今月の季語(二月) 雛
雛祭は三月三日、旧暦でとりおこなえば更に後になりますが、百貨店等の雛人形売場は、松がとれるころから熱気を帯び始めます。東京では浅草橋駅界隈に〈雛見世〉と呼べる老舗の人形店がひしめいています。駅の乗降客数が増える季節とも言えましょう。雛を用意し、飾り、祀り、納めるところまで、たっぷりひと月は楽しめそうです。
人の立つ後ろを通る雛の市 高浜虚子
男来て鍵開けてゐる雛の店 鈴木鷹夫
雛店のここに江戸より三百年 黒田杏子
一句目、人垣越しに雛を覗き見るような見ないような。二句目は雛売りの男の朝一番の仕事(?)。女性のようには同化できないと言わんばかりの男性作家の眼差しでしょうか。三句目は、浅草橋の吉徳本店のこと。
草の戸も住み替はる代ぞ雛の家 芭蕉
函を出てより添ふ雛の御契り 杉田久女
雛飾りつゝふと命惜しきかな 星野立子
それぞれの句の底に、もう自分の家ではないという実感、夫との関係の寂しさ、初めて兆した老いの予感を感じます。それぞれの作者は、目の前の雛の綺羅を反転させたような自身の心に、気づいてしまったのではないでしょうか。
仕る手に笛もなし古雛 松本たかし
黒髪の根よりつめたき雛かな 田中裕明
笛を吹く仕種だけが残る古雛は、今も音の無い楽を奏でているのでしょう。雛はいつまでも老いず黒髪のままですが、根より冷たいとは、まさに死者の形容でしょう。命を宿さぬものであることを思わせられます。
初雛の大き過ぎるを贈りけり 草間時彦
雛の燭死者のあかりとなりにけり 井上弘美
雛を店で見ていると大きさの感覚が無くなってくる、と私の両親も言っていました。若い夫婦の家に運び込まれると、不相応に嵩張る雛一式なのです。二句目は身近な方が雛の日に亡くなられたのでしょう。作者の母上かもしれません。そういえば立子の忌日も三月三日。立子の周りの人々もこうした感慨を抱かれたことでしょう。
雛流す水を選んでゐたりけり 岩淵喜代子
遠くなるほど速くなり流し雛 白濱一羊
押し寄せて来ておそろしき流し雛 藺草慶子
一句目、タイミングをはかっているのかもしれませんが、なかなか流せずにいることを「水を選ぶ」と言っています。二句目、自分が流した雛の行方はずっと追ってしまいますが、三句目、放たれた雛が一団となって向かってくるとおそろしい。文字通り「ひとがた(人形)」だからでしょうか。
雛菓子を買はざる今も立停まる 殿村菟絲子
雛菓子を買うのは家に娘がいるからでしょう。習慣からか懐かしさからか、あの桃のコーナーにさしかかると、もう買わないけれど素通りもできないのです。
白酒の紐の如くにつがれけり 高浜虚子
紐という液体からはほど遠い、且つ至極日常的な語を使って、しずしずと注がれるさまを表しています。
まず目鼻塞ぎ雛を納めたり 宇多喜代子
何もかも畳の上に雛納 岩田由美
ことごとくのけぞる雛を納めけり 千葉皓史
片付ける段になると、女性のほうが身も蓋もないかもしれません。娘が嫁き遅れぬよう三日のうちにと心急くからでしょうか。
雛は愛らしく美しいものですが、それは皆が知っています。自分だけの雛を見つけられるまで、今年はとことん雛とつきあってみませんか? (正子)