今月の季語(4月) 花惜しむ
今年はすこし早めかつ心情的に桜の季語を追っています。早めのつもりでしたが開花自体が早まっていますから、図らずもタイムリーになってしまう可能性もあります。いつかの年のように、開花後にぐっと冷え込んでくれはしないかとすら思い始めました。
咲くまでをあれほど待った桜ですが、まさに花の命は短くて、風が無くてもちらほらと散るようになると、愛でつつ惜しむという感情がむくむくと立ち上がってきます。
花どきの一週間は一と昔 今井千鶴子
さくらどき裏返しては嬰を洗ふ 平井さち子
〈花時〉〈桜時〉は時候の季語です。表記の違いを楽しみつつ使えます。
大寺湯屋の空ゆく落花かな 宇佐美魚目
ひとひらのあと全山の花吹雪 野中亮介
花筏とぎれて花を水鏡 岩田由美
〈飛花〉〈落花〉〈花吹雪〉は花の散るさまを表しています。〈花筏〉は水面に散った花びらの連なるさまを筏に見立てています(文字通り花の散りかかる筏や、植物のハナイカダを指すこともあります)。枝を離れてもなお花の行方を追っているのです。
花時を過ぎてなお残る花を指して〈残花〉、散ったあと蘂や花柄が降ることを指して〈桜蘂降る〉といいます。
いつせいに残花といへどふぶきけり 黒田杏子
桜しべ降る慶弔の旅つづけ 角川源義
〈花過ぎ〉の日々にも慣れたころ、静かに花盛りを迎えている桜に出会うことがあります。花見の喧噪が過ぎた時期に咲き出す桜を〈遅桜〉と呼びます。一般的に〈八重桜〉は花期が遅めですが、一重八重を問わず、花期の遅い桜を指します。
一もとの姥子の宿の遅櫻 富安風生
夏に入っても桜の季語はあります。春にはやがて失われる佳きものを愛おしみ、夏には失ったと思っていたものを思いがけず見いだしたときの喜びや失ったものに代わる新しいものへの期待を詠みます。そうした纏わり続ける視線や思いが「惜しむ」に通じるのです。
二、三月にとりあげた〈花を待つ〉や〈花の闇〉と異なり、〈花(を)惜しむ〉は歳時記に「ある」季語です。〈花〉の項に傍題として掲載されています。つまり散ることのみを指しているのではありません。
花惜しむ莚をのべてたそがれて 黒田杏子
〈花惜しむ〉で詠まれた稀少な例です。この花は万朶の花であってもよいわけです。万朶の花といえば、
咲き満ちてこぼるゝ花もなかりけり 高浜虚子
この句が出されたのは立派な弟子たちの居並ぶ句座でした。道長の望月の歌のように、満たされた心情を思わずにはいられません。
今生の今日の花とぞ仰ぐなる 石塚友二
花見の宴は諦めたほうが無難な今年。純粋に(?)花を待ち、愛で、惜しむことにしましょう。(正子)