今月の季語〈十月〉⑪ 秋めく
紅葉は秋の季語。でも十月に紅葉は早いよと思う方も多いのではないでしょうか。実は私もこれまではそう思っていました。今年は九月のはじめに長野へ行き、標高が高くなるに従い木の葉の色が変わっていくのを目の当たりにしました。はじめのうちは下界(?)の残暑の記憶を曳いていましたから、病葉? 立ち枯れ? と訝しんでいたのですが、幸いにも紅葉に他ならない桜と真向かうことになり、秋を実感した次第です。
病葉を涙とおもふ齢かな 齋藤愼爾〈夏〉
霧に影なげてもみづる桜かな 臼田亜浪
すると残暑厳しい下界へ戻ってからも、日を追って様子が変わっていくことを明らかに感じられるようになりました。いつもなら末枯か、せいぜい薄紅葉と思うにとどまる現象であっても、紅葉への一過程としてとらえる眼差しを高山から賜った心持ちでした。
多摩の水すこし激する薄紅葉 山口青邨
末枯といふ躊躇うてゐる景色 後藤比奈夫
私の身辺では薄紅葉というよりは薄黄葉といえましょうか。ほんの少し前までは木々の下に入れば「緑蔭」と思いましたが、今や木の葉を透る日の光がうっすらと黄味を帯びて感じられます。
九月の中ごろ、かつては里山と呼ばれた谷戸を歩きました。ボランティアの方々の丹精の稲が穂を重く垂れ、黄金色の一歩手前の色合いになっていました。また臭木やごんずいの実が、そろそろ遠目に花と見紛うほどに熟してきていました。
柿紅葉貼りつく天の瑠璃深し 瀧 春一
まだ「紅葉且つ散る」には到っていませんでしたが、ときどき拾ったのが柿紅葉でした。コーティングされたようなつややかな柿の葉は紅葉も独特の美しさです。その地に今も実るのは、禅寺丸柿とのことでしたが、原木はわが町内の古刹の境内に今もあります。
禅寺丸柿原木の木守柿 正子
棲み古りてここ甘き柿生れる里
拙句でご無礼します。大昔には宮中に献上もされたという甘柿ですが、今では残っているところでのみ出会う存在です。剪定されず、のびのびと大きく育っていることが多いです。
照葉して名もなき草のあはれなる 富安風生
「照葉」は「秋晴」と「紅葉」の両条件を満たして成り立つ季語です。木の葉のみならず、この句のように草の紅葉にも使えるのだと目から鱗でした。
名もなき草という措辞が出てくるのは、「秋の七草」と数え上げられる草があるからでしょう。七種は萩・薄・葛・撫子・女郎花・藤袴・桔梗とされますが、このときの元・里山で見かけたのは薄と葛でした。萩、撫子、女郎花、藤袴、桔梗は花期が早めです。夏のころからあちらこちらで見かけましたから、すでに終わっていたのかもしれません。また若干の手入れが必要な花なのかもしれません。代わりに男郎花、吾亦紅、水引、数珠玉などの剛い植物や、名を知らぬ茸各種を見かけました。タヌキマメ、キツネノマゴなる植物(花も実も)とは初対面。カラスやスズメだけでなく、タヌキやキツネが跋扈する楽しい秋の野でした。
「秋めく」とは秋らしくなるの意。本来は初秋の季語ですが、この程度にまで秋が深まって初めて実感できる気もします。十一月はもう初冬です。十月の野を歩き、秋を堪能してみませんか。(正子)