今月の季語〈十月〉 後の月
初秋には〈盆の月〉を、仲秋には〈名月〉を、そしていよいよ晩秋の〈後の月〉を仰ぎます。盆の月と名月は十五夜の月をめでましたが、後の月は満月に二夜早い十三夜の月のことです。秋季最後の月なので〈名残の月〉ともいいます。今年の後の月は十月十八日。晴れますように。
例年名月のころにはまだまだ残暑にあえぎ、後の月のころになってようやく一息ついていましたが、今年は秋の進行が早く、十月にはもう肌寒さを覚えそうです。
みちのくの如く寒しや十三夜 山口青邨
窓ごしに赤子うけとる十三夜 福田甲子雄
わが影の真中がうすし十三夜 西山 睦
十三夜といえば真っ先に思い出すのが青邨のこの句。みちのく出身の青邨が「みちのくの如く」というのですから、この夜はしみじみと冷えたに違いありません。第二句は馥郁とした赤子の香りや重みとともに温もりをうけとった句でしょう。赤子の身になってみれば、宙吊りを楽しんだ(もしくは怖がった)のちの安心感でしょうか。第三句の「影」は実際にうすいというより、身体の芯がやや冷える感覚を視覚へ転化したのではないでしょうか。
入つてくるなり後の月うつくしと 辻 桃子
りりとのみりりとのみ虫十三夜 皆吉爽雨
道すがら後の月をめでてきた人と室内にいた人と。宴を開くどころか、もう外に出てもいなかったことが推測されます。爽雨は、もう時雨にはならない虫の声を詠んでいます。あれほどのボリュームで鳴いていたのに。聴覚が淋しくなってきたら、闇の量が増えたようにも思いませんか?
月白もなく上りけり後の月 草間時彦
山の端に残照とどめ十三夜 岡田日郎
待つでもなく気付いたらもう上っていた第一句。日の入りも早くなったけれども、満月より月の出が早く、なお残照がという第二句。
これらは同時に身ほとりの静謐を語っている気もします。
皿小鉢洗つて伏せて十三夜 鈴木真砂女
墨磨れば墨の声して十三夜 成田千空
かたと擱く筆音の澄み十三夜 大橋敦子
身を以て沈黙の金後の月 丸山海道
真砂女には皿小鉢が、千空、敦子には墨と筆が身に添うものなのでしょう。かそけき音に思わず耳を澄ましてしまいそうです。
麻薬うてば十三夜月遁走す 石田波郷
どこまでも豆名月ののぼるなり 大峯あきら
胸を病んだ波郷が仰ぐのは療養所の窓の月です。雲が走る夜だったのかもしれませんが、「麻薬」のせいでと詠み切る作家魂に思わず背を正します。十三夜の月には豆や栗を供えもするので〈豆名月〉〈栗名月〉の名もあります。「豆」の文字を見ると「どこまでも」のぼって天空にぽっちり懸かる、豆のような月をおのずと想像しそうです。
次の二句は樋口一葉の『十三夜』を踏まえています。
一葉に十三夜あり後の月 富安風生
十三夜幸田弘子の立姿 黒田杏子
俳優「幸田弘子」は樋口一葉作品の朗読の第一人者でした。昨年(二〇二〇年)十一月、八十八歳でお亡くなりになりました。(正子)