浪速の味 江戸の味 5月「たこ焼」(浪速)
初夏にとれる蛸は、皮もやわらかくおいしい。明石の蛸が有名だが大阪湾和泉地域の蛸も人気だ。大阪市旭区や和泉市の遺跡から弥生時代のイイダコ壺が出土している。蛸は昔から身近な食べものだったようだ。
大阪の和泉、河内や関西圏の農村地域では、田植えをした時、稲の根が蛸の足のように大地に張りつくよう祈念するのと、梅雨明けの草取りが終わった時期(半夏生 7月2日ごろ)に蛸を食べて疲れを癒していたという。タウリンが大量に含まれているので疲労回復にぴったりである。刺身でも、煮つけでも、酢の物でも美味しく食べられる。
昭和30年頃から屋台店が街々に増えたのと、一家に一台と言われるたこ焼機の普及もあって、大阪と言えばたこ焼というくらいに蛸をつかった食べ物の代表となった。
大正から昭和にかけて「ちょぼ焼」「ラジオ焼」というものが流行していた。ちょぼ焼はハガキ大の鉄板に12個の穴が開いた道具にメリケン粉の溶いたものを流し、こんにゃくや干しえび、醤油を入れて焼くものだった。子どものおやつ的なものだったらしい。「ラジオ焼」は、すじ肉などを入れて焼いたものだった。その後、会津屋の遠藤氏が昭和10年頃、蛸を入れた「たこ焼」を発案したと言われている。現在のようにソースにマヨネーズ、青海苔などをかけて食べるようになったのは戦後のことである。(『大阪食文化大全』参照)
大阪の粉もの食文化の代表的な食べ物であるが、蛸の旨味があってこそだと思う。輸入された蛸が増えている中、大きめに切った明石や和泉地域の蛸を使って、家で焼くたこ焼きはちょっと贅沢な「なにわの味」である。
たこ焼に大きな蛸の浪速かな 洋子