今月の花(十月)ななかまど
東京のある会館の床の間に大きくいけられた「ななかまど」。葉は黄色がかった薄い緑からオレンジ、そして、赤へと紅葉し、直径五~六ミリほどの艶やかな実の房が葉の間からたわわに下がっていました。十月末の展覧会ではいけることはありますが、その見事なななかまどを大都会の真ん中でみかけたのは、まだ夏を引きずっている九月のごくはじめのことでした。
そのななかまどの葉に傷や痛み、枯れたところがないのは、この作品を生けた作家の方をはじめ、関係者が注意深く毎日手入れをなさっているからでしょう。それにしても、久しぶりに見るあまりにも立派なななかまど、収めたお花屋さんに、秋がもう始まっている北の地から来たものか尋ねてみました。
「これは限られた地域の荷主さんから出されたもので、気候も日当たりも山の最適な場所で、きっと特殊な仕掛けをして大事に育てたななかまどだと思う」という答えでした。もちろんそれがどこの誰なのか、その花屋さんも直接は知らず、その場所に行ったこともないそうです。実際のところ、雨が当たっても条件によっては葉にシミが生じ,葉どうしがすれる風も大敵です。葉をよく見ても水分がなくなって丸まっているものはなく、こういうのをプレミアムななかまど、とでもいうのだろうかと私は写真を撮らせていただきました。
ななかまどは早春、小さな薄緑の葉がお互いをかばうように丸まって出てきて、やがてほどけていきます。葉は奇数羽状複葉、つまり先に一枚、あとは細い葉柄に対についています。
春も遅く、緑を深めた葉の枝先についた花は五弁の小さな花弁をもち、たくさん集まって咲くので遠くからみると白い泡が吹いているように見えます。花をいける時は、花弁がはらはらと散りやすいので気を付けなければなりません。
鳥に食べられずに冬を迎えた秋の赤い実は、雪の中で、葉がすっかり落ちた十数メートルにも達する黒褐色の木肌とよい色のコントラストとなることでしょう。
ななかまどは「七度窯にくべても燃えない」と名前が付いたといわれますが、それだけ瑞々しいということなのでしょうか。名の由来には異説を唱える植物学者もいるということですが、新芽のしたたるような緑色を見ると、この名前が付くほど春の水分を吸って芽吹く美しさから来ているのかとも思います。他に雷電木(らいでんぼく)または雷電(らいでん)という名前でも知られています。
ななかまどの街路樹を最初に見たのは北海道の帯広でした。先日再度訪れたこの町で、つややかな赤、また、オレンジ色の実をつけたななかまどを見かけました。陽の当たるところは紅葉がはじまっていて、その色合いは九月に入っても収まらない東京の酷暑を一瞬忘れさせてくれました。
この十月、私は帯広では初めてのいけばなのデモンストレーションを計画しています。北海道といえば、花屋さんに枝ものはたくさん種類がありそうですが、実はそれほど多くありません。現地の出演者のお知り合いの庭などで、少し紅葉したななかまどを切らせていただき、いけることはできないかしら、さぞ美しいことだろうとひそかに思っています。
「花は美しいけれど、いけばなが美しいとは限らない」勅使河原蒼風家元の『花伝書』の言葉です。この言葉を胸に、どんな花材に会えるか楽しみにしています。(光加)