今月の季語(三月)朧
〈霞〉も〈朧〉も空気中の細かな水の粒や埃によって見通しが悪くなることを指す春の季語です。同じ現象を、日中は霞、夜間は朧と呼びます、と、このコーナーでも既に一度取りあげています。
その際に、霞は天候、朧は情緒を表すという思い込みをしていることが意外に多い、とも書きました。霞も朧も「天文」の章にある季語であり、昔から詩歌に詠まれてきたのはむしろ霞のほうである、と重ねて申し上げておきましょう。
ではありますが、語にまつわる柔らかな、あるいは曖昧模糊としたイメージは、天文にとどまらぬ情緒を呼ぶようです。その傾向は、夜の要素が加わる朧に強いようにも思われます。今月は、季語として働かせつつ、気分(のようなもの)もまとわせている例を見ていきましょう。
どんな死となるやわが身の末おぼろ 倉橋羊村
「おぼろ」以外に季語となり得る語がないので、これを季語として読み取っていくことになります。句意は明白ですから、作者の身を置く時間帯を意識すればよいでしょう。即ち、夜です。もわっとした闇の色の空気の中で考える図、となりましょう。
さる方にさる人すめるおぼろかな 久保田万太郎
門川の夜々のおぼろとなりにけり 安住 敦
艶聞の多かった万太郎と妻子大事の敦の句です。万太郎の句は「さる方」「さる人」が既に模糊としていますが、さらに「おぼろ」と重ね、思わせぶりな演出です。敦の句も住まいと「おぼろ」の取り合わせですが、日中には無い情趣に気づいた、勤め人=父の帰宅の景を私は思いました。
露天湯は乙女らが占め朧なり 堀口星眠
乙女ばかりの露天湯がクリアに見えてしまっては問題ですから、朧がよいのですが、湯気に閉ざされて見えないというより、声で判断して想像(妄想?)しているのでしょう。
過去は右へ右へ朧の絵巻物 岡崎桂子
とっさに〈あなたなる夜雨の葛のあなたかな 芝不器男〉を、というより、不器男の句への高浜虚子の名鑑賞を思い出しました。闇の「あなた」に少し明るい「夜雨の葛」の茂る景があり、その更に「あなた」に故郷がある、と絵巻物にたとえた評です。へだたりを、距離だけでなく時間で表す「絵巻物」なのでした。
おぼろ夜のかたまりとしてものおもふ 加藤楸邨
長生きの朧のなかの眼玉かな 金子兜太
楸邨、兜太(師弟)の句は今回のテーマにぴったりかもしれません。兜太の句には自解があります。「『長生きの朧』には二つの内容があって、一つは長生きとともに万事に判断力も鈍り、『おぼろ』」、もう一つは白内障で「じっさいにも視界おぼろ」だと。「その『おぼろ』に甘えようとする自分に反逆」して「眼玉」を「ギョロリと光らせているぞ」という句だそうです。兜太はいわゆる有季定型の作家ではありません。が、観念だけの作家でもありません。この眼玉は闇の奥に光ってこそなどと有季派は思いますが、どうでしょうか。
朧夜のこの木に遠き祖先あり 正木ゆう子
「木」を仰ぎ、実際に抱いた思いをもとに作った句だと思います。自分に祖先があるように、この木にも祖先があるというのですから、直接は知り得ないはるかを思っているのです。朧夜は「朧月の出た夜」と歳時記のみならず、広辞苑にもあります。〈朧〉と〈朧夜〉の示す時間帯は共に夜ですが、月の存在が明らかであるか否かが異なります。時の流れに心を放ったこの句に「朧夜」は適った季語ではないでしょうか。
師は荼毘に吾は家路に朧月 橋本美代子
水蒸気のみならず、涙でぼやけた月かもしれません。どこまで読みとってもらえるかは読み手次第となりますが、仕掛けておくのはあくまで作者だということでしょう。(正子)