします。隅田川のほとりで『伊勢物語』さながら渡し守に鳥の名を問うのですが、「沖の鷗」という返答に、
うたてやな浦にては千鳥とも云へ鷗とも云へ、などこの隅田川にて白き鳥をば、都鳥とは答へ給はぬ。
となじるのです。『伊勢物語』の成立年は未詳ですが、さまざまな作品に引かれ、くり返し耳にするくだりですから、芭蕉のころには、とうに常識となってもいたことでしょう。
塩にしてもいざことづてん都鳥 芭蕉
都鳥狂女のあはれ今もあり 池内友次郎
まさにこの古典を踏まえた二句です。
頭上過ぐ嘴脚紅き都鳥 松本たかし
両翼を広げて暗し都鳥 藤本美和子
どちらも眼前の都鳥でしょう。前句は『伊勢物語』の描写を思い出しつつ「本当にその通り」と言っています。「はしとあしと赤き」と書かれた第九段を知らなければ、単に報告の句となってしまうところです。後句はその大きさを詠んでリアルです。「鴫の大きさ」とは翼を広げると暗くなるほどのサイズだと実感しているのでしょう。
百合鷗少年をさし出しにゆく 飯島晴子
かよひ路のわが橋いくつ都鳥 黒田杏子
前句は、都鳥であったら「少年」が即ち梅若丸(攫われた子)になってしまうところでした。生物学上の呼称であるユリカモメを使ったことにより、「少年」も年若な男子に留まり、不思議な味わいの句になっています。後句は、都鳥から「かよひ路」は隅田川を渡るルートだと見当がつけられます。作者は当時、市川から御茶ノ水まで、JR総武線で通勤していました。
ゆりかもめ白刃となりて吾に降り来 大石悦子
ゆりかもめ胸より降りて来たりけり 井上弘美
百合鷗よりあはうみの雫せり 対中いずみ
どれも〈ゆりかもめ/百合鷗〉で詠まれています。この三氏は関西の人(井上氏は作句当時関西在住)。句に隅田川の匂いを持ち込みたくなかったのではないかと想像(妄想)しています。都鳥は隅田川だけのものではありませんが、都鳥と聞くと隅田川がちらつきます。つまり表に出ているといないとに拘わらず、作者のみならず読者のほうにも、意識すべきものとして古典が存在しているということ。〈都鳥〉はそれほど大きな文学的背景を負った季語なのです。
都鳥ある日ここらも飛んでをり 山口青邨
喧嘩して太つて帰れ都鳥 黒田杏子
「俳句はオブザベーションです」と言った青邨とその弟子の二句。雅語は使っていませんが、古典は意識しています。本意の踏まえ方にもいろいろあります。それぞれのやり方で試みてみましょう。(正子)