今月の花(十月)桐の実
「あれは 桐の花?」「そうみたい。桐の花ではないかしら」
パリから1時間と少しのフライトで降り立った街リヨン。いけばなの友達とオペラハウスに向かう途中の事でした。見上げると7~8メートルもあろうかという樹に、薄紫色の花が緩い弧をえがいた枝の先にびっしりとついていました。リヨンは石の建物が連なる堂々とした街です。その中の小さな公園の、釣鐘型の優しい薄紫の花をつけた立派な木の佇まいを今でも時々思い出します。
桐は成長が早く、夏に高いところに咲く花は花屋さんに運んでくるまでに落ちてしまうので作品としていける機会はほとんどありません。いけられるのは、茶色い短い毛が集合したようなビロード状の萼に包まれた丸い蕾が付く秋のはじめからで、長さ20センチ以上になる卵型の葉はやがて落ちていきます。この蕾は実と間違われることがあります。実は先がツンと尖っていて初めは緑色、そして茶色から褐色となり先が割れると中には細かな種が潜んでいます。枝に同時に実と蕾が付くことで、家が代々続いていき、子孫繁栄を表しているようだということで慶び事にも使われます。。
かつては女の子が生まれたら、お嫁に行くときに桐の箪笥を持たせるため桐が植えられました。下駄や大事なものを入れる箱、琴や琵琶などの楽器などが作られるのも桐が軽くて火にも強く丈夫だからです。
日本の家紋には様々な桐の紋があり、私の着物の紋は五三の桐。500円玉を裏返せば桐があり、先だって新首相の会見の時も演台に桐の刺繍がされた布がかけられ、総理府の印となっています。
清少納言は『枕草子』の中で中国で鳳凰がとまる格式の高い木として桐をあげ、『源氏物語』の光源氏の父は桐壺帝、母は桐壺の更衣で庭に桐が植えられていたとして、紫式部はこの名前をつけたのでしょう。
リヨンで桐の花をみて驚いたのは桐が日本あるいは東洋の独特の高貴な植物という認識を私が持っていたからでした。しかし桐の学名のPaulownia は、鎖国時代長崎の出島のオランダ館にきていたドイツ生まれの医師、フィリップ フランツ フォン シーボルトに関係しています。彼が持ち帰った日本の物の中にはたくさんの植物の標本や種があり、桐の種もその中に含まれていたのです。桐の学名はPaulownia tomentosa、英語で(princess tree)。 王女の木 また(royal paulowna)と呼ばれるのは、彼のパトロンでもあったオランダの王女、Anna Pavlova(1795-1865)にちなみ、後につけられたといわれています。
あの石の街リヨンに華麗に威厳をもって立っていた桐が思い出されます。(光加)