今月の季語(四月) 牡丹
立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花、とは美人の形容ですが、ここに登場する三種の花はどれも夏の季語です。
このうち芍薬と牡丹は花の形が似ています。中国では芍薬を「花の宰相」、牡丹を「花の王」と讃える呼び方があるそうです。ともにボタン科ボタン属の花ですが、芍薬は「草」、牡丹は「木」です。
つまり、芍薬は多年草の草本なので去年咲いたのと同じ場所に今年も咲きますが、冬の間は枯れて地上には何もありません。春に地中から芽を出し、新しく伸ばした茎の先端に大輪の花をつけます。牡丹は落葉低木なので、冬の間も葉をすっかり落とした姿が地上にあります。ただし厳冬期に咲くように栽培し〈寒牡丹〉として鑑賞することがあるのは、ご存知のとおりです。
関東圏に住む私の感覚としては、牡丹は晩春に咲き、ゴールデンウィーク過ぎには散りきっています。芍薬はもうすこしゆっくり、ときに初夏の雨に打たれたりもしながら咲くイメージですが、いかがでしょうか。
ぼうたんと豊かに申す牡丹かな 太祇
左右より芍薬伏しぬ雨の径 松本たかし
花期が早まっている昨今、今月は牡丹の動向に注目してみましょう。
すこし季節を巻き戻しますが、牡丹は早春、まだ寒いころに枝の先に真っ赤な芽を噴き出します。〈牡丹の芽〉、春の季語です。
誰(た)が触るることも宥(ゆる)さず牡丹の芽 安住 敦〈春〉
一寸にして火のこころ牡丹の芽 鷹羽狩行
葉を繁らせるとともに蕾も大きくふくらんでいきます。
牡丹百二百三百門一つ 阿波野青畝〈夏〉
これは高野山金剛峯寺での作とのこと。山の上ですから、下界より気温の上昇が遅く、この年二度目の牡丹鑑賞となったようです。
ぼうたんの百のゆるるは湯のやうに 森 澄雄
こちらは湘南での作。実際には花期が過ぎていたそうですが、作者のまなうらには花盛りのさまが揺らめき立ったのでしょう。
年々歳々牡丹は咲き、私たちは観賞を重ねて来ています。現実の、眼前の景のみがすべてなのではなく、心の中に咲く花を重ね合わせてみると、あらたな境地が開拓できるかもしれません。
火の奥に牡丹崩るるさまを見つ 加藤楸邨
「五月二十三日、夜大編隊侵入、母を金沢に疎関せしめ上州に楚秋と訣れ、帰宅せし直後なり、わが家罹災」と前書があります。防空壕の出入り口付近に牡丹があったそうですが、このとき牡丹は咲いていたでしょうか、それとも……七十年以上前とはいえ、五月も末の東京では、既に花期は過ぎていたと私は思っています。が、紅蓮の炎を新たな花として、牡丹は崩れ落ちたのではないでしょうか。
かつて私の母が空襲体験を「夜空を降ってくる焼夷弾の炎を、幼な心の不謹慎さかもしれないけれど、綺麗だ、と逃げるのも忘れて一瞬見とれた」と語ったことがありました。「燃えあがる家から、からうじて脱出してふりかへると、牡丹は、火の中に崩れてゆくところであった」という楸邨に、見とれる余裕はそのときは無かったかもしれませんが、このように詠み下された光景に、読者はおののきながらも一瞬うっとりしてしまいます。
大和の長谷寺、当麻寺は古来より牡丹の寺として有名ですが、みちのくは須賀川の牡丹園もその広大さにかけては東洋一と言われます。聞くところによると、牡丹は切り詰めないと人の丈を越す大株に育つのだとか。
須賀川はまた〈牡丹焚火〉でも有名です。原石鼎によって知られるようになり、冬の季語として定着したのは昭和五十年代と言われています。
煙なき牡丹供養の焔かな 原 石鼎〈冬〉
みちのくの闇をうしろに牡丹焚く 原 裕
音もなくあふれて牡丹焚火かな 黒田杏子
すすみ出て牡丹の榾を投じけり 同
(正子)