今月の季語(八月) 盆の月
八月は旧暦と新暦の差異をあまり感じない希有な月です。立秋を過ぎても夏休みと呼ぶなど、そもそも違和感を内包している月ともいえそうですが。夏なのか秋なのかと考えるより、どちらの季語も自在に駆使しながら向き合いたいものです。
〈盆の月〉は歳時記の定義としては旧暦七月十五日の月ですが、八月の月ととらえてこの稿を進めます。現役の方々にとってはお盆休みに帰省するころの月となりましょうか。立秋過ぎですがまだまだ暑く、虫に刺されながら仰ぐ月です。
浴(ゆあみ)して我が身となりぬ盆の月 一茶
昼間の汗を流してすっきり。ようやく自分の身体を取り戻したという感覚は昔も今も同じようです。
さむしろや門で髪ゆふ盆の月 蓼太
「さ」は接頭辞。「さむしろに衣かたしき今宵もや我を待つらむ宇治の橋姫」(『古今集』)などと使います。「さむしろ」を敷いて髪を結うのは宇治の橋姫? いやいや深窓ならぬ「門で」ゆえ、「さむしろ」もさぞかし「狭」い「筵」に違いない、といったところでしょうか。句意はさておき、家うちは暑いけれども、夜の屋外はしのぎやすい気温になっているのです。
身ほとりを固き翅音盆の月 ふけとしこ
裏口に草木の匂ひ盆の月 鷲谷七菜子
盆の月草の山より上りけり 大峯あきら
第一句の翅は虫のはねに使う漢字です。何の虫でしょう。甲虫が過ぎるだけならよいのですが、あまり嬉しいものではない気がします。第二句第三句からは盆の月の若さを感じます。実際には私たちの周りが青々としているだけなのですが、月からも熟す前の青い匂いがしてきそうです。
盆の月しばらく兄と語りけり 黒田杏子
帰省したときの句と受け止めていますがどうでしょう。〈盆三日あまり短し帰る刻 角川源義〉という句もあるように、帰省はするとなると忙しないのですが、してしまうともう戻りたくない。里の家にはいつもと違った時間が流れているようです。
ちちははと住みたる町や盆の月 上野章子
父母ありてこの世まつたし盆の月 上田日差子
盆の月は父母とセットになっているともいえそうです。二句ともに、過ぎてから顧みると切ない句です。
ふるさとに墓あるばかり盆の月 鈴木花蓑
盂蘭盆の供養の句にも月がしばしば登場します。
香煙の中に月あり盆大師 五十嵐播水
盆の島月にどうどう太鼓うつ 橋本美代子
望月や盆くたびれで人は寝る 路通
第一句はお大師さまの境内の景。人々が一斉にくりだし、香煙がたちこめています。第二句は島の盆踊でしょうか。第三句は盆の行事にくたびれて寝静まった下界を照らす満月です。
昔「まあるいまあるいまんまるい 盆のような月が」と歌った記憶がありますが、旧暦の盆の月は十五日の月ですから、まさに盆のような月です。新暦の場合は(休暇取得の都合が重なれば更に)いろいろな形になりそう。この点だけは「差異」を免れないようです。(正子)