今月の季語(9月)月(2)
熱帯夜が続いてどんよりと濁った空気も、いつしか透き通り、月や星の光がまっすぐに届くようになってきます。今年の名月は九月二十一日です。その日の月齢は14・1なので、少し満ち足りないように見えても錯覚ではありません。翌日の十六夜の月のほうがまん丸に見えることでしょう。
〈花/桜〉のときと同じことわりで、私たちは〈月〉に対しても「待つ」ということをします。幼いころ、夜ごとに空を仰ぎながら、月が育ちゆくさまを観察したことはありませんか? 詠むことはなかったかもしれませんが、あれはすでに「待つ」行為であったわけです。
初月やまだ真青なる楡の空 古賀まり子
あら波や二日の月を捲いて去る 正岡子規
吾妻かの三日月ほどの吾子胎すか 中村草田男
弓張の月片割れは池に落つ 峯尾文世
朔の月は肉眼で確かめることはできませんが、か細い月を目にすることはあります。これを陰暦八月のみ「初」をつけて〈初月(はつづき)〉と呼びます。月は夜ごとに太りゆき、また、日没のあとに月が空にある時間も長くなっていきます。草田男の句は〈三日月〉を比喩に使っていますが、空にかかる月を指して「ちょうどあのくらい」と思ったのでしょう。やがて月満ちて子が誕生することを意識しながら。〈弓張月〉は弓を張ったように見えることによる呼称。〈半月〉のことです。第四句は月が弓矢で射られ、半分が池に落ちたような面白い詠みぶりです。
陰暦八月の上弦の月(右側が丸い半月)のころまでの、宵に現れ夜半には没する月を指して〈夕月・宵月〉と呼びます。
昼からの客を送りて宵の月 曽良
風に騒ぐ心や須磨の夕月夜 京極杞陽
陰暦八月十四日の夜、つまり十五夜の前夜を〈待宵(まつよひ)〉といいます。この日の月は〈待宵の月〉〈小望月〉です。
待宵や女主に女客 蕪村
婚約のふたりも椅子に小望月 及川貞
そしていよいよ陰暦八月十五日となります。〈十五夜〉です。この夜の月を〈名月〉〈明月〉〈望月〉〈満月〉〈今日の月〉〈芋名月〉等々と呼びます。いかに心待ちにしてきたかが呼称の多さからも推察できるでしょう。
名月や池をめぐりて夜もすがら 芭蕉
けふの月長いすゝきを活けにけり 阿波野青畝
真向に望月あげし村芝居 木附沢麦青
さて「月を待つ」にはもう一つ、その日の月の出を待つ意があります。どの日でもよいわけではありません。十五夜の月の出を、特別なしつらえをして待つのです。青畝のように「長いすゝき」を活けたり、団子を盛ったり、地方やその家ならではの供え物があることでしょう。〈月見〉〈月の宴〉〈月祀る〉〈月の座〉……季語もいろいろあります。人の営為ですからこれらはすべて「生活」の章に収められています。
岩鼻やここにもひとり月の客 去来
やはらかく重ねて月見団子かな 山崎ひさを
三人のふだんの友と月見かな 鈴木花蓑
名どころの何処選まん月見酒 高橋睦郎
新宿の最上階に月祭る 上田日差子
月祀る何もなけれど窓浄く 岩田由美
季語ごとに項目ごとに詠むこともできますが、これらを大きく包むように詠み上げた句があります。
月を待つ情(こころ)は人を待つ情 山口青邨
俳句を詠むときは対象に深く感情移入しています。ときには憑依することもあります。詠む対象が人でなくても(たとえ無機物であっても)、意識下で人(有機物)と同じように捉えているのです。などと理屈をこねること自体が恥ずかしくなるほど、朗々と天翔る一句であると思います。(正子)